N[エヌ]発行のオンラインマガジン|N-gene[エヌジン]
制作・編集/ナノグラフィカ

2010.09.10更新
次回は9.11satに
7話分を更新予定です。
現在、入院しております。
御用の方はツイッターで
メッセージください。
病状により返信できない場合があります。
ご了承ください。
http://twitter.com/nakagawayoshino
なかがわよしの拝
2010.09.10更新
明明はそんななか
海底の岩陰に潜む深海魚のように息を潜めていた。
隣の席のサラリーマンが
大きな声で電話をしていたので、
明明には好都合だった。
注意がそちらにそそがれるからである。
明明はテーブルに置かれた販売促進用の新聞を読んだ。
内容について正確にはわからなかったが、
それでも見出しと写真とでわかる記事も
いくつかあるのだった。
スポーツ欄には
プロ野球やJリーグの結果が大きく報じられ、
沖縄では高校野球の予選大会がはじまりを告げていた。
「ミックスグリルお待たせしました」
若いウエイトレスが微笑みながら料理を運んできたが
明明は彼女と目を合わせることができなかった。
彼女が立ち去ると早速肉にしゃぶりついた。
ほぼ2日ぶりの食事だった。
鉄板で弾けた肉汁が服にとんだが
構わずに食べた。
熱々の肉を急いで食べたので口のなかを火傷した。
上側の皮がべろんとはがれるのがわかった。
それでも食べることを中断しなかった。
ナイフとフォークと皿が接触してカチャカチャ鳴る。
息継ぎもしないほど勢いよく食べた。(続)
2010.09.09更新
はじめの3日ばかりは
ビジネスホテルに泊まっていたのだが、
それではすぐに金が尽きてしまうから
それからは漫画喫茶で寝泊りするようになった。
昼間は図書館で時間を潰し、
漫画喫茶のナイトパック料金が適用される
22時まではファミレスのドリンク・バーで時間を潰した。
寮から近い場所に潜伏していたわけではない。
電車で一時間ほど離れた、
県内では2番目に大きい市街地を放浪していたのであった。
おそらく寮に戻って
誰かに攻め立てられることはないだろう。
むしろ、「生きていて良かった」と抱き締められるか、
「悪いニュースのたびに
明明が巻き込まれたんじゃないかと心配した!」
などと冗談ぽく頭をぐしゃぐしゃにされるくらいだったろう。
明明は直後のショック状態から抜け出してはいたけれど、
自分は一体何をしているのかわからず、
寮に戻るという選択肢を持てずにいた。
店は混雑していた。
昼食時の客もまだ残っていたし
主婦たちの井戸端会議も続いていた。
子どもたちが悲鳴のような歓声をあげ、
店員たちはテーブルの片付けや客の対応に追われていた。(続)
2010.09.08更新
明明は店の奥の席に座った。
入り口から対角線上にあるテーブル席。
そこからは店内全体が良く見えて、
店員の動きを把握できた。
明明は金を持っていなかった。
正確には所持金524円。
失踪してからは
当然のことながら金が減っていく一方だった。
無銭飲食するつもりで店に入った。
その店には何度か来たことがある。
製本工場に勤務しながら
寮から3駅離れた日本語学校に通っており、
受講の前や後に寄ったことのある
ファミリーレストランだった。
この店を選んだ理由は明白で、
レジが出入口から離れていることにあった。
それならトイレに行くようなふりをして
逃げれば良いと考えた。
大概の飲食店は出入口にレジがあり、
ほとんどの場合、そこに従業員が立っているから
支払いを済まさずに出て行くのは困難だ。
明明は数店の店に目をつけたが
どこも出入口のレジに人が立っていて、
中にも入らず引き返した。
空腹が極限に達したとき、
この店のことを思い出した。
電車賃も勿体ないので
歩いて店までたどり着いた。
明明は首吊りをした孫国防を見たショックで
寮を飛び出してしまった。
あのときのことが度々フラッシュバックした。(続)
2010.09.07更新
激しい鼓動は急激におさまっていた。
妙に静かだと、もうひとりの俊太郎がつぶやく。
しかし吐き気のような何かを感じていた。
突っ立ったままの俊太郎。
「でも、あなたは間違ってはいなかったのかもね。
あなたと結婚したわたしの間違いだった。
ボランティアなんてするもんじゃないものね」
さっきまでの勢いとは
まったく正反対にゆかりは言った。
ポツリとだが、
はっきりと聞き取れる声質で言った。
「離婚しましょう」
「……亮太にはなんて話すんだ」
俊太郎のその言葉は、ようやく、やっと、
という表現がひったりだった。
「わたしから話すわよ。
あなたからだと混乱するでしょう。
そもそもあなた自体がわかっていないんだから。
あの子はわたしたちが思っているほど子どもじゃない。
わたしがちゃんと話せば納得してくれる。
大会が終わったら話す。
それでいいでしょう?
………………………………
………………
……………………………………………
………………………………
………………………………………………
……………
…
………
…
俊太郎は目を閉じて頷いた。
投げられた缶ビールはしゅわしゅわと音を立てて嘆いていた。(続)
2010.09.06更新
付き合ってからも同じだった。
自分の意見を持っていなかったし、
わたしが何か文句つけても
あなたは言い返すこともできなかった。
『温厚そうで良いご主人ですね。
うちとは大違い』なんて言う人もいたけれど
何もわかってない。
表面しか見ていないんだもの。
あなたは温厚なんではなくて臆病なだけ。
ただ人に良く思われたい偽善者。
自覚してないでしょ?
あなたみたいな人は利用されてポイよ。
ああ、さっきも言ったわね、それは。
会社でも社会でもいいように
使われて捨てられる。
だからかわいそうで結婚してあげたのよ。
結婚ていうよりわたしにとっては
保護者になるみたいな気分だったけれどね。
それなのに、何よ。
『うつ病になったのはお前のせいだ』なんて」
ゆかりは一度も目を逸らさず、
まっすぐに俊太郎を凝視して話した。
俊太郎はそれに耐え切れなくなり
食卓の缶ビールに手を伸ばす。
だが、ない。
先ほど投げつけたのを思い出す。
壁が凹み、そこから下に液体が流れ落ちるのを見る。
ホラー映画の血が滴るタイトルのようで気味が悪かった。(続)
2010.09.05更新
俊太郎は微笑ましく立っていた。
背景の海は空と同じくらい青く晴れていた。
「うつ病の人って何でも人のせいにするんだよね」
ゆかりは缶ビール投げつけられたというのに
まったく動じている様子はなかった。
「会社でもそんな人ばかり見てきた。
全員わたしのせいにして辞めていったわ」
それは怒気のこもった言い方だったが
諦めや悲しみも裏側に隠れていた。
「あなたから言うことがなければ、
わたしが続けて言わせてもらうけど?」
そう言いつつ俊太郎が
何も言えないことをゆかりはわかっている。
案の定、俊太郎は
叱られている子どものように唇を噛んで
立ち尽くすだけだった。
「気の毒だったんだよ、あなたが。
今だって何も言い返せないでしょ。
そういう気弱なところが頼りなくって気の毒だった。
小説を持って来たあの時から。
もういい大人なのに
作家になりたいだなんて夢見たこと言って、
小学低学年せいみたいだったよ。
いつまでも夢から覚めない人だと思って見ていられなかった。
放っておいたら悪い大人に騙されると思った。(続)
2010.09.04更新
「やっと言ったわね」
ゆかりの表情は怒っていて
笑っていて悔やんでいた。
俊太郎はその言葉を発した途端
急に脈拍数が上がるのを自覚した。
唇がわなわなと震えた。
心臓が強く早く熱く鼓動した。
何かの言葉で
それを放出したかったけれども、
言葉にできない。
憤る。
手にしていた缶ビールをゆかりに目掛けて投げた。
しかしそれは指に引っ掛かって
食卓でワンバウンドし、
ゆかりの顔の横をかすめて壁に当たった。
理性が働いてためらったのかもしれない。
怒りが過ぎたせいかもしれない。
いずれにしろ、缶ビールは中身を飛び散らかしながら、
家族写真が貼られた壁にぶつかって落ちた。
ビールだった液体が床で弱々しく泡になって弾けている。
壁の写真の俊太郎とゆかりと亮太は笑っている。
亮太が中学一年生のときの写真。
亮太のシニアリーグの
遠征合宿で伊豆に行ったときのものだ。
このとき、俊太郎はまだ病気ではなかった。
亮太に反抗期はなかった。
ユニフォーム姿の亮太ははにかみ、
ゆかりは亮太の手を握っている。(続)
2010.09.03更新
「きっと同じ店のコと付き合ってる。
この頃楽しそうに話してるもん」
「そんなの被害妄想。
本当にそうだったとしても中央突破よ。
手紙渡すとか、メルアド教えるとか。
友佳子みたいなコに、
そうされて嫌がる男なんているわけないじゃん」
「気持ち悪いと思われるって」
「そんなことないさー。
そんな男いたら見てみたい。
かなりの確実でホモだと思う」
「前付き合ってた人で、そういう人いたよ」
「うそー! ショックだった?」
「同性愛者だったってことは
ショックではなかった。
とられたんだよ、彼氏を」
「彼氏を、男に!」
「そうそう」
「だったら今度やり返してやればいい。
相手は違うけど、略奪愛よ、
リ ャ ク ダ ツ ア イ !」
すると突然ギィイャャャァ!
と未夏は一人で勝手に悶絶する。
脚をばたばたさせて。
横に倒れこんだりして。
友佳子は未夏に嘘をついていた。
よく行くコンビニに好みの男なんていなかった。
恋心なんてとっくになくしてしまって、
ただ鷺宮とセックスできればよかった。
鷺宮自身が入ってくるあの瞬間だけが
生きている実感だった。(続)
2010.09.02更新
「女の人でひとりで来る人っているの?」
「多分、多分てゆうか、
私が知っている限りではいないかなー。
女の子同士で来ることはよくあるけどね。
でも平気だよ。
私がつきっきりでいてあげるから。
うちの店暇なんだよ。
夜はキャバクラになるから
それなりに忙しいけど」
壁掛け時計の時間は、
どれもあさってや、おとといの方を示していた。
いくつかは正しい時間を刻む時計もあるが、
ふたりには正確な時間など知る必要はなかった。
たくさん話していっぱい笑えることの方が重要だった。
灰皿にタバコの灰を落として未夏が訊いた。
「ところでそっちはどうなのよ?」
「何が?」
「何がってユカコの恋愛事情について」
友佳子は未夏にも鷺宮については話していなかった。
未夏が友佳子と同じ鷺宮の病院に通っていなくても
話さなかっただろう。
「相変わらず日照っております」
「こないだ話してたコンビニのお兄さんは?」
「私から声かけられるわけないじゃない。
それに……、」
「それに?」(続)
2010.09.01更新
花を見てシンプルにきれいだと思い、
些細な小言に苛々したり、
子どもが親を殺すニュースに悲しみたかった。
自分が子どもを産めないという事実を突きつけられたとき、
ショックすぎて感情なんてなくなってしまえばいいと思った。
そう祈る前に友佳子の思考は
感情を持つことを拒否した。
もう自分ですら
自分自身がどんな人間なのか
得体が知れなかった。
「そうだ、だからバイトも辞めたんだった。
その分もカンパイカンパイ」
豪快な未夏が友佳子は好きだ。
「ほかのコも辞めちゃったの?」
「知らない。ふたりとも
私たちと同じメンヘラーだったから
病んでやめちゃったかも。
私ね、これでも引き止められたんだ。
『付き合うのは終わりにしていいから
辞めないでくれって』。
私みたいなツンデレ担当が
いなくなるのは痛いって」
メイド服姿の未夏を想像してみる。
でもうまく想像できなかった。
「今度さ」
「何?」
「ミカの店行っていい?」
「もちろん。私を指名してね。
オムライスに『ゆかりん チュッ』って書いてあげるね」(続)
2010.08.31更新
乾杯の勢いで
カルーアミルクが少しだけこぼれる。
友佳子は指を舐めて
「なんで別れたの?」と笑った。
紙のおしぼりでグラスのまわりを拭く。
「メイド喫茶の店長でしょう?」
「そう。私とだけじゃなくて、
ほかのバイトのコとも付き合ってたの。
しかも同時に3人」
「同じ店で3人? それはひどいね。
いつかバレるに決まってるのにね。
多分、前に働いていたコにも手出してるよ。.
……あ、ごめん。元カレなのに悪口言って」
「いいのいいの。あんなヤツ
どう言われたって構わない。
むしろ、友佳子みたいに
はっきり文句言ってくれる方が清々する。
本当に私の気持ちになってくれているなって思うもん」
店員がライターを持ってきて
「100円ライターしかなくて、
すいません」と頭を下げた。
「あー、思い出したらムカついてきた。
飲むよー、今日、わたし」
タバコに火をつけ、ふは~と煙を吹き出す。
友佳子は未夏をうらやましく思った。
自分も彼女のようにやけっぱちになれたらいいのに。(続)
なかがわよしの
長野市在住の一労働者。年齢は30歳付近か。経歴は明らかでないが、かつて東京・長野にて雑誌編集に携わり、現在はやはり紙関係の仕事をしているらしい。重度のロックファンで、渋い音楽イベントをオーガナイズしていた事もある。
…原稿用紙一枚の上に浮かんでは消える儚いドラマをお楽しみ下さい。(文・N編集部)