N[エヌ]発行のオンラインマガジン|N-gene[エヌジン]
制作・編集/ナノグラフィカ

2010.03.10更新
あれ? と思った。
博武は手持ち無沙汰で見ていた
分厚いソングリストから目を上げた。
歌っていたのは彩花だった。
きゅんきゅんした。
それまで彼女を意識したことはなかった。
「昨日カラオケ誰と行った?」と聞かれて、
最後にかろうじて名前をあげる程度の存在。
お目当ての女の子は来ていなかったし、
退屈で歌う気もしなくて、
来なければ良かったと思っていた矢先だった。
荒井由美を歌う彩花がかわいく見えた。
慣れないマイクの持ち方、
微妙に外れる音程、
必死に歌うその姿、
でも、すごく力を抜いて楽しそうに歌っているようにも見えた。
その瞬間好きになっていた。
彩花とまともにしゃべったこともないのに。
決して好みの顔立ちではないのに。
まったく彩花のことを知らないというのに。
だけれど、それは人を好きになるには十分な理由で、
付き合って結婚して子どもをつくって育てて、
死ぬまで添い遂げることだって有り得る。
恋は単純で、深く。
恋は一瞬で、一生。
BGM/やさしさに包まれたなら
2010.03.09更新
自殺することばかり考えていた良太に、
「死ぬくらいなら私と世界の果てに逃げましょう」
と祐子が言ったのは、夢。
そのくらいに愛し合っていたふたりは、
やはり夢から覚めて、
お互いの家族の下に帰った。
誰も傷つかなかった恋は、
やはり多くの人を無差別に傷つけた。
それを知ってもなお、良太はまた夢を見て、
祐子に会いたいと願う。
もし、もう一度会えたとしたら、
名前を消して、彼女と暮らしたい。
八畳ほどの小さな部屋で、
薄っぺらい布団に身体を寄せ合ってはいり、眠る。
現実のすべてを忘れて眠る。
だが、おそらくすぐに目が覚めて、
良太も祐子もお互いを選んだことを後悔する。
だけれど、もう逃げ場はないのだ。
そこは世界の果てだから。
そこで愛は腐る。
そして、お互いをののしり、蔑み、
かつての家族を思い出して、歌う。
「また逢う日まで」。
もう二度と会うことができないのなら、
それはおそらく、美しい恋。
BGM/また逢う日まで
2010.03.08更新
亜子にとってニール・ヤングというおっさんはいなくてもいい存在。
しかも大の風呂嫌いというじゃないか。
あまり好感が持てない。
だけれども、彼氏のクリスは酔っ払うと
ニールのライブDVDを無理やり観せる。
夜中の2時に亜子はたたき起こされて、
フジロックでのライブを観させられた。
「ここ、ここでギターが泣くっ。ううっ」
クリスは顔立ちこそ外国人だが、
生まれも育ちも東京都江戸川区である。
現在はおやき製造工場で働きながら、
長野市で亜子と同棲しているのであった。
「ガイジンガイジンっていじめられてたとき、
この曲に救われてさー。
ああ、ニールの歌声って
なんでこんなにやさしいんだろ」
亜子にとっては迷惑以外の何者でもない。
でも、最後にいつもクリスはギターの轟音で大粒の涙を流す。
多分きっと、クリスにとっては絶対に必要な存在なんだなと、
許してしまうしかない亜子なのであった。
2010.03.07更新
「えいじの芝居には悪い人が出てこないじゃん。
だから、イマイチなんだよ」
ともみに言われて凹む。
たしかに世の中は嫌なやつばかりだ。
告げ口するやつ、手のひら返すやつ、金に汚いやつ…。
でも、たぶん、自分が一番嫌なやつだと英二は自嘲する。
「悪いやつ見ても嫌な気分にしかなんない」
わかってないというように、
ともみは深くためいきをつく。
「いい人を生かすための悪い人なわけ。
なんで素人のあたしがこんなこと言うかなー」
「素人がいるからのプロってわけね」
「なんかその言い方、むかつく」
ポールがいるからジョンがいる。
キースがいるからミックがいる。
マーシーがいてヒロトがいる。
真央ちゃんより断然キム・ヨナが好きだけど、俺。
死があるから、生があるんだ。
いつまでもあると思うな。
いつかなくなるから儚いんだ。
あいつなんか、万力でひねり潰してやるわ。
BGM/Dear Prudence
2010.03.06更新
「変なことしようとしたら鉄拳食らわす」
昨日から陽太の部屋に転がり込んだ祐希は
女の子らしからぬ発言をするのだ。
「女の子らしさって何よ。ばかみたい」
そう言って肩にパンチをお見舞い。
地味に痛くて陽太は顔をしかめる。
「暴力反対」とつぶやいて、また一発。
「ユキって、ジャガー横田みたいだ」
「それ、どういう意味? 失礼じゃない?」
「てゆうか、その発言の方が、失礼だと思う」
尻に敷かれるような関係を、
陽太は嫌がっていない。
でも実は言うべきときはビシッと言う立ち位置に憧れる。
あくまで憧れ。
そんなわけで昨日から祐希と同棲生活が始まった。
付き合っているわけではない。
陽太は祐希のことが好きだし、できれば結婚したい。
祐希はどう思っているのか……。
「仕事辞めてお金ないから居候させて」
そう言って陽太と暮らし始めた彼女の心を、
陽太は掴めずにいるのだった。
BGM/Since Yesterday
2010.03.05更新
もうどうでもいい心境で、
仕事を休んで、
子どもが泣いていようが、
台所に2日分の皿が溜まっていようが、
借金取りがドアを蹴ろうが、
布団のなかに閉じこもって息を潜めた。
中学生の頃、友永くんに録音してもらった
カセットテープをウォークマンで聴きながら。
テープは十数年経過しているせいで劣化がひどく、
ノイズが入ったり、スローになったりした。
テレビは1日中つけっぱなしで、
トイレに行くときに、5歳の子どもが餓死したニュースを見た。
別に何も思わなかった。
妻が帰ってきたのがわかったが、出迎える気力はない。
彼女もそれをわかっているので、何も言わない。
部屋にすら入ってこない。
いつの間にか少し眠った。
夜はまともに眠れないから、いつだって眠かった。
妻が私を蹴るので目を覚ました。
「もういい加減にしてよ」と泣いていた。
妻ですらそういう態度であるので、
私の気持ちなど誰もわかってくれないのだなと、
ようやく悟ったのである。
BGM/Tourette's
2010.03.04更新
「なんなの? もしかして初めて?」
咲和が冷えた声で言い放つ。
俊貴に返す言葉はない。
入れる前に終わってしまった。
「初めてなんかじゃない」と言い返したかったが、
あのときだって同じ結末だったのだ。
違ったのは女の子だけ。
薄暗かった部屋を真っ暗にして俊貴は浴室に閉じこもった。
咲和の金切り声が聞こえたが、
シャワーを全開にしてかき消した。
シャワーは冷たい水。
もっと冷やしてほしかった。
再び大きくなったそれを慰めて、ため息をもらす。
何が恋で、恋が何かわからなくなった。
ちょっと言い過ぎたと、
咲和が裸体をさらけ出して浴室に入ってくること期待した。
だけれども、いつまでたっても来なかった。
浴槽のお湯は冷めかけて、
さっき泡立っていたそれはとっくに弾けて消えていた。
恋は多分、服を脱ぐまでだ、と俊貴は思う。
でも、できれば、その先を知りたい。
BGM/トラウマティック・ガール
2010.03.03更新
全然思い出せない。
輪郭、
手のぬくもり、
声、
風、
ミルクティー、
赤いベンチに座って話したこと、
井の頭公園を歩いて幸せな気分になった理由、
マクドナルドのハンバーガーでさえも一緒に食べるとおいしかった、
プレゼントしたもの、
プレゼントされたもの、
メール、
手紙、
背中、
肌、
靴、
白、
赤、
匂い、
汗、
自転車、
甲州街道、
好きだと告げたときの緊張感、
あの雨の日のアスファルトの色、
空の色、
カメラのレンズ越しに見た姿、
すっぴん、
乳房、
気まずくない沈黙、
浮気心、
裏切られた感、
遠距離の苦痛、
近すぎて普通、
寝顔、
寝息、
手のひら、
欠陥、
割り勘、
ミートスパゲティ、
ホテルの部屋に描かれたイルカの絵、
吉祥寺、
当時のヒット曲、
中央線、
さよなら、
きみならと思った決意みたいなもの、
酔っ払った顔、
笑い声、
瞳、
下の名前、
花束、
チョコレートケーキ、
犬、
動物園、
水族館、
夜、
公園で乾杯、
芝生に寝転んで、
初めてのキス、
嘘、
KIMOCHI、
全部思い出せる。
2010.03.02更新
魔がさしたとは言わないけれど、
あのときの僕はどうにかしていて、
ただ自分の欲望を満たすことしか頭になかった。
きみがどう思うかなんて考えられなかったし、
いや、正直に言えば、きみが傷つくことは簡単に想像できたけれど、
バレなければいいだなんて、浅はかにも思ってしまったんだ。
きみが出ていってしまって、
部屋はすっかり寂しくなって、蛍光灯はきれるし、
パソコンも急に重たくなった。
テレビの映りは相変わらず悪い。
「地デジのテレビなんかいらない」と言ったけれど、
あれはきみがいることを前提にした話で、
きみなしでこの部屋にひとり、
テレビもないまま暮らすなんて不可能だ。
ひとりが寂しいから帰ってきてくれ、なんて言わない。
きみがいないと寂しいんだ。
僕は間違いをした。
もしかしたら一生償っても償いきれない過ちかもしれない。
それでもどうか許してほしい。
僕は死んでもきみにしたことを後悔して生きるよ。
だからねえ、帰ってきて、タイガー。
BGM/Chega de Saudade
2010.03.01更新
部屋中をバースディケーキまみれにして、
南帆は泣いたのだ。
壁のジーン・セバーグは
生クリームの涙を流して微笑を携えている。
柊人はいつも南帆のヒステリックに手を焼いている。
たしかにそんな彼女に苛立ちもするが、
決して怒鳴ったり、叱りつけたりはしない。
南帆が小さな子ども以上に、
感情のコントロールができないことをわかっているからだ。
気分が落ち着くと南帆は
「こんなダメなわたしでごめんなさい」とつぶやいた。
「ソウイウトコロガスキナノデス」と柊人もつぶやく。
ふたり見詰め合ったら思わず吹き出して、
どちらからともなく、ぎゅうっと抱き合った。
「大人になりたい」
「どうせならダメな大人になりなよ」
「そんなのやだ」
柊人が買ってきたシャンパンの瓶が倒れて、
テーブルどころか絨毯も濡らす。
南帆は瓶に残ったシャンパンをラッパ飲みして言った。
「さっき、22になった。もうおばちゃん」
BGM/Birthday Cake
2010.02.28更新
日比谷線日比谷駅ホーム。
電車の走る音、遠くから。
博美と正児の距離、友だちでもなく、恋人でもない。
「ごめん、付き合うとか、そういうの考えられない」。
電車の音がさっきよりも近い。
無言。
イヤホンをした制服姿の高校生がふたりの前を通る。
彼の持っているかばんは土っぽい。
野球部っぽい。
「あ、いいのいいの。そう言われるのわかってたんだ」。
向かいのホームでケバケバしい格好の女ふたりがバカ笑いしている。
「まじでうけるんだけどー」。
その女たちは若いように見えて、よく見ると案外年をとっている。
色褪せたベンチには誰も座っていない。
ホームに電車がやってくるというアナウンス。
泣きたいような気持ちなのに、
無理をして笑顔をつくる正児。
線路の暗がりをねずみが走る。
誰も見てはいないが。
風が吹く。
電車が来る。
「自分の気持ちにけじめをつけたくて。
それだけの理由でこんなこと言ってごめんね」。
無言。無言。
博美はうつむいている。
ただ黙って電車を待った。
BGM/ラプソディー
2010.02.27更新
色があり、匂いがあり、音があり、言葉があり、感覚がある。
だがそれは、まやかしで実体などないのである。
お前が見たり聞いたり感じたりしてきたことは、全部嘘。
真実などないし、存在すらもない。
ただそこにお前があるのみ。
しかしまた、お前は存在しない。
ばかげていると思わないか?
生きることの苦しみから逃れようとすることが。
生きることの醍醐味を少しでも味わおうとすることが。
存在などしないのだ、苦楽というものすら。
ただそこにお前がある、それだけのことである。
同時にお前だけがいない、それだけのこと。
生まれてきた意味?
笑わせるな、お前は生まれてなんかいない。
お前の身体だと思っているそれは存在しない。
肉体にとらわれるな。
目に見えたり聞こえたり、触ったりできるものに惑わされるな。
ぎゃーてーぎゃーてー騒ぐな。ただそこにいろ。
そこにいないのに、そこにいろ。
BGM/般若心経
なかがわよしの
長野市在住の一労働者。年齢は30歳付近か。経歴は明らかでないが、かつて東京・長野にて雑誌編集に携わり、現在はやはり紙関係の仕事をしているらしい。重度のロックファンで、渋い音楽イベントをオーガナイズしていた事もある。
…原稿用紙一枚の上に浮かんでは消える儚いドラマをお楽しみ下さい。(文・N編集部)
10年3月14日(日)
「傘に、ラ。 vol.10
~僕たちはフィッシュマンズを聴いて育った~」
*フィッシュマンズのみをかけまくるカフェバー・イベント。
もちろんリクエスト受け付けます!
フィッシュマンズを愛してやまないアーティストによる
演奏、パフォーマンスもありますよ。
17:30開店、23:00閉店
@ネオンホール
入場料 ¥1,000
(すばらしくてナイスチョイスなソフトドリンク付)
ゲストライブ
オサカミツオ、
SLOWLIE、
なかがわよしの、
bubblesweet ほか(50音順)
10年3月21日(日)
「傘に、ラ。 vol.11 ~つぶやいて、なんになる~」
23:00~23:30
@twitter
10年4月18日(日)
「傘に、ラ。 vol.12
~Do You Believe Love?~」
開場14時
開演14時30分
@:長野県町教会
入場料:¥1,000(予価)
客人:井原羽八夏、
エイトヤマザキ
10年7月3日(土)
「傘に、ラ。
~今に生まれて今に死ぬ~」
@ネオンホール
出演:outside yoshino
タテタカコ
詳細後日発表