N[エヌ]発行のオンラインマガジン|N-gene[エヌジン]
制作・編集/ナノグラフィカ
勝山ゆかこ 制作年不明 石粘土
かつやまゆかこ [その他]
1975年長野県須坂市生まれ。長野市在住。
絵、オブジェ、インスタレーション、写真、イラストなど、手段・手法にとらわれず独自の切り口で創作活動を続けている。2006年から新たにハンドメイドの彫金ブランド百文[ momon ]を展開。
momon | Yukako Katsuyama
百文[ momon ]
Ricky
〜勝山ゆかこインタビュー [後編] 〜
ー勝山さんの絵は何かを写生しようという絵ではないですよね
子供の頃はそっくりに描かなきゃいけないって教えられて、それを真剣にやってましたね。だんだん変わってきたんです。すごく観察してそっくりに描くことはできるんですけど、観察すればするほど、実際はそうじゃないんじゃないかって思い始めたんです。たとえば、花を描いてても、花びらの側面とその隣にある空間が繋がっているように感じてきたんです。その境目は肉眼では確かに存るんだけど、それは私という人間の視点であって、本当は境はないんじゃないかって思ったんですよ。21くらいのときかな、境は必要ないって。それまではわりと写実的だった。
ーじゃあ、絵を描く、つまり平面上になんらかの形を取る根拠っていうのはどのへんにあるんですか?何をそこに描こうと思うんですか?
たとえば雲とか、ずっと観察し続けて、雲の流れや形を全部忠実に描き写してくと見えてくるものがあって。書道で言う「入って抜けて」なんですけど、そういう美しい自然の流れっていうのはほとんど全部一緒なんですね。音楽も一緒。書道も一緒。美とされているものは一緒なんだって思ったんですね。
そうなると、絵を描くことや表現することが自分にとっては哲学みたいになってきますね。絵とは?っていうところから入って、こういう、自然界の物体とは?ということになってく。そういう自然の波動だったりとか、絶対的な元のものを表現したくなってきて、だんだん形はなくなってきました。
ーあのオブジェもそうですね?なんかこう、向き合って波動を出し合っているっていう。あの形をとってるけど、ひょっとして、人間もそういうふうに見えますか?
見えてますね。もうそんなふうにしか見えてなかったですね、以前は。嫌いだったんで、人間は。その、何かいい波動を出すんじゃなくて、いがみ合ってたりとか、そういう波動しか見えて来なかったんで。なんて言うんですか?セキュリティーのこういう赤い光線、ああいうかんじだったんです。しがらみっていうか、どこを触ってもいやなことばっかりがあって。
ー仕事がお休みの日とか、何してました?
なんかずっと絵を描いたりしてましたね。
ーオブジェとか、ああいう作品も?
作ってましたね、絵を描くのと同じような感じで。部屋の中はいつもガラクタだらけでしたね。会社の上司も、いらないものをくれるんです。シュレッダーで業務用の紙とか、出るじゃないですか。「持ってくか?」って言われて「持ってきます」ってもらって来るんです。別に何かやってるって知ってるわけじゃないんですけど、ちょっと変わったヤツだっていうのはみんな知ってて(笑)、いらないゴミが出ると「持ってくか?」って。
ーベニヤ板に描いた絵があるじゃないですか。あれは、なんで板に描き始めたんですか?
最初は、単純にキャンバスが高かったからなんです。キャンバスって、高くて完成されたものじゃないですか。あるときふと、この商品として完成されたキャンバスを越えられる絵ってわたし描けるの?って思っちゃったんですよ。キャンバスはキャンバスのままもう完結した方がいいんじゃないかって。
で、ベニヤ板だったら大きさも自分でノコギリで切れるし、いらなくなったら燃やせる。最初はそんなところから入ったんですけど、実はベニヤ板に描いた方が照りもいいし、だんだんキャンバスに描くよりも好きになりました。
ーそこで、紙とか、いろいろ試すんじゃなくてベニヤ板に行ったのはなぜですか?
力強さかな。オイルも結構使うんで耐久性とかも。布に直接描いてみたこともあったんですけど、うまくいかなくて。布って思った時に、すぐ部屋にあるもので、カーテンに描いてみたこともあるんですけど。
ー彫金をやろうと思ったのはなぜですか?
いろいろな仕事をしながら、ずっと作品を作ってきたわけなんですけど、どっちもなんか、仕事にしても作品を作るにもプロじゃないし、プロとして何かをやりたいって思い始めたんです。プロっていうのはつまり、お金が発生するもので、お金になるもので表現しながらできるものはなんだ、って考えた時に、たまたまそれが彫金だった。
ー仕事として成立させようっていうのが最初からあったわけですね?
そうですね。でも、本当に最終的な目標は、発言権が欲しいんです。少数派はいつも取り上げてもらえなくて、みんなと同じ意見の方に絶対流れるんですよ。いつもそれを疑問に思ってて、自分のアイディアは結構いいアイディアだと思ってるんだけど誰も聞いてくれないって。だけど、いつか発言権を得られたら、それを言いたいって、言わせてくださいっていう、言う場が欲しいっていうか。何かの実績があれば、多少は、まったくはじいてた人も多少は耳を傾けてくれるかなって思って。
ー発言権ですか。それは何か具体的なことを目指してのものなんですか?
最終的には、言い方はちょっと違うんですけど、ボランティアのようなことじゃないかと。なぜか常に、精神的に悩んでいる人とか、貧しい国にたまたま生まれちゃって生活が出来ない子供たちをなんとかしてあげたいっていう気持ちがあったんです。ボランティア活動をしたいっていうかんじとはちょっと違うんですけど。
一時期、親に相談したことがあるんですね。給料を全部寄付したらいいんじゃないかって言われて、それはできないって思った時に、自分の考えてることは偽善なんだろうかって思ったんですけど、でもやっぱりそういうことじゃなくて。
今はお客さんが結構来てくれて、会社でこういう悩みがあるんですっていう話までなぜか行ってしまって、私も結構経験がある方なんで(笑)、そういう相談にのってることの方が商売していることよりもすごく嬉しくて。「あ、役に立てた」みたいな(笑)。
ー今の日本の社会って勝山さんにはどんなふうに写ってるんですか?
なんか、やっぱりお金持ち優遇の社会の延長に歪んでしまって、それが子供達にも影響が来てて、歪みに歪みきってるって感じます。
私、小学校の頃から日本はもう終わりだって思ってたんですよ。日本から脱出しなきゃって。日本を動かしている人達のやってることが到底正しいことだと思えなくて、この人達が動かしているんだったらもう日本は終わりだと思ってましたね。
で、社会人になりたての頃は、大人の社会はきっと大丈夫、日本のトップがああであっても、小さな社会を見れば、大人の人達はきっと大丈夫って思ってたんです。けど、就職して知ったのは、子供よりひどい世界だったっていう。もうどうしようもないなあと思って、24ぐらいのときに、わたしはもういいと思ったんですよ。絶望しちゃったんですね、憧れてた大人の世界はないんだ、もっと歪んでるんだって、もう死にたいって。まあでも、ただ死ぬのもなんだからって旅に出たんです。ニュージーランドに行って来たんですけど。
ーニュージーランド?どういう経緯でニュージーランド行ったんでしょうか?
なんで行ったんですかねえ。別に理由はなかったと思うんですけど、どこでも良かったんですけどね。衝動的で、もう保険とか一切みんな解約して有り金ぜんぶ持って行ったんです。帰って来ようっていうつもりもなかったですからね。2、3週間くらいいたのかな、ちゃんとしたホテルじゃなくって、だいたい、停まってる車に潜り込んだりとか、安いところで相部屋で寝たりとか、そう、公園の水道で頭を洗ったりしながら、転々と、一周、まわってきました。雄大な、壮大な大自然で、やっぱりこっちの方がいいなって思いましたね。動物になった気分。
ーそこで何か、絵を描いたりとかはしてましたか?
描いてましたね。画材は持って行きましたね。それでやっぱり木の板が必要なんで木工所を探して、探したけどなくて、お店の人に教えてもらって訪ねて行って、木工所の人に「どんなのがいいんだ?」とか「こういう素材だけど大丈夫なのか?」「どのくらいの大きさに切るんだ?」とか、なんかそういう、向こうの人達との会話の中で、やっと「あ、人っていいな」って思えたんですよ。
郵便局に行って分からなくて困ってたら、なぜかおばあちゃんが手伝ってくれたり、世話を焼いてくれるんですよ、みんな、言葉もわかんないのに。そこがすごく良くって。木工所の人も、この板を3等分にしてくれって言ったら、ああいいよって切ってくれたんですけど、手元に来たらぜんぜん3等分じゃないんですよ。ばらばら(笑)。3枚だけど、等分にはされてないんですよ。ああ、このくらいでいいんだなあって思って。この適当さでいいんだって思って。
ーニュージーランドで救われて良かったですね。
ほんっとに良かったですよ(笑)。そこから、再出発ですね。
で、ニュージーランドの後にフランスとグアムに行ったんです、ほとんど同時期に。まったく文化が違うじゃないですか、かたや理屈っぽい文化を重んじるような、かたや裸でチャモロダンスしてるような、全く異文化で。けど、実際に行ってみたら、あ、同じなんだって思ったんですよ。たまたまこっちはネクタイしてるけど、こっちはたまたま裸なだけで、でも、一緒なんだなって思ったんですよ。そこに境界線みたいなものはやっぱりないんだって。
ーそれは、何でそう感じたんですか?
なんでですかねえ、なぜ思ったのかはわからないんですけど、踊ってる人達の顔とか、まあ、踊ってるとこを見てたらそう思ったんです。ただ脳天気に踊ってるわけじゃないんだっていうか。
フランスに憧れはあったんですけど、街の造りとか、街全体を、そこに住んでる人が楽しんで愛してるのであれば理想のところだって思って行ったんです。けど実際は、もちろん街はすごく良くできてるんですけど、すごく貧富の差が激しくて、パン屋さんの前でパンをせびってる女の子とかいっぱいて、あ、楽しいばっかりじゃないんだなって思ったんですよ。
だけど、自分はお金を持ってる人にも持ってない人にも、みんなに平等でありたいから、理想は無料で、無料で何かを提供したいっていうのが理想なんですけど。お金がないからこの曲が聴けない、とか、お金がないから絵が見れないって、そうじゃないじゃないですか。
ーどんな世の中が理想で、どんな世の中になって欲しくて、自分は何をしていたいですか?
自分は貧乏でいたいですね。貧乏で絵を描いたりして、物々交換をして生活したいですね。困ってたらお米作ってる人が「じゃあ、お米あげるよ」って、「じゃあ、その絵あげるよ」みたいなかんじの(笑)。
ほんとうの意味で助け合える世の中がいいと思います。だからみんながもっと貧乏だったらいいなって思います。もっと野生に近い、でも、高等動物だから、絵も描けるし、字も書けるし、言葉も交わせる。なんか、ちょっとやっぱり、人間はもうちょっとアタマ悪くても良かったんじゃないかなって。それか、もっと突き抜けて本当に良ければ、戦争なんて起こす必要もないし、みんながもっと平和に生活できるように考えることがいくらでもできるじゃないですか。必要なものってそんなにないと思うんです、生きていく上で。
多岐にわたる表現の変遷を伺っているうちに、とても大きなアイディアの話になっていました。もしかしたら理想という部類に入るアイディアではあるけれど、世の中のすべてが幸せであって欲しいという、本当にみんなが持つべき気持ちです。自分だけが良ければいいのではなくて、自分が良くあるためには全体も、みんなが良くなければ世の中は歪んでしまう。お話を伺った彼女のアトリエは、片隅に彫金のための作業台があったり、壁には作品が無造作に架かってたり、漆黒のちびっこい愛犬が控え目な愛くるしさで出迎えてくれたりします。一杯のお茶でずいぶん長居をしてしまいました。(インタビュー・構成:宮内俊宏)
長野SNSプロジェクト発のArt & Life Magazine「季刊 N」vol.2 「制作の現場~長野で暮らし、つくる11人の話」に中村眞美子さん、中山徳幸 さんのインタビュー記事が掲載されています。