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飯綱町の花まつり

2009.05.08更新

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上水内郡飯綱町。

長野県北部、飯綱山の東の麓にある町です。善光寺平北端に始まるひときわ高い丘陵地、ずらりと並ぶ北信五岳(ほくしんごがく)に挟まれて新潟県へ抜ける谷間の入口にある高原の町です。谷間なのに高原です。

 飯綱というと、一般的には飯綱山の南斜面、戸隠への途上にある飯綱高原を思い浮かべますが、こちらはさながら裏飯綱。飯綱山と斑尾山に挟まれた谷間、緩やかな裾野の底に、とても安心感のある里の風景が広がります。

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 北信五岳、谷の西側に一列に並んだ飯綱山〜黒姫山〜妙高山。写真の右方・谷を挟んだ東側に斑尾山があり、戸隠山は飯綱山の向こう側に隠れています。

 その谷間を入った奥には野尻湖があります。ナウマンゾウの化石が出土することで有名な天然湖。野尻湖の先はもう新潟県妙高市。黒姫高原、妙高高原と谷間の高原が続き、谷間はそのまま遮られる高峰もなく新潟県の高田地方、上越、日本海の直江津に抜けます。車で1時間ほど走れば海に出られる場所なのですね。

 この谷間は古く先史時代、縄文期から人が住んでいたことがわかっています。日本海から信州へ入るのにおそらく一番平坦な道筋。自然に往来が発生して道を成したのでしょうね。
 江戸時代、ここに幕府によって街道が整備されました。軽井沢追分宿で中仙道から分岐して北陸へ抜ける街道・北国街道です。その先にある佐渡では金が採掘されました。幕府にとってこれは相当重要。加賀藩をはじめ北陸諸大名の参勤交代、善光寺への参拝、裏日本と表日本の間の物資輸送。北国街道は、大勢の人々や物資が盛んに往来する重要な街道だったわけです。

 飯綱町の町役場がある牟礼(むれ)は宿場街。善光寺平で本道と枝道に分かれる北国街道の北の分岐点にある主要な宿場であり、北陸最大の石高を有していた加賀藩・金沢と江戸とのちょうど中間地点にあるため、100万石の大名行列が往きも帰りも必ず逗留した宿場です。当時はかなりの交通が集中する賑やかな宿場街。経済的にも相当豊かな地域だったに違いありません。

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 風景の美しい町です。
 北国街道に沿って車を走らせると、息を飲むような美しい風景に次々と出くわします。それは遠くに望む山並みだったり、間近の丘や畑、段々畑の土手だったり、道端に転がっていたり、いろいろなところに現れます。北信五岳をはじめとする自然の景観の素晴らしさはもちろんなのですが、けしてそれだけではなく、むしろ町の中の生活に隣接した風景に美しさを感じるのです。

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 風景の美しい場所というのはどこも、単に自然にある風景が美しいだけではありません。必ずそこに人の工夫が加わっています。何百年という長い時間の中で何世代にも渡って積み重ねられて来た人々の工夫が美しい風景として結実していることが多いのです。
 一方で、地形的な美しさを持つ場所でも、人の工夫が加えられることなく放置された場所というのは美しさが損なわれていることが多いようです。もちろん、全部が全部ではありませんが。

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 人の工夫というのは、そこで生活を営んで来た人々の工夫です。そこにある地形、地球と対峙しながら、生活するため、糧を得るため、情景を愛でるため、そこの暮らしを少し豊かにするために重ねられて来た工夫のことを言います。
 日本の多くの都市部にある街並、あるいはお金目当ての開発のような、地球を無視した、自分の敷地のことしか考えていない幼稚な自己実現のための建築は景観を破壊しますが、同じ人のいとなみでも、地球としっかり対峙しているものは景観を更に美しくするのです。

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 飯綱町は、全域に人の創意が加わった美しい芸術的な風景がある町です。

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 ◆◇◆

 住む人の工夫は風景に現れるだけではありません。その町で豊かに楽しく暮らして行くためのお祭りや年中行事にも現れます。

 飯綱町では、毎年4月上旬から5月中旬まで「いいづな花まつり」が行なわれます。
 桜、桃、水芭蕉、リンゴ、菜の花、タンポポ、そのほか、春の花が次々と咲く時期に、飯綱町のあちこちにある花の名所を巡るイベントなのです。今年は「おやきフェア」も同時開催。

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 丹霞郷(たんかきょう)には数千本の桃、袖之山のシダレザクラは樹齢300年、曹源院のシダレザクラ、地蔵久保のオオヤマザクラ、むれ水芭蕉園の40万株の水芭蕉、リュウキンカ、ニリンソウ、黒川桜林(さくらばやし)のエドヒガン、いいづなアップルミュージアムのリンゴ並木、北信五岳道路沿道一面のリンゴ畑、飯綱町には花の名所がたくさんあります。「いいづな花まつり」は、町中にある花の名所を魅力的に網羅した1ヶ月以上に渡るイベントです。

 単に花いっぱいなだけではありません。飯綱町古来の文化や歴史を繙きながら、花についてのうんちくを傾けながら、町の魅力について語ることのできる人が飯綱町にはいっぱいいるのです。

「シダレザクラやエドヒガンみたいな古来の品種は樹齢が長いんだけど、観賞用に品種改良された新しいものは数十年で終わってしまうですね」飯綱町まちづくり推進課の方がちょっとした隙にさりげなく「ほぉぉ〜なるほど」な一言。

 単に人集めしてお金を落としてもらうことを目論んているのではない、町の歴史や景観を知り、日常の生活の中に潜んでいる町の魅力を誇りを持って語る人がいること。これが魅力のある地域をつくる最大要因です。

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丹霞郷

 「いいづな花まつり」の始まりは丹霞郷にあります。
 今から20数年前、まだ当時は飯綱町ではなく上水内郡牟礼村、丹霞郷のある平出地区の有志で結成した町おこし団体「丹霞郷しゃべくらぁぶ」が始めた「丹霞郷花まつり」に端を発します。
 もともと自分達でいろいろなことを企画し参加者を募って活動していた丹霞郷しゃべくらぁぶは、地域の商店や婦人会などを巻き込んで実行委員会を組織し「丹霞郷花まつり」を始めたのです。
 年を追うごとに花まつりは賑わい、町外から大勢の花見客が訪れるようになると、牟礼村には他にもたくさん花の名所があるということで、行政も巻き込んでの「むれ花まつり」に発展。その後、牟礼村と三水(さみず)村が合併して2005年に発足した飯綱町に引き継がれ「いいづな花まつり」になりました。
(「飯綱町広報」花まつり特集参照)

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 飯綱町では昔から多くの市民団体が主体的に活発に活動し、町内各所にある花の群生地や果物畑などを花の名所に育て上げてきました。この丹霞郷も個人所有の果樹園です。個人所有の畑を共有のものとしてここまで解放するなんて、よほど地域の人々の認識が優れていないとできることではありません。花の名所だけでなく町内全域に美しい魅力的な景観がふんだんにあるのは、長い年月をかけて市民がみんなで培ってきたものなのです。

 市民が元気よく自発的な地域は行政も良い形で機能し、地域は自然に豊かに発展します。「いいづな花まつり」も、今ではあちこちの観光情報に取り上げられ、毎年多くの観光客が訪れる春の一大イベントになりました。

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 ◆◇◆

 飯綱町のステキな工夫のひとつ。
 町の刊行物や広報紙、観光パンフレットなどが木箱に入って町のあちこちに置かれています。花の名所など人の集まる場所、公民館の庭、広場などに木箱は設置されています。

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 中を覗いてみると「飯綱町しんぶん」。
 町が発行する広報紙「飯綱町しんぶん」を、ナノグラフィカの高井綾子さんが全面的に取材編集しています。高井さんの手書き、手刷りの独特な瓦版ぽいタッチの新聞を町の刊行物にするなんて、なかなか良いセンスです。

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 その「飯綱町しんぶん」から「黒川桜林のエドヒガン」という記事。

 〜〈以下抜粋〉〜町の天然記念物に指定された黒川桜林のエドヒガンを守る「桜林の桜保存会」が発足したのは3年前。
 「保存会をつくる前はジャマだからと枝を切ってしまう人もいましたよ(笑)。でも最近は自然と大切にするようになった。ぼちぼち草取りをしないと、と行ってみるとすでに誰かがやってある」〜

 やはり、美しい風景を作るのはそこにいる人たちなのですね。

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 今年は、タテタカコのコンサートも開催されました。
 飯綱町西部にある袖之山の麓、古くは山寺だった袖之山公民館の庭にある樹齢300年のシダレザクラ。花まつりの中頃、満開になった見事なシダレザクラとタテさんの共演はとても幻想的な光景でした。

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 「なんでもいいからライブでもやって人が集まればいい」というコンサートではありません。「この桜の下でタテタカコの歌を聴きたいんだ」というはっきりした方向性があっての企画だったのです。
 そんなところも素晴らしいですね。

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 袖之山公民館がお寺だった頃のご本尊も、この日に合わせて御開帳。
 とても柔和な面立ちの仏様です。

 ◆◇◆

 合併して飯綱町ができてから5年。とてもいい雰囲気の町になっています。風景も、人々の様子も、どちらかに何らかの負荷がかかったり、偏りが生じたり、末梢感が漂ったりすることもなく、自然に融和が進んだかんじがします。
 合併した両地域、牟礼村と三水村は元来地理的にも文化的にも親和性が高かったのかもしれませんが、それ以上に、ふたつの村が目指した新しい町のコンセプトが、とても良い形で機能したように思います。
 その地域が持っている個性を何よりも優先し「豊かなこころ」が住んでいられる地域を目指す。そんなシンプルなことなのですが、それを実現できる地域が今の日本にはとても少ない。

 人の住むまち。

 まちは人が創ります。けしてコンクリートやお金が作るのではありません。
 お金やコンクリートは必要です。けれどそれを使う人の感性、地球と対話する感性がなければ魅力のあるまちは作れません。
 誰もが憧れ、人の集まるまちを作るためには、長い年月をかけて人々が積み重ねて来たものを正しく認識し、それを活かして、人を活かして、人の感性を活かして、次の局面へ向かうことが必要なのです。
 「そんな町がもっと増えたらいいのにな」と思います。

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(写真:駒村みどり 文:宮内俊宏)

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