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2006年12月06日 03:32更新/執筆者:宮内俊宏 写真:平松マキ

2006年10月28日(土曜日)ー 長野発地域SNSサイト・N-sns、オープン。
街にアートの足跡を置くイベント・N-ex1 SHOW CASE N、はじまる。
11月4日(土曜日)、8日間の開催最終日ー さまざまな表現分野からアーティストが集まり、
ライブパフォーマンスを実践。そして、街に浸透するアート&ライフマガジン・季刊N、創刊。
特集:[N-ex1] SHOW CASE N を記録する 〜前編〜
10月28日。長野市、善光寺の門前にある「西之門よしのや」の酒蔵に、その時点で僕たちが理想と思えるいろいろなものが集められました。いろいろな分野で活動している、いろいろな人達のエネルギーが集まりました。人々の気持ちを少し楽しくさせる様々な表現、アートです。
アートは美術館の中に展示された作品や現代美術ばかりを指す言葉ではありません。人々の生活や街の出来事と一緒にある、いろいろな表現を指すべきだと思います。その中で、気持ちを楽しくさせたり、幸せにしたり、新しいアイディアを生んだり、生活を少し豊かにするものをアートと呼ぶのだと思います。そんな役割を持ったアートは、実践するために技術や理論はもちろん大切ですが、それよりも、アートに向かう衝動や姿勢が重要だったりすることが多いと思います。人を感動させる一番の元素は人の発するエネルギーだと、イベントがオープンしたばかりの酒蔵で感じました。
このイベントは、美術、雑貨、服飾、音楽、食、いろいろなアートをひとつの場所に集めたものです。あまり秩序の整ったものではなく、開けてみてはじめて姿がわかるような、どこへ飛翔するかわからない出来事だったと思います。最初から整頓されたコンセプトがあったわけでもありませんでした。頭の中のどこかに像を結んでいた理想の形だけを頼りにイベントをつくっていったのです。そのために、制作プロセスで何度か混乱が起き、再解釈が繰り返され、開催期日という時間の制約に直面しながら、綱渡りのようにアイディアが繋がって、ほころんで、膨らんでできたイベントだと思います。
nana*t というクリエイター集団があります。「普通の生活」を視点の中心に置いたアートワークを続けているデザイナー、イラストレーター、クラフトデザイナー、5人のチームです。開催期日が迫る中で、中途半端にまとめてしまうことなく、展示の動機、目的やコンセプトを徹底的に検証し、イベントの役割を正確に表現する方法を構築してくれたのが nana*t でした。特に「100人のちぎり絵展」という途方もなく手間のかかるプランを実行して、酒蔵の中を面白い、エネルギーの高い空間にしてくれたのは、今回のイベント最大のハイライトでした。

【100人のちぎり絵展】
古い木造の酒蔵に144の作品が展示されました。アーティスト、デザイナー、ディレクター、写真家、編集者、美容師、など、いろいろな分野で、長野を拠点に表現や情報を発信している人達の作品です。
長野県飯山地方の伝統工芸である「内山和紙」。少し生成りの暖かい厚みを持った和紙でできた色紙サイズの台紙に、いろいろな紙をちぎったり、切ったり、貼ったりして、「NAGANOといえば」というテーマで自由に形づくられた作品群です。それぞれが思い思いに、本当に個性的なアイディアを凝らして、ひとつとして似たような作品がなく、丁寧にエネルギーをかけて作られていました。それが、144作品もあるのです。開催前日、準備の終わった「ちぎり絵展」の中で、僕は体の中からじんわりと熱い何かが湧き上がってくるのを感じました。
最初にこのプランを聞いたとき、途方もないアイディアだと思いました。言葉にすると「100人のちぎり絵」というわかりやすい名称になるのですが、そのためには百数十人の候補者を考え、みんなが共有できるコンセプトを考え、趣旨の説明、依頼から参加の確認、膨大な資材を用意して、制作のための段取り、収集した作品の展示に至るまでの詳細な運用を整えなければならないのです。nana*t の5人が発案・実行したこのプロセスは、それだけでもかなりのエネルギーとアイディアが注ぎ込まれているのです。
ここに集まったのは、その強いエネルギーに反応して集まった144人の表現者の、更に純度を増したエネルギーやアイディアなのです。そんな、長野に対する愛情に満ちた強いオーラに満たされた酒蔵。たぶんその空気に触れて、僕はじんわりと感動したのでした。

【SELECT N】
「100人のちぎり絵展」が展示された酒蔵から奥の通路にかけて、3人の作家の作品が展示されました。糸崎公朗、玉井健司、宮下ちとせ、それぞれ独自な方法で美術作品を制作している人達です。
今回出展された糸崎さん作品は「ツギラマ」という写真コラージュ。糸崎さんは「非人称芸術」という概念を提唱しています。これは、誰かの制作意図に沿って作られた芸術ではなく、世の中に既に存在する物体の中に芸術性を見出す、というアイディアです。その対象物体が存在することにおいては、通常のアート作品と違って、アーティストの制作意図が介在しないので、非人称という言葉が充てられます。けれど、その物体は万人が共有しうる芸術性を帯びていて、人は想像力によってそれを発見するのです。
つまりこの表現は、見る人の感受性を徹底的に信頼した方法で行なわれていると言えます。人間の創造を超えたところに存在し、それを見出すための能力が人間に備わっていることを信頼して初めて成立する、普遍的なアートです。あくまで個人的な理解ですが、非人称芸術は人間が創作したものではないけれど、人間の想像力との密接な関係によって成立するのだと思います。やっぱり人です。人の自由なイマジネーションが大事だということ。
ツギラマは、そんな街の物体をデフォルメされた写真で捕えてコラージュすることによって、その風景の中にある非人称物質の美しさをわかりやすく見せてくれるのだと思います。これは面白いです。眺めているうちに、僕は子供の頃の感覚を思い出していました。寒い冬の朝、寝ていた部屋の薄っぺらい窓ガラスにできた山水画のような霜の結晶や、工事現場に転がったスコップにこびりついたコンクリートの山岳地帯、近所の貯水槽に嵌め込まれた錆の広がる鉄扉なんかを前にして、いろいろな物語を想像しながら遊んでいることができた子供の頃のこと。通路に沿って並んだ数点のツギラマ作品は、そんな楽しい記憶を再構築してくれました。
ちぎり絵が展示された酒蔵の一番奥の飾棚に玉井さんの写真がありました。今回玉井さんが出展して下さった数点の写真の中でも、僕はここに展示された写真が特に強く印象に残りました。山に登り、切り立った岩のピークにフェンスを設置し、それを下から、空へ向けて撮影した写真です。そこに聳え立つ岩壁が希望へ向かっているように見えたのです。写真という、きわめて写実的な表現であり、思考だけでそれを見た場合は「この行為や構図に何の意味があるのか」というところで止まってしまうかもしれません。けれど、もう少し気持ちを緩めて眺めてみると、カメラのアングルや、岩肌の表情、空の色や光の具合が総じて、この写真は希望へ向けて飛んでゆくように見えるのです。けして写真がそういう説明をしているのではありません。どうやら、勝手に僕がそう感じるのです。
最終日、玉井さんは漬物と朝摘み野菜を使ってインスタレーションを試みました。その日の朝に畑で取れた瑞々しい朝摘み野菜は、玉井さんの手で少しずつ形を変え、組み合わされて、とてもおいしそうなサラダのようなオブジェになったのです。「お菓子の家」を思い出しました。お菓子ではなくて野菜ですが、なんだかおいしそうな物体がそこにあって、手に取ってかじることができるのです。これをもう少し日常的に行なうと、おいしい料理の盛付けになるわけですね、きっと。そして、そんなことから人の気持ちが少し豊かになる。料理がアートである所以です。
そのインスタレーションの手法からも窺えるのですが、玉井さんは、最終的にその表現がどういう形を取るのかわからない、既定をしない、という所に自分を置いて対象に向かっているようです。そのときどきの対象との関係に反応してその場で発想したことをそのまま働きかける、とう方法なんだと思います。それは、もしかしたら、糸崎さんの非人称芸術と共通する部分でもある、そこに存在するものに新しい想像の種を植えつける作業かもしれません。

宮下さんの最近の絵画作品は、重い、暗い色相、ごつごつして尖った整っていない形が描かれています。色がほとんど使われていない大型の絵は古い酒蔵の壁にとても親和しながら、異質なものがそこに混在しているような雰囲気も感じられます。違和感です。僕は小さい頃ブリューゲルの版画作品が大好きで、そこに描かれた無骨な人間の暗い表情や怖い感情、安穏としていられない寒々とした景色を、作品として、あるいはその一部として、今でも鮮明に脳裏に思い浮かべることができます。うわ、だいぶ暗い子供だったんですね、きっと。そんな経験があるせいか、宮下さんの作品には最初から共感を覚えました。
宮下さんを知ったのは映像作品が最初でした。nana*t のアオキタカエさんと宮下さんが共催したフィルムフェスティバルに出品された「原視」という2003年の映像作品です。暗い穴蔵の奥の方で、生命体みたいなものがゆっくりと漂うように動いている。それは、体の中の何かを見ているようでもあり、宇宙の片隅で緩やかに変化しながら変動と安定を繰り返す、何だろう、自然の大きな流れを感じたのです。その映像もモノクロームでした。
宮下さんの初期の絵画作品は色が多く、はっきりと大胆でカラフルなものでした。そこから現在のモノトーンに近い作風に移って行った経緯には真摯な表現者としての考察があり、シンプルに、自然に、そこにあるものの本質を取り出して描いてきた結果がこうなっているようです。そこにはとても独自性の強い形が生まれていると思います。
宮下さんは玉井さんとともに、最終日にインスタレーションを披露してくれていました。彼女の場合は創作菓子です。会場の真ん中に設置されたお菓子のショーケースからは、甘い心地よい香りがあたりに流れて、その場を少しあったかい気分にさせてくれていました。けれど、そこにあるのは普通のクッキーやメレンゲのような、ほんわかした形のお菓子ではなくて、彼女の絵画や映像作品にも通じる原始的な形を取っているのでした。このお菓子にはレシピもちゃんと付されていたようです。イベントが終わるまで、楽しそうに人だかりができていました。
さて、酒蔵の奥、糸崎さんの作品が展示された通路のさらに奥、会場のいちばん奥の部屋には「nana*t land」という遊園地ができていました。nana*tという高いエネルギーを発するクリエイターチームが、とんでもなく楽しい信じられないような創作活動の成果を展示していたのです。この部屋で何があったのか、そして、8日間に渡って行なわれたイベントの最終日にここで展開されたライブ・パフォーマンスの様子は、来週、SHOW CASE N を記録する 〜後編〜 でお伝えします。
〜つづく〜
