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2010.02.05更新
毎年、冷たい風が吹き冬の気配を感じるようになるとうれしい胸騒ぎがはじまります。
自分にとってこの季節の到来は大好きな祭りシーズンのはじまり。その祭りは、愛知県奥三河地方に伝わる「花祭(はなまつり)」という素朴な芸能です。

奥三河は長野県と静岡県の県境地帯にあり、花祭は諏訪湖を源流とする天竜川水系の山奥の村々に伝わる湯立神楽のひとつ。長野県南部、遠山郷の霜月祭と同系統に分類される祭りで雰囲気も似ています。
三河・遠州・信州の県境地帯は、ひとつの県に括っていたら見えない共通の面白い文化があります。だからここ、N-geneでも紹介させていただきます。
自分は花祭ならではの独特の面白さがとても好きですが、花祭って何なのか、説明するのが苦手な自分ですし花祭は難しい話よりも、ただ楽しい花祭でいいと思っています。でも、いろいろな説や花祭の写真、レポートを読むのも好きです。
花祭の詳しい内容や解説、画像や動画は、ネット上に多くの面白いサイトがありますので、興味のある方は検索してそちらを見て頂けたらと思います。
*** * ***
愛知県境の阿南町で生まれ育った自分は、小さなころ祖母に連れられて隣村の豊根村(愛知県北設楽郡)にある親戚の家によく行きました。橋の無い川を歩いて渡って一人暮らしのおじいさんの家までいったり、地元の子供と神社で遊んだり・・・。そんな幼かった頃の記憶のためか、奥三河でおこなわれる花祭が自分には良く馴染むのかもしれません。
それでも花祭に通い始めたのは10年ほど前からです。それまでは、子供のころに父親からよく聞いた話・・・父が子供のころ、豊根村の親戚の家が花祭の花宿(花祭の場を「花宿」と言います。現在は民家での花祭はおこなわれていませんが)になったとき、愛知県境の新野峠を徒歩で越えて花祭を見に行った話で祭りのことを知ってはいましたが、さほど興味を持たないで一度も見に行くこともなく、父から聞いた花祭の話は記憶の片隅に置き去りにして時は過ぎていきました。
そんな自分が今のように花祭が好きになったのは、今から10年以上前、世の中にインターネットが普及し始めた頃です。たまたま地元の新野の雪祭りを紹介するホームページを作ってみたことがきっかけで、花祭りと思わぬところで遭遇することになりました。
新野の雪祭りには「鬼」が登場します。その鬼の演目は、鬼が禰宜との問答で敗北し退散するという内容です。その場面から、出雲神話の国譲りの物語などで語り継がれる、「ヤマト王権に敗退した日本の原住民=まつろわぬもの=為政者に従わない者=鬼」といわれる説に、雪祭りの鬼も当てはまるのではないだろうかと思ったのです。
いろいろ調べていたところ、岩手県に「鬼の館」という鬼に関する資料を集めた博物館があることを知りました。現地に行き、その場所に展示されていた奥三河の花祭の映像を見て、映し出された鬼と人が一緒になって歌い舞い踊る光景にすごく驚きました。
新野の雪祭りとも違う感じ・・・鬼と見物者の一体感や独特で耳に残る掛け声に、ああ、いったいこの祭りは何なのだろう、これが今の日本で本当におこなわれているのか、どうしても見に行きたい・・・と。
その年の秋、さっそく花祭見物に出かけました。笛や太鼓の音、舞いの所作、躍動する鬼、集まる人たちのエネルギー、焚き火の暖かさ、その場の何もかもが想像以上に衝撃的な体験でした。
そのようなわけで、自分の住む阿南町の隣りの村々でおこなわれる祭りなのに、たどり着くのにずいぶんと遠回りをしましたが、以後は毎年、花祭に出かけるようになったのです。
前置きが長くなりましたが、花祭の魅力を僕なりにほんのちょっとだけ紹介してみたいと思います。
***花祭の季節*去年の記憶***
『東栄町小林の花祭』
かねてより、花祭に出掛けるたびに立ち寄る東栄町(豊根村の隣町)のとある食事処のご主人から、うちの長男を小林区の花祭に参加させてみないかとお誘いをいただいており、2009年、同地区の祭りに4歳の長男が参加することになりました。
長男は1歳の頃から幾度も花祭に連れて行かれているため、祭りの舞いを真似して遊ぶのも大好きになり、祭りに出られることをたいへん喜びましたし、それは自分にとっても夢のような話しでした。
いままでの祭り見物と違い、祭りに舞い手として参加させてもらえることは花祭が好きな者にとって、この上ない嬉しさだと思います。
『小林地区 舞い習い』
2009年11月、小林の花祭りの1週間前の夜6時過ぎより4日間の舞い習い(舞いの練習)があり、息子も参加しました。
自分にとって、自分の子供が花祭に舞子として参加するのは念願でした。憧れの花祭の舞い習いであり地元の方との触れ合いも楽しくて、自宅から東栄町まで通う1時間余の道のりもまったく苦になりませんでした。
なんといっても、地区の方々がまったくの余所者の僕や子供を快く受け入れてくれたことに大変感謝しています。花祭の舞い手は、以前は限られた人のみが可能であり、舞いを舞えることがとても誇りだったそうですが、今では地区の人口も激減して舞い手が不足しているのが現状で、祭りの存続も危ぶまれているため地区以外の人の参加も許されるようになってきています。
このような貴重な経験を親子で楽しめることが嬉しかったです。誘って頂いた食事処のご主人に感謝しています。僕のわがままな理由でも、仕事を早退して舞い習いに通わせてくれた理解ある職場にも感謝。
***
11月14日。
小林の花祭の日。
大切な忘れることのない思い出の1日になりました。

長男の一瞬の表情・・・こいつは何百歳だ?と思うほど、普段とは別人のような子供とは思えない顔つきに見えました。
「花祭りのかみさまは、祭りの前からうちに来ていたんだに」と言った息子の言葉が印象的です。
この日の出来事は、僕のブログやNの南信州コミュニティ内のトピックに記憶を残しています。
2009年12月のブログ
N-SNS コミュニティ「南信州」トピック「南信州の祭」
また11月14日当日の様子は、電力会社の広報誌の取材でこの祭りを訪れたコピーライターの近藤マリコさんのブログに、とても暖かい言葉で綴られていますので、ぜひご一読されることをおすすめします。
初めて花祭を体験した近藤さんの視点、面白いですよ
奥三河・東栄町の花祭り Vol.1
奥三河・東栄町の花祭り Vol.2
再び・・・花祭りで得たもの
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『御園地区の花祭』
11月15日の朝。
14日から徹夜でおこなわれている御園地区の花祭です。僕と長男は小林の花祭が終わってからの深夜、御園まで行きました。
天井に見える紙かざりは、神秘的な「びゃっけ」、花祭を引き立てる「湯蓋」や「ざぜち」です。
湯の入った釜がみえます。これが湯立神楽の最たる特徴です。
朝日を浴びながら舞う男たちが、かっこいい。
『月地区の花祭』
1歳の子供が目の前で舞われている青年の舞いを真似ています。
このように小さな頃から花祭を見ることは、幼い子供にとっても印象的で、しっかり記憶に刻まれるのかもしれません。
ちなみにこの子供、うちの次男です。長男も1歳の頃から此処の花祭り見物を経験しています。
花祭好きの地元の小さな子どもたちは、いろいろな舞いを真似て祭りの場を和ませています。
きっと、この子供たちも花祭の継承者となるのでしょう。そう望みます。

『中設楽地区の花祭』
舞子と一緒に舞う見物人を「せいと衆」といいます。
せいと衆は「テーホヘ、テホヘ」などの独特の掛け声で囃し、舞い手に「元気がないぞ!もっと大きく舞え!」などと悪態をついて励まし、祭りの場を盛り上げます。
舞い手と観客の境界がない一体感。これが花祭の特長で、そこにいちばんの面白さがあると思います。

『花祭のうまいもの』
お金などの奉納「花見舞」をすると、神社のお札と一緒に記念の湯呑や手ぬぐいなどを頂けます。また、地区によってはお寿司や接待所で地元のおいしい料理もいただけます。この中設楽の煮物や赤だしの味噌汁、大盛りご飯にお漬物、うまかったです。
花祭ではお酒もたくさんいただけます。楽しくて、ついつい・・・飲みすぎ注意です。

『中在家地区の花祭』
これが鬼です。
どこの花祭にも、山見鬼、榊鬼、朝鬼が現れます。それにお供の鬼たちも出てきます。
花祭の鬼は斧を持ち、実にパワフルかつリズミカルに舞います。
鬼は節分では悪役で排除される対象ですが、この祭りでは大人気です。テレビのヒーロー物に負けないほど、地元の子供たちも大好きです。
花祭の鬼のように、どこからともなく現れ、舞を舞って去っていくモノたちの祭りは、沖縄から東北の辺境にかけて帯状に点在しているそうです。
そんな鬼たちが、どこから来て、どこへ行くのか・・・いったい何者なのか気になりませんか。

という感じで、ちょっと花祭を紹介してみましたが、実のところ自分の文章の力不足もありますが、言葉や写真でこの祭りの魅力を皆さんの心に響くよう伝えるのは、今までの経験からむずかしいと感じています。世の中には刺激的なことがあふれていて、こんな田舎の素朴な祭りに目を向けることはあまり考えられないでしょう。僕自身、花祭地帯とも呼ばれる地域にずっと住みながらも、花祭の楽しさに気付いたのはたったの10年ほど前なのですから。なので、この祭りの魅力をどう表現したら伝えられるのか、今でも模索しています。
花祭のリズムは時に気だるく、深夜に同じような舞いが繰り返されるとだいたい眠くなります。そんな時はもう祭りはどうでもいいような気分になるものです。ある意味、試練を味わうかもしれませんが、眠くて寒くて、ウトウトと朦朧としていても確かに祭は進んでいることが感じ取れるでしょう。そんな夢うつつのちょっと不思議な感覚が自分の記憶に刻み込まれると、いつの日か祭り見物で辛かったことを思い出したとき、あれも祭りの醍醐味だと気が付くでしょう。そして、もしかしたら、小さなこどものような気持で祭りと向き合えば、学術的なことも何もこだわりなく、大事な何か・・・おそらく人間の記憶の深いところに配置された原始的で懐かしい、自然と一体化するような感覚を感じ取れるような気がします。・・・なんとなく、そう思います。
今シーズンの花祭は残すところひとつ。東栄町布川地区の花祭です。
毎年3月の第一土曜日の午後より日曜日の朝までおこなわれます。今年は3月6日から7日です。
そうそう、花祭にとり憑かれたように通う人たちを、花好きとか花狂いといいます。また、そんな花好きや地元の人たちはこの祭りを単に「花」とも呼びます。
「花」・・・はな・・・、なんだか懐かしくていい響きだなぁといつも思います。
とにかく、やっぱり、行って、見て、参加して、花祭の楽しさを体験して、やっと魅力が分かってくると思いますので、ぜひ花祭に行ってみてください。
できれば、僕みたいなお父さんたちには、ぜひ、お子さんを連れて花を見に行くことをおすすめします。花祭の夜は、子供が眠くて眠くて、眠ってしまうまで、それが真夜中でもずっと一緒に見させてあげてください。きっと、親子ともども、閉ざしていた心の扉が開き・・・本来の大切な感覚が冴えてくるとおもいます。
自分にとって、花祭の場に行くことは、花祭のシーズンにただ近隣の村で一夜を過ごすという数カ月の出来事ですが、それでも楽しい旅なのです。
まだまだ僕と子供の花祭巡りの旅は続きます。
花祭は出会いや再会も大きな楽しみ。皆さんとも、どこかの花でお会い出来たら嬉しいです。
(写真、文:佐藤裕)
necosan
コメントありがとうございます。
花祭を見ている小さな子供たちの、真剣にじーっと観察するような目や、からだが自然に動き出すような舞を真似る仕草には、やっぱり大人の忘れた何かが介在していると思います。
子供たちに見えるものは何なんでしょうね。
これをちゃんと調べてみたら、祭りも含めて里山のくらしには、人の発達や成長に欠かすことの出来ない大事な何かがあることを見つけられそうです。
大げさですが、物質的な便利さや豊かさが人類の繁栄・存続を持続できるのかどうか、解明できそうな気がします。
もしかすると、とくに子供のうちは里山で土と戯れて暮らすことが必要不可欠で、そうしないと人が人として発達すべき重要な部分が欠落してしまうような・・・。近い将来、里山への民族大移動が起こるかもしれません。そのときを逃がしたら、この国は滅ぶ方向に加速して突き進んでいってしまうんじゃないかと思えるのです。
「川合花の舞い」、じっさいに見たことがないのですが、necosanの映像を拝見すると、まぎれもなく花祭ですね。
天竜川流域に蒔かれた芸能の種はとても不思議なもので、今の花祭の姿になるまでにはいろいろな文化をもった人々の交流があったのでしょう。なかでも、天竜川の源流は縄文の文化が栄えた諏訪ですから、いちばん根底にあるのは古代人の思いだと感じます。
花祭は人のこころを大きくゆさぶって、「気づけよ」と働きかけているような気がしてなりません。
3月の布川でお会いできますね。たのしみです。
里山に根づいている祭や習俗には、現代の社会が取り戻した方が良いと思える仕来り、習わし、空気や感覚がいろいろ感じられます。
それは、古来積み重ねられてきた知恵、文化であって、社会が豊かに発展して行くために不可欠のもの。
できるだけ多くの人々に、現代の流れの中で刷り込まれた既成の概念を取っ払って、素直に祭に触れてほしいと思います。
「花祭りのかみさまは、祭りの前からうちに来ていたんだに」
お子さんのこの言葉、
私たち大人が忘れかけてしまっている「何か」が
やっぱり子どもたちには、ちゃあんと見えているんだなあと、感じました。
懐かしい気持ち、思いが、心の奥からわき上がってくるお話でした。
私は、今期佐久間の「川合花の舞い」を拝見させて頂いたのですが
これも感激でした。
http://pub.ne.jp/necosan/?entry_id=2546135
天竜川に沿って、いったい何があり、そして、どうしてこのような「姿」になって
神様は降りてきたのだろう、と
ますます私は深みにはまっています。
3月の布川花祭、行きます!お会いできますように。
投稿者: necosan | 2010年02月08日 09:53