N[エヌ]発行のオンラインマガジン|N-gene[エヌジン]
制作・編集/ナノグラフィカ
『today』 キャンバスにアクリル F100 2005年
なかやまのりゆき [絵画]
1968年 長野市生まれ。
1993年 武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒。
2000年 長野市中御所の岡沢絵画研究所を引き継ぎ、中山絵画研究所を開設。
2002年 個展(ギャラリーはせがわ・長野市)
2004年 シェル美術賞2003−2004入選
2005年 個展(イムラアートギャラリー・京都)
2006年 VOCA展2006出品(上野の森美術館・東京)
KIAF2006・韓国国際アートフェア出品
中山絵画研究所ホームページ
一九九五年六月、落ち込んだ状態から立ち直るべく長野市の実家に戻った中山さんだが、帰った当初は「働くのが怖い」と思うほどの状態になっていた。時間を持てあまして、気心の知れた「岡沢絵画研究所」に顔を出していたところ、一年ほどしたある日、そこで講師として仕事を手伝わないかとの誘いを受けた。渡りに船と感じた中山さんは、自分がされたように受験生にデッサンを教えながら、空き時間を利用して再び絵を描き始めた。
帰ってきてからはまたデッサンから始めるつもりで、コツコツと描きましたよ。講師をしてから一年半ほどして、岡沢先生が引退されることになって、絵画教室をほとんど任されることになったんですね。でも先生が代わったら、やっぱり生徒さんが減ったりして(笑)、時間がたくさん出来たから、自分の作品をひたすら作ったりしました。
—その時から今のスタイルで描いてたんですか?
いや、この描き方は偶然、生徒が置いていったリキテックス(アクリル絵の具の一種)を試してみたときに思いついたんです。使ってすぐに「テンペラ画(古典技法の一種。ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』などが有名)と同じ技法
で描けるな」と思いました。リキテックスを薄くして、何度も何度も重ねてゆく。ぱっと見てもどうやって描いたかわからないんじゃないかな。この描き方を思いついて、さらに二〇〇一年頃からかな、大きい顔を描き始めて、作品がまとまってきました。

—それで公募展に出し始めた?
もう少し前から公募展には応募してたけど、特に入賞はしなかったです。絵画教室から得られる給料と、少しバイトして稼いだお金でなんとか描き続けて…だんだん作品に自信がついてきた時、「シェル美術賞2003-2004」に入選しました。
—遂に!って感じですが…嬉しかったですか?
おお、これで少しは絵が売れたりするかな?と思ったんだけど全然駄目。入選じゃ駄目なんだ、トップにならないと…と、逆に悔しい気持ちになりましたね。
—安心した訳じゃなくて、逆に闘志を燃やしたと。
で、そこで見てくれた京都の画商さんが声を掛けてくれて。「君の絵はいい。売れる! 京都で個展しよう」って誘ってくれました。
最初はびっくりして、騙されてるんじゃないか、売るためにはこっちがお金を出す羽目になるんじゃないか…なんて勘ぐったけど、画商さんも本気だとわかったから、このチャンスに自分の人生がかかってるんだ!と思って必死で描きましたよ。仕事しながら一日十時間は描いたかな。今やっておかないと年齢的にもギリギリだ、と思って。
—で…今度こそ遂に…!
…それが、京都の個展、全然売れなかったんです…。描いた絵がドカっと帰ってきたとき、絶望的な気分になりましたね。俺の絵、ホントに売れないんだ…と思って。
—うーん…聞いてて辛くなってきます。
でも、その個展中に「VOCA展2006」展に推薦されたんです。過去に色んな有名人が受賞してる展覧会で、レベルが凄く高くて憧れてたから…嬉しかったですね。
—起伏があるというか…七転び八起きというか。
VOCAでは賞は獲れなかったけど、出展できてとても光栄でした。で、その後、去年の六月に韓国であった国際アートフェアに、京都の画廊さんが出展してくれたんですね。そしたら持っていった絵が完売して、問い合わせがいくつも来たっていうんですよ。
—おお!
実際に売れたっていうのは嬉しかったです。どうやら、国内よりも海外の方が評価されるって事みたいです。今も色んな話がきていて…とりあえず絵を描けば売れる、という状態にはなりました。
—絵を描いて売る…シンプルだけど、難しいんですね。
今の描き方だと、一点を仕上げるのに三ヶ月はかかるんです。でも、クオリティは落としたくない。内容がある絵を、いかに安定して描けるかが、これからの自分のテーマですね。とにかくガンガンいくぞ、って気持ちです。まだまだ人並
みに稼げてないって気持ちも強いし…自信があったり、なかったりです。まだまだ頑張らないと…。
—うーん。紆余曲折があって感動的ですね。でも別に人生のフィナーレを迎えたわけじゃないし…延々と作家としての苦労は続くのかもしれないけど、それが宿命って事なのかな。最後に、このアトリエについての中山さんの想いを聞かせてください。
…この場所は…なんだか時間がゆっくり流れてて、やっぱり好きです。辛い思い出もいくつもある。何度一人で泣いたかわからない。でも、これからも、岡沢先生から引き継いだこの場所で、教室をつづけながら絵を描いて…出来たら若くてこれから描こうって人に、勇気を与えられたらって(笑)…なんかはずかしいですが…そんなことを思ってます。

苦節…何年なんだろう。ひたすら自分が信じる道を貫いた結果、画家としての中山さんが居る。聞いていて感じたのは、それを長野で、たった一人で成し遂げることの難しさだ。外的刺激の極端に少ないこの街で、何度も躊躇い、方向を見失いかけながらも、誰にも頼らず作品と向かい合ってきた中山さんは、謙虚だが底知れぬエネルギーを持った人だと思った。為せば成る、為さねば成らぬ何事も…なんですね。
*長野SNSプロジェクト発行のArt & Life Magazine「季刊 N」vol.2 「制作の現場~長野で暮らし、つくる11人の話」に中山徳幸 さんのインタビュー記事が掲載されています。ぜひご覧ください。 詳細・入手方法はこちら
長野SNSプロジェクト発のArt & Life Magazine「季刊 N」vol.2 「制作の現場~長野で暮らし、つくる11人の話」に中村眞美子さん、中山徳幸 さんのインタビュー記事が掲載されています。