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      <title>N NEWS &amp; REPORT</title>
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         <title>みんなの夢をみんなで描く〜６年３組の映画製作</title>
         <description><![CDATA[<img alt="IMG_5217.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_5217.jpg" width="500" height="312" />
 
「わぁっ！！」
目の前のスクリーンに展開される映画に、観客は一斉に歓声を上げる。

会場は小布施町にある「まちとしょテラソ」の多目的室。座席はすべていっぱいで、客のほとんどが小中学生の子供たち。映画に登場するのはその子供たちとほぼ同年代の小学５年生ばかり。さらに驚くことに、この映画の制作者もスタッフもすべて小学５年生。

けれど、その映画は大人の私が観ても面白かった。画面から伝わってくるのは「熱意」。そして「真剣さ」。演技しているのはごく普通の小学生たちだから決して「上手い」とは言えないし、ハイテクを駆使しているわけでもないけれど、思わず引き込まれてしまう「魅力」にあふれていた。

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真っ暗な会場の中、ひしめき合った子供たちは画面に食い入るように見入っている。
目の前で展開する映画を観ているうちに、気になることがひとつ。

「これまでいくつもの事件を解決してきた。コールサインは少年探偵DAN。」
「これまでいくつもの事件を解決してきた。コールサインは少年探偵DAN。」

……あれ？映画から聞こえてくるセリフが、私の後ろからも聞こえてくる。まさかサラウンド？

後ろを振り返ると、まだ小学校の低学年ほどの小さな女の子が画面の言葉と同じセリフを、小さな声でつぶやいていた。さらに驚くことに、そのつぶやきは一句一語も違わず映画が終わるまでずっと続いたのだ。この子、一体この映画何回見たんだろう？セリフすべて覚えている。それもただの丸暗記じゃなく、画面の人物がセリフをいうタイミングや抑揚まですべてを再現していた。
すごい……この子にとってはそこまで深く刻まれる映画なんだ………。初めてここでこの映画に出会った会場の子供たちが夢中になるのもよくわかる。

「この映画は、子供たちの意欲で出来ているんです。みんなで原案を持ち寄って、機材を扱うのも、小道具大道具を作るのも、脚本や絵コンテも、演技もすべて子供たちがやりました。私はそれを合体させて仕上げただけ。」

そう語るのは麻和プロダクション製作総指揮者こと、松本開智小学校の麻和正志教諭。

小布施のまちとしょテラソの館長である花井氏は映像作家でもあるのだが、その花井氏がこの映画の上映会の情報を得て家族で松本まで見に行って感激し、小布施での上映会＆講演会へとつながった。

５年生クラス全員で創り上げた映画。総合学習として取り組んだそうだが学校の多忙な時間割の中、これだけの作品を創り上げるには相当の手間と労力が必要だ。
さらに、すべての子が「みんなと一緒」に動くはずもない。機械の扱いにしろ、撮影技術にしろ、演技力にしろ、すべてが１からのスタートだ。ひとクラスの子供たちを動かすことでさえも大変なのに、どうしてここまで来ることが出来たのだろう？

「やれるものなら、やってみろ、最初はそこからでしたね。」

元々、漫画家になりたかった。「美術の勉強が出来る国立大学」として選んだのが信大教育学部の美術科……。気が付いたら、「学校の先生」になっていた。

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けれど、大学祭で一度映画を作ってから映像への興味は尽きることなく、教員生活のスタートから映像作品を学校の行事に生かすなどして何らかの形で関わってきた。それはやがて「映画」へとつながり、地元松本では「映画の先生」として周知のところとなった。このクラスを５年で担任することになり、一年間の総合学習のテーマを考えたとき、「映画」は子供たちの中から自然と出てきたそうだ。

むろん、映画作りは時間がかかるしやったことのない子供たちには問題山積み。それに、他にも「やりたいこと」はあがっていた。けれど麻和教諭のとまどいを押し切ったのは子供たちだった。

「やれるものなら……」そうして、本格的な「映画作り」に昨年一年かけて取り組んだ。やる上で、先生は子供たちといくつかの約束をした。

「時間は守る。準備、片付けはきちんとする。他のクラスに迷惑はかけない。」そして……「映画を言い訳にしない。」

簡単なようだけれども、これはとても難しいことだ。子供たちはどうしても出来ないこと、忘れてしまうことがある。めんどくさいことからは逃げたい。(これは大人も同じだけど)。「○○があったから遅れました」というのはとてもいい「口実」だけれど、言いはじめたらきりがない。自分たちのことに夢中で、周りが見えなくなることもある。熱中して面白いことは、途中で止めて切り替えるのは難しい。それも、数人ではなくひとクラス。29人の「個性」を率いるのはかなり困難だ。

しかし、この約束の下に映画は完成し、上映会会場の松本市民芸術館の小ホールは2回の上映とも満員の客であふれ、「来年やるとしたら大ホールにしてください。」と会場にいわれるほどだったそうだ。

「ひとつやり遂げる中で、子供たちは『みんなでやる』姿勢が育ってきた。支え合う姿も。それから映画作りの中で『物の見方』も変わってきた。そして、映画を勉強しない理由にはさせないから、ちゃんと勉強もする。」

……これこそ、「総合学習」の狙う「生きる力」。

「総合学習で子供たちにどんな力をつけていくのかは教師自身が考えてアピールしていくべき。」「大きな舞台を用意すると、子供たちはちゃんと動く。ケンカやいじめをしている『ヒマ』なんか無くなります。」
「結局、生きるということやその目的は、真剣に放浪して捜すものだと思います。ゼロから出発して自分たちで………。」

麻和教諭のこの講演を聴きながら、わたしはものすごくこの「生徒たち」に会ってみたくなった。

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他県の学校はまだ当然のように夏休みの期間。けれどなぜか長野県の「休み」は短く、どんな酷暑でもエアコンも扇風機もない学校は窓を全開にしても蒸し暑さにつぶされそうになる。まして「夏休み」から「学校生活」への身体の切り替えがまだ出来ていない2学期のはじめは、生徒も先生も動くのがかなり辛い期間。

打合せ時の麻和教諭からのメールには「低学年では熱中症にやられる子も出ています、暑いのでお気をつけておいでください。」……うわぁ……。

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学校に着くとわざわざ玄関まで迎えに出てくださった麻和教諭について教室へ。教室の入り口には去年映画で使ったべっこう飴屋の看板を掲げてあった。

「市民芸術館で『今年は大ホールに』といわれて、その予約の関係で２月には今年映画をやるかどうかをみんなで決めなくちゃならなかったんですが、全員一致で決まりました。」

子供たちの意志はもう一つだった。「もっといい映画を」「無駄な時間を作らないように」「去年失敗したり経験したりしたことを生かして」「大ホールがいっぱいになってそのお客さんが楽しんでくれるものを」「もう一度映画作りの経験をして卒業したい」

昨年度末に映画作りをするかどうかを決めたときの子供たちの決意。紙の上に踊るのはよりよいものをめざすみんなのやる気と、それから「来年度」にかける夢。
一度映画製作をしているので皆「やること」や「流れ」はつかめている。「次に描きたい世界」ももうそれぞれ持っていた。春休みの日記などを使って今年の構想が練られた。スタッフはすでに３月中に決まっていた。

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教室の黒板の上には、「学級目標」「学校目標」にはさまれて「映画作りの目標」もかかげてある。映画はこのクラスの柱なのだ。

映画の「制作費」。機材はあるものを使うけれど、いろいろな道具は作らなくてはならない。それを稼ぐのも自分たち。学校のPTAバザーで子供たちは家にある「景品」を持ち寄って射的の店を出し「こんなに稼いでいいのかと思うくらいに」売り上げた。それから昨年の映画。DVDで販売する。その売上げも「次の映画」にむけての資金。ちゃんと昨年の活動が次の年につながっていく。それも大きな力となって。

教室は、普通の6年生の教室。台の上には、はにわなどのフィギュア。「歴史の勉強がありますから」と麻和先生。「映画製作」に関わるのだったらもっと道具でゴチャゴチャしているのだと思っていた。けれど、小さなロッカーにカバンや水着の袋が詰まっている……といった感じの小学生らしい雑然さはあっても「映画作っています」みたいな「特別感」は全くなかった。

しかし、その雰囲気は5時間目の開始と共にがらっと変わった。
 
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今日の撮影シーンの確認。黒板の先生の説明を真剣に聞く。撮影場所でケガや事故がないようにとの注意も、多分聞き漏らした子はいないだろう。

そして「では、はじめよう」の声と共に生徒たちは準備を開始。大勢の子がすぐに教室を出ていったけれど、数人が残ってなにやら製作をはじめた。

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生徒たちの打合せ。これも映画のワンシーンのよう。

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最初は廊下で撮影。南から夏の日が照りつける。

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麻和教諭の額には玉の汗。

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それぞれが、それぞれの役に真剣に取り組む。1人1人がこの「映画製作」では主人公だ。今年の主役を務める達家さんの身支度を手伝う衣装の係の天野さんと西山さん。小道具の点検に余念がないのは山崎くん、犬飼くん、中川くん。カチンコを持ち、記録をとるのは昨年の映画でヒロイン美咲役を務めた長瀬さん。それぞれのシーンをチェックしながら、そこで必要なことを細かく記録していく。撮影の最初からとった記録の紙の束はすでにもうかなりの厚さになる。

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もう一つのシーンの撮影現場に移動。窓ひとつないオイルタンク室が撮影場所だ。普段は誰も近づくことのないこの部屋も、子供たちの工夫によって不思議な異次元空間に変身する。風がまったく通らないから暑い。けれど誰1人文句をいわず黙々とそれぞれの役割を果たす。重い機材や熱いライトを支え、記録をとり、風を送り……。

何回も撮り直したシーンが「カット」と終わったとき、コスチュームのヘルメットの下から現れたのは津田くんの汗まみれの顔。

授業時間も終わりに近づき、廊下では特別教室から戻ってくるほかのクラスの子供たち。その子達が通るのに邪魔にならないようにさっと交通整理をはじめる生徒はプロデューサーの渋木くん。

「へぇ？こんな部屋、学校にあったんだ。」

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別のクラスの生徒がオイルタンク室を見てつぶやいた。学校の廊下の突き当たりにある普段はまったく気にもとめない小部屋。それが、麻和プロダクションの子供たちに見いだされ、演出によってなんだか興味深い雰囲気を醸し出している。はしご階段の上からのぞく2人のヘルメット姿を見ると、なんだか不思議な気分になる。誰がここを「舞台」として見いだしたのだろう。

「撮影終わり、片付けて次の時間だよ。」先生の声に「もうちょっと……」との声を飲み込んで整然と片付けをし、教室に戻る。教室ではまだ別グループが作業中。

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彼らが黙々と作っているのは「ネギ」。が、これは映画の小道具ではない。毎年やっている「長野県ふるさとCM大賞」にむけての準備だ。彼らは昨年、松本代表として予選を突破して県民ホールのステージに立った。
「去年は入賞が出来なかったから、今年は賞をとりたい。」

チーフの松本さんはネギ作りの手を休めずにそう語る。映画と平行してそちらの撮影も進んでいる。丁寧に作られたネギが今年のＣＭ大賞での入賞につながるといいね。

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「最初に子供たちを持ったとき、はさみも糊もちゃんと使えなくて驚きました。」

今の子供たちは、自らそうして何かを「生み出す」機会が少ない。小さい頃に泥をこねてどろだんごをつくる。そういう経験さえもないので粘土で団子やひもをこねることも出来ない。ぞうきんも絞れない。マッチで火をつけることはおろか、ガスコンロも今はスイッチひとつだから理科室でマッチを擦ってガスの栓を「開いて」火をつけることも困難だ。

学校で図工や美術の時間が減り、家庭科も減り、理科も実験している時間がなく教科書を読むことで終わることも増えた。机に向かい、本を見る時間がいくら増えてもこれらの「体験」による学びは決して得られない。今の子供たちはそうして「頭で考える」世界にいることが多い。自らの力で生み出し、見いだし、工夫する機会はほとんど無いからそういうことが出来ないのは当然だ。

その子供たちが今、こうしてネギを作り記録をとり、自分たちのイメージで創り上げた「新しい世界」を生み出すために地道な努力を積み重ねている。その膨大な時間の中で自分に出来ることも、出来ないこともあることを感じ、出来ないことは出来るために努力し、一人の力で足りないところはみんなで考え補い合って様々な力をつけ、昨年一年の成果の中でさらに「次のステージ」をめざしている。

「はさみ使えるように」と先生に「宿題」を出されなくても、子供たちは自らのめざすもののために山ほどのネギをきれいに作り上げる力をつけた。その子供たちの姿を見て、親たちも心から活動を支援している。

「学びの姿」……本来のその姿は、ここにあるのではないだろうか。

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「去年やってよかったこと？そうだなぁ……『最後までやり通した』ってことかなぁ。」

昨年の映画で少年探偵DANを演じた清水くんに去年のことを聞いたらこんな返事が返ってきた。

そういえば、映画の中のセリフに『きみになら出来る』という言葉が出てきた。これは、麻和教諭が日頃から口にする言葉だそうだ。はじまれば、終わりがある。どんなに大変なことでも、はじめればきっと終わるときが来る。

その終わりをどんなふうに迎えるのかはそれぞれ違うだろう。けれど『きみになら出来る』という可能性を腹の底に据えた先生とそれを受けとめた生徒たち、そして見守る人々がやり終えた時に生み出したひとつの「成果」。

それは確実に何かを変えていく。新しい何かを生み出していく。
そしてそこに至る力は、「次の未来へ」向かう地盤となってどんどん拡がっていく。

麻和プロダクションpresents「スターダイバー」。
２月２７日の上映会むけて、今、撮影は進んでいる。きっと今年度の観客にも彼らの創り上げるものが発する大きなエネルギーが伝わるに違いない。
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写真・文　駒村みどり

(付記)
今年の映画製作の模様は一年間を通してテレビ松本によって何回かにまとめられて放送されるようです。

この映画製作に当たっては、12月１日公開の超大作「SPACEBATTLESHIP　ヤマト」の監督で松本市出身の<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E8%B2%B4">山崎貴監督</a>の応援をいただいています。今、ヤマト製作で大変多忙を極めているにもかかわらず、メールでアドバイスをくださっています。

昨年度の「少年探偵DAN」においては、多くの青春映画の監督をされた<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%B4%8E%E7%BE%A9%E7%A5%90">河崎義祐監督</a>にもご指導をいただいています。
 
また、今回の映画の主人公、達家さんは「<a href="http://kinderfilm.livedoor.biz/?p=3">キンダーフィルムフェスティバル</a>」の審査員としてこの夏、東京で活躍をしてきたそうです。
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         <pubDate>Fri, 03 Sep 2010 00:11:37 +0900</pubDate>
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         <title>菅平の光を取り戻せ〜プリンスの挑戦</title>
         <description><![CDATA[<img alt="IMG_5125.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_5125.jpg" width="500" height="377" />

風に乗って何やら派手な音楽が聞こえてきた。その音はこちらに向かってどんどん近づいて来る。やがて１台の送迎バスの姿。バスからはただならぬ音量で音楽があふれ出している。かなり離れているのに低音が下腹に響く。
あ。これが噂の「爆音バス」か………。それは想像以上の衝撃だった。

「爆音バス」と名づけられたのは、ラガーマンたちをグランドに送迎するためのバス。運転するのは「菅平プリンスホテル」の２代目大久保寿幸さん。送迎の道すがら音楽を大音量でかけて「激励」しているのだ。彼が「すがだいらぷりんす」というTwitter名でつぶやくのは兄貴のような温かいまなざしで見つめる、菅平を訪れるスポーツマンたちへの励ましの言葉。

そんな彼が今挑戦していること。それはある意味、菅平のみでなく信州の……あるいは、社会全体への大きな一石となるのかもしれないと思う。

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「菅平の爆音バス、って名物になるといいね。そう思ってやっているけど、周りとの関係もあってこれ以上はあまり派手には出来ないかなぁ。」
「いやすでに充分に派手だと思う……昔から変わってないよね、そういうところ。」
 
<img alt="IMG_5132.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_5132.jpg" width="500" height="333" />

大久保さんの言葉に反応したのは今野さん。お二人は子供のころからずっと菅平で育ち、この地を見て感じてきた。

大久保寿幸さんは、7月はじめ菅平高原で行われた「セガレとセガレのBBQ」〜様々な職種の「セガレ(2代目、3代目の跡継ぎたち)」たちの集まり〜に菅平の観光ホテルの2代目として参加、そこで菅平の「これから」について語ってくれた。

それを<a href="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2010/07/2bbq.php">BBQの記事</a>に記述したところ、1人の女性がTwitterで声をかけてくれた。

<em><strong>【anuka_angela】 おはようございます！ 私も菅平を故郷とするセガールです。友人が頑張ってるのを見ると嬉しくなりますね！素敵な記事にして読ませてくださって、ありがとうございます。</strong></em>

それがanuka_angelaこと今野真由美さんだった。菅平で育った彼女は長野を離れて大学進学し、卒業後長野県に教師として戻ってくる。けれど、教職のいろいろで体調を崩し退職、再び地元を離れ大学院に学ぶ。その後、結婚して今は菅平を遠く離れた秋田県で子育てしながらも故郷の菅平を想っている。

<em><strong>【anuka_angela】来月帰省しますよ。では菅平プリンスホテルで（笑）
【suga59】ｽｹﾞｰ！つながってる!! 神様がくれた出会いだわ(^_^)　</em></strong>

……というわけで、今野さんのお盆帰省に合わせて菅平での「初対面」と大久保さんとの「取材再会」が成立した。

<img alt="IMG_5133.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_5133.jpg" width="500" height="340" />
 
「小学校の時の担任の先生はめちゃくちゃだったよね。伊代ちゃんが大好きで、教室で毎日でっかい音で伊代ちゃんかけてた。」
「そうそう、カセットテープ二つ入れられるラジカセ買ってきて、それでみんな毎日聞いてたよな。『二つも入るなんて、なんか今までよりいい音する感じ？先生スゲー』なんて言ってたっけな。」

……もしかして、爆音バスのルーツはここにあるのだろうか？

２人は、幼稚園から中学校までずっと同級生だった。菅平には小中単級の学校がひとつあるだけ。だから同じ学年だと９年間は必然的に「同級生」になるわけだ。

「小学校の時には、山に入って遭難しそうになったこともあったよな。」
「最後は川に沿ってくだって、やっと出てこられたときに『あー良かった』って……。」
「先生自体が道わからなくなってたんだよな、あれって。」
「わたしたちの今ってあの先生の影響大きいのかもね。」
「あの先生好きだったよ。めちゃくちゃやったけどしめるところはしめてたよな。」

授業時間に山を歩き回る生徒と先生、めちゃくちゃだけど人間味あふれる先生、そんな先生の元で小学生時代を過ごして彼らの“今”がある。

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彼らが生まれ育った菅平高原は大笹街道が通り、太平洋と日本海を結ぶ重要な交通の拠点でもあった。江戸時代に本格的に始まった農地の開拓のため各地から移住してきた人々によって今の菅平がある。

夏のラグビーのメッカ。そのはじまりは法政大学のラグビー部を昭和６年に誘致してからのこと。一方、ウインターシーズンはスキーのコース数36、80年を超えるという規模・歴史的には申し分のないスキー場だ。けれど、その「申し分のないスキー場」「夏のスポーツのメッカ」である菅平が抱える問題はとても大きい。

たとえば菅平まで30分というところに住んでいる私が「スキーに行く」とき菅平は視野には入らない。私の関東・関西のスキー仲間も同じ。彼らは「長野でスキー」といえば白馬・志賀高原・野沢温泉。それはなぜか。

かつて、菅平に隣接する須坂市の野球少年たちが菅平でスキー合宿をした時、私は請われて指導者として参加したことがある。

野球少年とはいえ、3〜4年の子達はまだスキーが上手くないので初心者コースを利用するのだが、リフト1本分しかない短さなのであっという間に滑り降りてしまう。
あきてしまって別のコースに移動するとゲレンデの連絡がとても悪く、子供たちはスキーで「歩く」のが大変。ようやく別のコースに出たらそこもまた短くあっという間に終了。ちょっと滑れるようになった子供には物足りない。初心者には移動が辛い。

せっかくたくさんのコースを抱えているのに、なんでもっと連絡良くしないんだろう？志賀高原の方がもっと広範囲に拡がっているけれど、「全リフト制覇特典」のように楽しみがあるから移動が気にならないのに比べ、菅平の一体感のなさってなんだろう？

「これだけのスペースに6つもの会社が入っていて……みんなそれぞれバラバラなんだよな……。」……と大久保さん。

あの時「菅平っていいな」にならなかったその理由が、その大久保さんのひとことでやっとわかった。そしてそれは、スキーの話に限らない。夏のスポーツでも同じようなことが起きていた。

<img alt="%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%97.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%97.jpg" width="500" height="376" />
 
菅平の「グランドマップ」（写真はその一部分）。夏のシーズン、スポーツ観戦に訪れる人のためのものだけど、菅平の「観光地図」として使われることも多い。

この地図を見るとグランドには番号がふってあって、それぞれが「どの宿泊施設のものか」わかるようになっている。ほぼ真ん中に１のグランド、そのあと2は？3は？と番号で追っていこうとすると2は見つかるけど3はそばにない。1の周りに60台、70台の番号が並ぶ。色分けされているけれど、その意味もよくわからない。

「これね、番号は『グランドの出来た順番』になっているんですよ。」と大久保さん。

「おまけにこの地図、グランド持っている宿泊施設しか載ってない。そこに泊まる選手は宿泊施設がバスで送迎するから地図は要らない。これ使うのは試合を見に来る親御さんや外部の人達で、必ずしもここに載っている宿に泊まるわけじゃない。番号の不規則さ、目印のなさ。使う人にとってとても見にくいものになっているんです。」

確かにそうだ。私も菅平はよく通るので道は知っている方だけれど、この地図もらったときに目印を捜してしばらく考え込んだ。ましてやまったく土地勘のない人にはすごくわかりづらいものだ。

「この地図のこと、いつも言っているんだけどね。作っている人間は“自分たちはわかっているから大丈夫”と言ってこれがなかなか改善されなくて。」

……だけど、菅平って「開拓者」が入ってきて出来た土地ですよね？伝統とか歴史とかにはあまりこだわりがなさそうな気がするんだけど？

「元々あちこちからの開拓組が集まって出来た土地なんだけど、『自分たちが切り開いてきたんだ』という自負というか、誇りというか、そういうものすごく強いものがあるんです。バブル期にうまくいっていたので自分たちの親世代には特にそれが強い。菅平を離れるとそれがよく見えます。」と今野さん。

大久保さんや今野さんの視点は外から菅平を訪れる人達のもの。けれど、菅平で人を迎える立場の多くの人が「自分たちにはわかっているからいい」という視点であちこちを考えていたら……私のように30分という至近距離にいながら「スキーは菅平」にならないのだから、遠くからわざわざ訪れる人にとったらなおのことだろう。

そうでなくても、今、スキー産業は落ち込み続けている。かつてバブルの頃、都会からスキーに殺到してリフト待ちが1時間2時間だったあの時代はもう過去のこと。

「菅平は、まだ夏のスポーツがあるから落ち込みがひどくない。でも、今この時に何とかしなかったら……春や秋、そこも視野に入れた菅平を考えなかったら手遅れになる。」という大久保さんの懸念は強くなるばかりだ。

しかし……「かつての華やかな頃」を知る親世代と、「未来に危機感を持つ」子世代との意識の差は……簡単には埋められない。

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「日本に『国技』ってあるでしょ？あれと同じように菅平の学校には『校技』ってのがある。スキーがそれ。」と大久保さん。

子供のころから当然のようにスキー。選手も大勢輩出したろうし、今の菅平にいるスキーの指導員は地元の人間が大多数。

「だけど私はスキーは大嫌い。なんでこんなことしなくちゃいけないかってずっと思ってたし、すごくいやだった。」と今野さん。

スキーは中学の部活にも大きな影響を持っていた。ゲレンデに雪のないシーズンは男子はサッカー、女子はバスケ。シーズンになると全員が「スキー部員」になる。
本来、一般の中学生は部活を「選択」して入部する。スポーツが好きな子だけじゃない。音楽や美術をめざしたい子もいるだろう。今野さんのように「スキー嫌い」という子もいるだろう。しかし菅平の中学生はみんな一緒。「それが常識」だった。

さらに数年前のこと。部活を一年中「スキーに統一する」という通達が学校から家庭にあった。これに対して、PTAからはいろいろな声が上がった。大久保さんもOBとして、PTAとして、声を上げた。

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<em>思い起こせば、自分が生徒だった頃は「何のために勉強をするのか？」「何のためにスキーをするのか？」を自間自答しながら、自分が生まれる以前から始まっていた校技スキーの意義・概念を理解できないまま、受け入れる事ができないままに、ただ何となく活動に取り組んでいたように思います。(中略)

今回の中学生夏部活の件において、子供たちを取り巻く状況を一変させてしまったスキー活動の運営方針については、校技スキーの行く末を憂慮せざるを得ません。このような現状が、校枝スキーを「負の連鎖」に導くのではないかと危惧してならないのです。

現在の子供たちに対する教育・指導の内容は、次の世代の未来を創り、さらに、この世代の子供たちが親になって、そのまた次の世代を育ててゆきます。「教育は国家百年の計」と言われる所以です。

今回の件で、勇気を持って主張した生徒の意見が却下され、「大人に何を言つても無駄」と言葉を飲み込んでいる子供達が多数存在しています。意志が尊重されず、校技スキー活動に疑間を感じながら取り組まざるを得ない現在の生徒達が、菅平・峰の原の親となった時に『負の連鎖』が具現化され、校技スキーは衰退の一途を辿るのではないでしょうか。　</em>　　　　　（大久保さんのPTA文集原稿「思うこと」より抜粋）

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結局、通年スキー部はなくなったが、今まで秋までやっていたサッカーとバスケは春の地区大会までになり、その後夏からスキーシーズンの間は全員スキー部に……という「改変」が実施された。

けれど……。子供たちの夢は、スキーだけで実現するものじゃない。たとえ1人でもボールが蹴りたい子がいたらサッカーの機会を与えたい。速い球を投げられる子がいたら、甲子園夢見るかもしれない………。

実際、当時の中学生にはものすごく速い球を投げる生徒がいたし、サッカーの上手な女の子もいた。本来だったら「やりたいこと」の機会を与えるのは学校。けれど、菅平の学校でそれはかなわない。大久保さんは「菅平の子供の未来」を考えてひとつの行動を起こした。

サッカー少女と野球少年。2人のために「大人」を集めて一緒にゲームをする環境を作った。「菅平野球軍」「フリースタイルフットボールおしゃれ組」……そして、それらのために補助金をとり、菅平高原を拠点にしたスポーツクラブ設立をめざした。

メンバー集めから難航。地元の協力はなかなか得られない。スキーを推進する人達からは歓迎されない。体育協会への報告書作成もお役所仕事に翻弄される。
が、「地元の子供たちのために」という思いに突き動かされて活動は3年目に入った。

<img alt="IMG_5135.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_5135.jpg" width="500" height="350" />
 
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「菅平は、夏、スポーツの選手が集まってきている。けれど昔に比べてスポーツマンの質も変化していて。」

「夏の菅平」も今の菅平を支えているのは確かな事実だ。しかし、そこにもただ喜んでばかりいられない「現実」がある。
かつてのようにスポーツの技術と同時に先輩後輩の関係から人やものに対しての「精神性」を育成されたスポーツマンばかりではなくなった。菅平のメイン通りだけでなく、グランドや宿のそばの細い道までも拡がって歩く。近くの畑の農家の人々がトラクターで通りかかろうとお構いなしに。当然、メインストリートでも車は大渋滞。

「家の近くで夜遅くまで、大声で騒いでいる人も多いですよ。狭い道なのに、そして農家は朝早いから夜は早く休まなくちゃいけないのに、その騒ぎで寝られないこともあります。」「そういう人達がいるから子供のころは夕方になると道を歩くのがこわかった。」と、実家が農業を営む今野さん。

「そう、菅平を支えているのは観光だけじゃない。農家の人達だって大切な存在。だけど、夏の誘客を考えたときにスポーツマンが来てくれることも必要。観光と農業の関係性がとても難しい………。」大久保さんがそれに言葉を添える。

「菅平の農家は冬はゲレンデの食堂などで稼いでいるんだけど、スキーが落ち込んだら夏に頑張るしかない。夏、農業で稼げなかったら冬の食堂の設備投資のための借金返せないし………。」今野さんが語る菅平の農業の問題点は深刻だ。

菅平の抱えている課題は大きい。「冬」と「夏」のあり方、「農業」と「観光」のあり方、「親世代」と「子世代」の感覚の違い………。そしてさらに、それぞれの思惑や願いが渦巻く中、そのバランスを考えた上での「菅平」のこれから。

けれど、それらのひとつひとつを見ていくと、これは菅平だけの課題ではないように思える。たとえば、「町並みづくり」「学校教育」「地域おこし」そして「社会のあり方」……。今までの伝統と新しいものとのバランスや融合、様々な立場の人達がそれぞれに主張するものをどうまとめていくのか。

今の社会全体が抱えている、様々な問題の根っこにあるものが、この「菅平高原」のあり方に凝縮されているように思う。

この日。あっという間に時間はすぎ、それぞれの場所に戻ってお互いに尽きない想いをTwitterでつぶやき合った。
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【anuka_angela】<em><strong>駒村さん（@komacafe）と、旧友菅平プリンス（@suga59）と会った！すごいエネルギーをもらって帰ってきた。異業種間交流はすっごく楽しかった。</em></strong>
【anuka_angela】<em><strong>……で思ったのは、儲けることは決して悪いことではないんだが、もう個々の利潤だけ追求してても発展はないってこと。全体の発展を考えて初めて、個々が潤う時代だな。</em></strong>
【suga59】<em><strong>このような情報交換が菅平内で出来れば面白いんだけどね～</em></strong>
【komacafe】<em><strong>「全体最適」の考え方。社会全体で考えていくべき問題なんですよね。</em></strong>
【suga59】<em><strong>そう！ｳﾁのホテルだけ生き残っても、他が淘汰されれば菅平の集客力が落ちるってことだし、そうなればリフト会社の経営がより厳しくなるし、リフトが動かなくなったら菅平は壊滅する </em></strong>
【komacafe】<em><strong>それをみんなで考えるようになるためにはどうしたらいいのかなぁ。</em></strong>
【suga59】<em><strong>うーん、今は、いろんな活動を通して活躍することでミンナに認めてもらって、賛同者を増やして…と考えています(´∀｀)そのためには稼業を揺るぎないものにしなければいけませんね！</em></strong>
【komacafe】<em><strong>私はそういう人を見つけて繋げて、拡げるお手伝いを……それぞれが出来ることをするってことかな。</em></strong>
【suga59】<em><strong>いろいろ教えてください！！ミンナが笑えるように</em></strong>
【komacafe】<em><strong>合言葉は「ミンナの笑顔」。</em></strong>
【anuka_angela】<em><strong>「最大多数の最大幸福」、社会全体の課題だよね。良いモノやサービスを提供するのは大事なこと。例えばホテルが良くても、スキー場のサービスが悪ければお客様は来ない。夏も同じ。みんなで協力することが不可欠だよなー。</em></strong>

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この話には「結論」はないし、まだ先も見えない。けれどこれは菅平の中で、そしてもっと言うと社会全体至るところでこの先「尽きることなく」討論されていくべきなのだろうと思う。「今」から生まれる「明日」のために………。

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<strong>観光（かんこう）とは、一般には、楽しみを目的とする旅行のことを指す。語源は『易経』の、「国の光を観る。用て王に賓たるに利し」との一節による。「tourism」の訳語として用いられるようになった。</strong>(ウィキペディアより)

「国の光を観る」ということは、「その国の王の立派な人徳と、その王による国民の教化の美しさをみる」（これが、観光の意味）ということであり、「用て王に賓たるに利し」とは、「それだけの知力を持った人物であればこそ、王の賓客として遇せられる臣となることができる」（これが、観光の目的）ということ。

つまりは、その地にある光を見、その地の人々の徳に触れ、それによってその人も学ぶ。土地ばかりでなくそこの人々もまた「光」であるべきで、訪れたものが「また来たい」と思うような経験をそこですること。それが本来の「観光」だ。

最初に登場した「爆音バス」は、大久保さんが放つ光のひとつ。

<em><strong>【suga59】バスでAKB流してたら、違うグランドに送ってしまい、選手達はそこから走って移動しました…。しかしラガーマンは「いいアップになりました!!」と言ってくれた</em></strong>

大久保さんのツイッターにはこんな風に爆音バスで送迎したラガーマンたちの姿が登場する。彼らにはきっと、違ったグランドから走って移動することさえもいい「思い出」となったに違いない。爆音バスを知る人に聞くと、大久保さんはバスの子達だけでなく、信号待ちの時にもバスのドアを開けて道ばたのスポーツマンたちにも声をかけ続けているという。

<em><strong>「AKBで爆音バス楽しかった＼(^^)／帰りのテンションなら最高に楽しいですｗｗ」</em></strong>

これはそんなラガーマンのつぶやきのひとつ。彼にとっても大久保さんの「おもてなし」は心から嬉しく楽しい思い出のひとつに刻まれたのだろう。→<a href="http://www.youtube.com/watch?v=Snp99a_Wwlw">　爆音バスの様子（Youtube）</a>＊ボリュームにご注意

帰るとき、ホテル前のベンチに3人のラガーマンが座っていた。日に焼けてたくましい筋肉を持つその青年たちは、私たちが前を通るとさっと立って「こんにちは！」と笑顔で挨拶してくれた。

「この子たちは今年の優勝候補だよ、強いんだよほんとに。」

そういって3人を紹介する大久保さんは、自分のことのように嬉しそうだった。

夏の合宿、冬のスキー修学旅行……「すがだいらぷりんす」に出会った人達は、ここに菅平の「光」を見、そしていつかまたきっとこの地を訪れて大久保アニキと語り合いたい……と思うに違いない。

菅平に生まれ、菅平に育った「すがだいらぷりんす」の想いはこの地を訪れる人達に菅平の光を届けること。そのためにはまず自分が光となり、輝いてちゃんと人を照らせるようになること。その光を菅平のみんなと共有し、「みんなの笑顔」があふれる事。
 
<img alt="IMG_5143.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_5143.jpg" width="500" height="280" />

まだまだ越えなければならない山はたくさんある。 “プリンスの挑戦”はまだまだこれからも続いていく。「できるひと」が「できること」を。みんなのために力出し合う菅平をめざしてその輪を少しずつ拡げながら。

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菅平プリンスホテル→<a href="http://www.s-prince.co.jp/">HP</a>

写真・文　駒村みどり
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         <link>http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2010/08/post_130.php</link>
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         <pubDate>Sun, 22 Aug 2010 14:11:04 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>生きるための力。生きるための学び。〜さくらびの挑戦(1)</title>
         <description><![CDATA[<img alt="IMG_5024.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_5024.jpg" width="500" height="264" />
 
「今日これ使うグループは？」

美術教室の黒板の前で先生が手にしたのはデッキブラシ。受け取った女生徒はそれを嬉しそうに持って席に着く。大掃除の時間ではない、れっきとした美術の授業時間。

さらにビニールシート、梱包の保護材のプチプチ……次々に登場するモノはおよそ美術教室には縁がなさそうな素材ばかり。それらを手にした中学生たちは先生の指示を聞くとぱっとそれぞれの作業場所へと散っていった。

先生の名は、中平千尋。この美術教室で展開されているのは「さくらびアートプロジェクト」。「学校を美術館にしよう」をスローガンにかかげたこのアートプロジェクトの流れは今年で６年目を迎え、いま全国から熱く注目されつつある。

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机の上には、ウエディング情報誌。あこがれのドレスに身を包んで微笑むモデルさん。それを囲んで真剣に討論する女の子二人。写真の甘いムードと、それに向かうその表情の真剣さとは対照的だ。

<img alt="IMG_5039.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_5039.jpg" width="500" height="335" />

 そうかと思うと、その隣では同じく女の子二人組で趣ある古民家の写真集を拡げている。「教室に古民家の町並みを作りたい」というのがこの二人の想い。

<img alt="IMG_5044.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_5044.jpg" width="500" height="332" />
 
古民家とアニメとのコラボを考える……何とも絶妙な取り合わせ。どんな町並みが出来るのだろう？信州大学の工学部の学生がそのイメージ実現の支援をする。
パソコンを開いて、ノートに書き込んで、実際に作って……各グループは自分たちのイメージを外部から来ている支援者と共にどんどん拡げている。

<img alt="IMG_5045.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_5045.jpg" width="500" height="310" />
 
ベランダでなにやら写真を一生懸命に撮っているチーム。ここも女の子二人組。
「何撮っているの？」と聞くと「空の写真です。」との答え。

二人は海のない長野県に海を作っちゃおう、というグループ。小さいときに家の人と行った海。いいなぁ、あれ、教室に作れないかなぁ……そう思った二人が教室に海を再現するのにチャレンジ。空の写真は、その海の背景に使うのでとにかく青い空をいっぱいいいとこ撮りするのだそうだ。

「どんな海が出来るのかなぁ、楽しみだね。」と声をかけると恥ずかしそうに「はい！」と笑顔で答えてくれた。………良い表情だなぁ。

<img alt="IMG_5047.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_5047.jpg" width="500" height="320" />

別教室では電動ドライバーの音。やや危なっかしい手つきだけど真剣に木の枠組みを作っている。長いねじなのでまっすぐに入っていかない。やり直し。今度はまっすぐしっかりとねじが食い込んでいく。

<img alt="%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%B3%201.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%B3%201.jpg" width="500" height="319" />
 
「教室の真ん中に、クジラのしっぽがどーんとあったらいいなと思って。」と清野くん。図書館で見たクジラ。これを作りたい。教室を深〜い海の底にして………。その想いに共感した水口くんと組んだ男子二人組を応援するのは昨年に引き続き今年も支援者として参加の彫刻家の神林学氏。(<a href="http://gold.ap.teacup.com/ningyo/76.html">神林学氏の作品</a>は、ワイヤーワークなどで躍動感と生命力があると定評がある。<a href="http://obuse-acf.com/10satka.html">小布施境内アートにも参加。</a>　)

二人のイメージをもとになんと３メートルもあるクジラの実物大のしっぽが教室に登場するらしい。ダイナミックだ。聞いただけでワクワクする。

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「絵を描くなんてかったるい」「なんか創るのめんどくさい。」

学校の美術の授業でよく聞かれる生徒の声だ。何かを作ること、何かを表現すること、それはとにかく時間がかかる。自分の想いを表現するのには必死で考え、工夫することも必要だ。なんでもあって便利な世の中になって「考える」「工夫する」「自分で作り出す」必要もなくなってきた今、そういう機会は生活の場からは激減している。

子供のころから外で泥だらけになって遊ぶことやそういう場所も減り、汚いからと泥から遠ざけられ、土をこねる機会もない。泥遊びできる水たまりさえ排水溝の整備などで見あたらなくなった。

いい高校へ、いい大学へ。そのためにはいい成績を……。そういう「テストの点重視」の社会の流れの中、学校での限られた授業時間も次第に「受験教科」にかたむけられるようになってきて、結果、受験に関係ない美術、音楽、家庭科などはもう２０年くらいも前から次第に削減される傾向にあった。

それは「ゆとり教育」がきちんと浸透しない中途半端な形で「失敗」と言われてからなおのこと加速化した。そして……もしかしたら数年後には「美術の時間」は学校から消えるかもしれない、という危機的な状態にある今。

「このままでいいのだろうか？これではまずい。」

その危機感をそのままにしておけずに自ら「危険」の鐘を鳴らし始めたのがこの授業を組んでいる中平千尋教諭だ。

彼は、長野県に美術教育を育て、確立させようと孤軍奮闘をはじめる。その試みのひとつが「Nアートプロジェクト」。“学校を美術館にしてしまおう”という大胆なスローガンをかかげ、独自の美術教育を展開し、さらに外部に向かって次々と発信をし続けているのだ。

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<strong>中平千尋教諭履歴(<a href="http://www.gakko-bijutsukan.com/07_nakadaira/personalhistory/index.html">NアートプロジェクトHP</a>より抜粋)

<em>武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業後、東京都内のデザイン会社勤務を経て、長野県内の養護学校や中学校を歴任。
2001年から千曲市立戸倉上山田中学校に勤務。2003年より学校を美術館に変身させる「戸倉上山田びじゅつ中学校（略称：とがびアートプロジェクト）」を始める。その後、2007年長野市立櫻ヶ岡中学校に転勤、2007年からは「ながのアートプロジェクト」を立ち上げ、長野県内の美術教育だけではなく、全国の美術教育を盛り上げるため活動中。</em></strong>

芸術には情熱が必要だ。表現し、伝える、そのためにはかなりのパワーと熱量がないとやって行かれない。ある意味それは「先生」という職業にも通じる部分がある。生徒という人間に学びの場で対し、「育てる」点で情熱が必要だ。芸術への想いと生徒への想い。その二つが重なり合い強い想いを持って教壇に立つ。

……中平教諭はそんな「熱い」芸術教師だ。

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「今の世の中、なんでもすぐに“答え”を求める。“答え”に結びつけたがる。だけれど、答えはすぐには見つかるものじゃないし、ひとつじゃない。それぞれの答えはそれぞれ自分で見つけるものですよね。」「美術では答えはひとつじゃない。自分の答えを自分で見つける。だから今、美術教育が必要なんです。」

今の世の中、今の子供たち。その現実を見つめたときに「美術教育の育むもの」の必要性を感じた中平教諭は、千曲市の戸倉上山田中学校在職中に「学校を美術館にしよう」というアートプロジェクト、“とがぴアートプロジェクト”を立ち上げ、展開をはじめる。(詳細はこちらから。「<a href="http://www.gakko-bijutsukan.com/07_nakadaira/index.html#meanings">とがびプロジェクトの意義と展開</a>」ほか)

しかし、そんな中平教諭の発信はなかなか受けとめられない。まずは学校。「外に向かう」事に対してものすごい抵抗がある。それから周りの教諭たち。毎日の細かい仕事に追われる中「余計な手間」に関わってはいられない。地域の文化施設。美術館からの発信もなかなかない。

美術に関わるべきものが、発信していない。必要な場所に必要なものが届かない。そういう矛盾の中、中平教諭は警鐘を鳴らすことと発信とをやめなかった。
選挙前の各政党に、美術教育や文化に対する質問状を送った。(２党は返答が帰ってこなかったが)それを校内に掲示して自らも候補者としての主張をかかげて校内で「選挙」を行った。生徒たちからは圧倒的な支持を得た。

当時の千曲市の教育長もとがびのプロジェクトに理解を示してくれた。しかしその発信を受けとめはじめたのは、残念ながら県内からではなかった。県外の学校からの視察が来る。文科省からも視察が来た。講演の依頼もある。
そして何よりも、生徒たちの姿が物語る。

「相談室登校の生徒がいるんですが、この時間だけは教室に来るんですよ。」

さくらびのプロジェクトでの１人の生徒の姿。あるグループに入って毎時間一生懸命取り組んでいる。他の時間には教室に顔を出せないのに、その時間はグループの中心になって活動する。周りの生徒もその思いをちゃんと受けとめる。

「今、学校の先生や親たち(社会)が、車の運転にたとえるとハンドルを握るところからブレーキもアクセルもすべてやってしまう状態。生徒は手が出せない。“いい子”はそれであきらめてしまう。」「だけど、美術は自分の想いの中で“徹底的にやる”事が出来る。やりたいことを徹底的にやる、ということが学校教育の中で出来るのが、美術の時間だと思うのです。」

子供たちはもともと無鉄砲だ。小さい頃は遊びの中で、大きくなったらこういう表現活動を通して「無茶」や「めちゃくちゃ」をやる。その中で「自分はここまでできる」「これだったら大丈夫」という「基準」を見つけ出す。そうして自分探しをしながら大人になっていく。

「それが“自立”だと思うんですよね。徹底的にやることで自分勝手なところから自分を知って周りの中でともに生きる術を身につける。それをぼくは“卒業”って表現しているんです。」

今までのアートプロジェクトの中でいくつもあった「卒業」の場面。そういう場面を通して生徒たちは本当の意味で生きる力をつけていく。そして、それが本来の学校教育の中でつけるべき力。本来の学校教育がめざすべきものであるはずだ………。

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「え〜、せんせい音楽の先生なのに、さんすう出来るんだ！」

中平教諭と話しながら、かつて私自身が小学校の音楽教諭をしていた頃、低学年の子供にそう言われて愕然としたことを想い出した。もう15年も前のことだ。「おんがく」や「ずこう」は「勉強」ではない、そういう意識がこんなに小さい子供の中にもあることがショックだった。

自分自身、音楽や美術で育てられた感覚が「教科学習」に役立ったことは数知れない。

現在は中学生の家庭教師をしているが５教科の指導で子供たちを見ていると、数学や理科の文章題が解けない子は文章が読めない、わからない。読解力の不足と共に、問題を読んで頭の中にイメージがわかないから図や表でその現象を表現できない。表現力の欠如が原因だ。細かいところに注意する「観察力」も影響する。

読解力を助けるイメージ力や表現力などは音楽や美術で育つ力だ。また、表現の対象をじっと見て分析することで育つ観察力も、あきらめないで問題にじっくり取り組む集中力も、音楽や美術の表現を完成させようとする中で得られる力だ。

合唱や合奏で音を合わせて曲を練り上げる。共同製作で大きな作品を創り上げる。人と「力を合わせる」事の心地よさを感じ、自分1人では出来ないことも出来る可能性を感じる。そこで育つのは社会で生きていくために大切な「コミュニケーション力」。「創作」の課程や「表現の工夫」のなかで、人と関わり、自分にない価値観とぶつかり、それを取り込んだり折り合ったりしながら生まれてくる力だ。ひとり机に向かって黙々とやる「勉強」の中からは決して育たない。

逆に、音楽や美術をやっていく上で、国語や社会・英語、時に理科や数学の力が必要になることもある。教科を越えて「知識」というものは絡んでくる。このすべてをバランス良く獲得しようというのが「ゆとり教育」で詠われた「総合学習」の狙いだ。

けれど、点数ではかる「学力」重視の傾向がこの狙いを妨げた。いろいろな力は長い期間をかけて積み上げる中でつく力であり、最終的にはそれが学力に限らず「生きるために考える力」に結びついていく。けれど結果がすぐには出ないため、結果を急ぐ点数重視の社会は「ゆとりはダメだ」という世論を早くから展開し、それが総合学習の本来あるべき姿をどんどんゆがめていってしまった。

それでは、テストの点を重視したら学力はつくのか。

教えている中学生たちは一様に答案の点数の部分を折り返して隠す。点数を隠しても×のある答案は丸見えなのに。生徒には「点数」しか見えていない。50点なら50点。自分の力は「50点」。

まったくわからなくて出来ない問題が50点分の×なのか、それとも勘違いやちょっとしたミスでの×なのか。それを見ようともしない。そこで「どうして自分が50点？」と「考える」こともない。「悔しい」という気持ちさえもわいてこない。「なぜ、どうしてこの答えがこうなるのか」それを理解しただけで、子供たちはものすごく嬉しそうに微笑むのに。

音楽や美術で「出来る」「自分で満足する」までくり返し練習し、訓練し、その中で感じる出来ないときの悔しさや出来たときの感動も、「テスト」では関係ない。そうして子供たちは「点数基準」の判定になれ、自分の中に自分で基準を持てず、目標も持てず、◯か×かの２者択一の判断基準の中で良いか悪いかで生きていくしかない。

テストが出来る子は、頭がいい子。点が取れなかったらダメな子。

だけど、この先生きていくときに、◯か×かだけじゃない選択肢は山ほどある。50点の子が50点の生き方しかできないわけじゃない。100点の子よりも輝いて生きている人はいっぱいいる。

「生きる力」の評価基準は「子供たちの姿」だ。わかったときの笑顔、成し遂げたときの輝いた顔、その表情。生きるために本当に必要な力は「テストの点」では決してはかれない。

中平教諭の鳴らす警鐘は、これを如実に伝えている。子供たちの表情を見取って評価しながら、社会の一員として、この世に生きる者として、立って歩いていくために必要なものをちゃんと見きわめて与えていかなければ………と。

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「あのですね、今の世の中ちょっとリッチな気分になりたいですよね。だから、教室中をお金でいっぱいにするんですよ。」自らのデザインしたお金を誇らしげにかかげる大日向リーダー。男の子の５人組のチームは、机に向かってひたすらにお札のデザインをしていた。
 
<img alt="%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%B3%EF%BC%92.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%B3%EF%BC%92.jpg" width="500" height="328" />

壁一面・バスタブいっぱいのお札を作って、来た人に「リッチな気持ち」になってもらいたい。自分たちの夢のほかに「来てもらうお客さん」への想いが重なっている。教室いっぱいのお札を作るには、一体何枚製作するのだろう。ちょっと考えると途方もない。けれど生徒たちには迷いがない。真剣なその姿は、声をかけるのさえもとまどうほどだ。

<img alt="%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%B3%EF%BC%93.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%B3%EF%BC%93.jpg" width="500" height="343" />
 
不思議な世界を作りだそう……という目的の隣の男子４人チームは教室中にトンネルを造ろうと話し合う。話し合いの声に耳をかたむけてみる。

「不思議とかえ〜っとかいう感じを出すには、ただトンネルあるだけじゃなくて“中をのぞく”事が出来たらいいね。」「そう、好奇心。何かあるんじゃないかなって感じ。」「どうせだったら理科室ぜ〜んぶおおっちゃおうか。」「それは時間かかるねぇ、前日の準備大変だから、前日お泊まり会やるかぁ。」「合宿、合宿！」

話が弾む4人の男子と支援する信大教育学部美術科の二人の学生。学祭のノリだ。

さらに話は続く。「じゃぁ、トンネルの高さはどうしよう？」「そうだなぁ、しゃがむと腰が痛くなる人もいるから２メートル？」「いやぁ、教室だと192センチが限界だよなぁ。」

ああ、ここでも。自分たちの製作をお祭りのノリで楽しみながら、見てくれる人に思いやりを持ってトンネルの高さを考える心が育っている。自分たちだけが楽しめばいいのではない、だけど自分たちもちゃんと楽しんでいる。

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「美術の時間って、自分のやりたいことが出来る時間だから好きだった。」「作ることって楽しいし、考えることがいっぱいある。その中で人とのコミュニケーション力も育ってくる。」

この日の授業終了後、トンネルチームを支援している二人に話を聞いていたら、別のチームを支援している３人がそこに加わってきた。この５人は、信州大学教育学部の美術科の学生。善光寺門前の古い蔵を利用してギャラリーやワークショップを自主的に主催している<a href="http://tutinotoko.blogspot.com/">MINIKURAERT(ミニクラート)</a> のメンバーだ。

「教育実習で中学生が、美術の時間をすごく嫌がる姿がショックだった。」「きっと、誉められたことないんだろうね。上手い下手、とか点数で評価されるのに慣れちゃってほんとの楽しさ感じる機会がなかったんだろうなぁ。」

自分たちは図工や美術の楽しさを知って、美術教師の資格をとる課程にいる。自分たちの生きる軸だった美術が学校の教育から消えてしまったら悲しいという。

彼らは中平教諭の持っている危機感に呼応するように今回協力者としてここに参加している。こういう世代が後に続き、次に繋ぐ活動をしている。こんな風にたくさんの協力者と、今年もさくらびアートプロジェクトは進行していく。

10月に向かって各自の夢が進行していくその中で、中平教諭の想いや生徒たちがどうなっていくのか、それはまだわからない。10月の発表を迎えたあとで、みんなの中にどんな想いが育ち、なにが生まれるのか。その表情や成果の中に中平教諭の美術指導の成果と真価が見えてくるはずだ。

 <img alt="IMG_5016.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_5016.jpg" width="500" height="223" />

今年、その10月までもうちょっとこのプロジェクトを追いかけてみようと思う。

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ながのアートプロジェクト<a href="http://www.gakko-bijutsukan.com/index.html">ＨＰ</a>

（写真・文：　駒村みどり）

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         <pubDate>Fri, 06 Aug 2010 01:10:08 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ちりも積もれば宝になる〜まちとしょテラソ１周年</title>
         <description><![CDATA[<img alt="machitosho1anv_cover.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/machitosho1anv_cover.jpg" width="500" height="328" />
 
玄関で手作りのくす玉が、ひらひらと朴訥に祝いの言葉で歓迎してくれた。

「祝　まちとしょテラソ開館1周年」

小布施の町立図書館まちとしょテラソが今月7月で開館して1周年を迎えた。３日間開館記念行事が行われ、そのフィナーレが19日のシンポジウム。
タイトルは「デジタルアーカイブで遊ぶ、学ぶ、つながる」。
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<img alt="machitocho1anv1.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/machitocho1anv1.jpg" width="500" height="304" />

この日も一般の人々がたくさん勉強したり本を読んだりしている。ここはいつ来ても活気がある。シンポジウム会場はそんなテラソの東の一画。七夕ムードに飾られた館内にふさわしく、浴衣での受付は情緒たっぷり涼の演出。

正面には大きなモニター、サイドに記録用のビデオカメラが配置され、さながらテレビスタジオのような趣。図書館利用の子供が周りを興味深そうにぐるぐる回っている。
日常の図書館の光景に加わったお祭りのワクワク感とちょっとした緊張感。夏の日差しが大きな窓から差し込んでいる中、シンポジウムが始まった。

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「この写真は大正15年の小布施の町の真ん中を走る道の写真です。」
シンポジウムの冒頭に挨拶に立った小布施町の町長、市村良三氏の言葉と共に提示されたのは印刷された白黒の写真。

<img alt="machitosho1anv2.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/machitosho1anv2.jpg" width="500" height="352" />
 
シンポジウムのテーマが「デジタル」なのに初っ端の極端なアナログ資料の提示に驚く。しかし、シンポジウムのサブタイトルを見るとその意図が伝わってきた。
<strong>
「デジタルアーカイブで遊ぶ、学ぶ、つながる」
　 ～100年前の小布施人が伝えたもの 100年後の小布施人へ伝えるもの～</strong>

市村氏は、こういう古い資料が雄弁に物語ることを未来に繋げることの重要性を語る。つまり「未来に向かう社会」がよりよくあるための過去と未来のかけはしがデジタルアーカイブだと。ここでシンポジウムのテーマとサブタイトルの意味がしっかり絡まり合ってつながった。

続く、国立情報学研究所　丸川雄三氏による基調講演。
 
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「たとえば、このまちとしょテラソは何となく本を読みたくなるような図書館。その何かしたくなる、というのが大切。あるだけで何かしたくなる、そんな風に“文化”を発信していくことで何かが生まれる土壌になる。」

そう話しながら大きなディスプレイに触れる。サムネイルの風景画が一気に全画面表示になり、さらに部分拡大も。トラの画像を拡大すると今にも食いつきそうな迫力に。
 
<img alt="machitosho1anv4.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/machitosho1anv4.jpg" width="500" height="450" />

確かにこれは、いじりたくなる。

こういう作品は美術館で実物を見るか、美術全集のようなもので写真で見るしかない。が、ガラスケースやフェンスに囲まれた本物には近づくことが出来ず、美術全集では写真の画像の細部の陰影はつぶれてしまう。けれど、デジタルの映像はあざやかで、拡大しても細部までくっきり見ることが出来る。様々に作品を“いじって”いるうちに、いろんな“発見”もありそうだ。

「何かが生まれる土壌になる」……なるほど、確かにうなずける。

丸川氏は文化財をデジタルデータ化し、たくさんの人達がいろいろな形で活用できるよう研究を進めている。これをデジタルアーカイブと呼ぶのだが、「これは、記録のデジタル化と言うよりは、“電子記憶”と呼んだ方が適切」という。

単なる記録ではない、単純に文化財をコピーするだけでもない。そこに“情報”を加えて一緒にデータ化することでコピー(記録)ではなく文化的な財産として価値をもったひとつの新たなデータ(記憶)になる。「人の手による作業」というアナログ的なものが加わり、埋もれていた文化財が生き生きとよみがえる、それがデジタルアーカイブだ。

こうしてよみがえった記憶を活用しやすいようにデータベース(目録)を作り、そこではじめて、人々はこの新たな記憶を「コンテンツ（記事）」として活用できるようになる。誰もがわかりやすく簡単に記憶をたぐり寄せることが可能になる。
 
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たとえば、<a href="http://navi.jimbou.info/" target="blank">ジンボウナビ</a>。古本屋の町、神保町のガイドがタッチパネルで自由に呼び出せる。<a href="http://ebiki.jp/index.html" target="blank">絵引きギャラリー</a>。画面に並んだたくさんの画像から興味のある文化財にタッチしてその詳細を知ることが出来る。そしてさらに、まちとしょテラソにも備えてある“連想検索”「<a href="http://imagine.bookmap.info/index.jsp" target="blank">想-IMAGINE</a>」。キーワードをもとに関係図書・情報を探すことが出来るシステムだ。

さらにコンテンツをもとに新たなテーマでまた別のコンテンツを組み上げる。それを「メタコンテンツ」という。その例として丸川氏が見せてくれたのは「葛飾北斎」というキーワードから情報を集めた「連想新聞」だった。メタコンテンツと聞いてもピンと来なかったのだけれど、「連想新聞」の話を聞いて思いだしたことがある。

わたしは教員時代、中３生の修学旅行の「栞」を作るときに生徒とこれをやっていた。目的地は京都・大阪。金閣寺・清水寺、USJ・海遊館……。１人１カ所を担当した生徒たちはPCでそれを調べ上げ、他の生徒がそこで何をどんなふうに見たらいいのかのガイドを創った。

USJではどんなアトラクションがあって、どこにどんなおみやげがいくら位で売っているか。金閣寺は誰がどんな時代になんのために建てて、どこが写真スポットで……などなど。まだPCの扱いにも慣れない生徒たちが、自分の行きたい場所のガイドを作るうちに思いもかけないデータを集め、それをコピペし自分たちで見出しや解説をつけながら創り上げた自分たちのためのガイドブック。

わたしは見ていてその発想の豊かさや、視点の面白さに感心した。教師が教えるという観点で作る栞はそれなりに意味がある。だけど、生徒たちが自分で行きたい場所を人に伝えたいという想いから創り上げたそれは、荒削りだけど「伝わる」「わかる」という点ですばらしいものだった。

「メタコンテンツ作りは、必ずしも専門知識が必要ではありません。」

丸川氏のその言葉に、わたしは大きく心の中で同意した。市販のガイドブックやテレビの情報から選んだ目的地について生徒たちはほとんど何も知らない。だから一生懸命に調べる。わからない、知らないからこそ掘り下げる視点は目新しい。そこから「生まれる」新しい発見・認識や価値観。

まさに、過去の財産を今によみがえらせ、未来に繋げるかけ橋。今を生きる子供たちが、過去に学んで新しい価値観を想像するためには大きな力となるはずだ。

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「今日の講演、学校の先生は聴きに来ているのでしょうか？」

丸川氏の基調講演で，このテーマは学校現場にもものすごく必要なものであることを感じたわたしは、講演後の休憩時に花井館長をつかまえて質問した。

授業で教え込まれることの多い「学校」の中で、自ら学んでつかむための大きなヒントがここにある。おまけにこのまちとしょテラソは小学校に隣接している。これだけハードもソフトも充実し，それを使いこなす人がいるすばらしい施設を活用しない手はないし、今日の講演も先生たちが聞いたら、絶対に現場で役に立つ。

だけど、答えは残念ながら「ＮＯ」だった。まちとしょテラソが今回のサブテーマにかかげている「100年後の小布施人へ伝えるもの」……その100年後の小布施人に繋げていくのは、まぎれもなくこの小布施町の子供たちなのに………。その子供たちを実際に学校で育てる者が誰も来ていない……。

それは、ものすごく残念でもったいないことだ。こんな風にどんどん発信しているパワーあふれるスポットが近くにあるのに。「外に飛び出す図書館」がある町で学校はいまだに外と繋がろうとはしていない。せっかくの発信も受けとめるべきところが受けとめないと繋がってはいかない。

それは、ここ小布施に限ったことではないと思う。いや、小布施でさえもまだ難しい課題なのだとしたら……まだまだ、「未来を作る子供たち」に過去の財産を繋げていくのは難しいことなんだなぁ……と、ものすごく残念に思った。

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 休憩後、「小布施百人選」の紹介が花井館長から、小布施の町内旧家文書デジタルアーカイブ実例集が小布施史料調査会の小山洋史氏から、「小布施ちずぶらり」について開発者の高橋徹氏から、「鴻山文庫」デジタルアーカイブの紹介が国立情報研究所の中村佳史氏から発表された。ここではその概要を掲載する。

<strong>小布施百人選</strong>：小布施町を作った人々を100人選定。町づくりの想いと知恵を本人が語ったものを映像と書物にて「人物史」としてアーカイブ化。先人から学び、今を生き抜く羅針盤の役目を果たすものとして，また未来へのタイムカプセルとして考えていく。……100年後にはすべてが大切な宝物となるはず。 (花井館長)

<strong>町内旧家文庫</strong>：小布施町の旧家に眠る資料を集めてデジタルアーカイブ化。横浜国大の協力を得て、検索システムを整備。調査しているうちに新しい史料(葛飾北斎の書状)も発見された。 (小山氏)

<strong>小布施ちずぶらり</strong>：iPod,iPhone用に開発された地図アプリ。18世紀後半の小布施の古地図・オリジナルイラスト地図・Google Mapを切り替えつつ、GPSで現在地を表示しながら小布施の街を歩くことが出来る。いろいろな人の作った地図を活用して拡げる研究も進められている。(高橋氏)
<strong>
鴻山文庫のデジタルアーカイブ化</strong>：旧小布施図書館に眠っていた高井鴻山の遺産「鴻山文庫」をまちとしょテラソに整理・保管。人々が閲覧できるようにデジタルアーカイブ化。立体感のあるあざやかな映像として鴻山文庫がよみがえった。地方文化を支えた鴻山の「コレクション」の固まりを財産としてまとめた。(中村氏)

小布施の町の財産が……100年後につながるものが今このまちとしょテラソを中心に宝の山として積み上がりつつある、そんな感動を覚えた。もし、小布施を訪れる機会があるのだったら、是非まちとしょテラソに寄ってそれらを体感して欲しいと思う。

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3時間半に及ぶシンポジウムのラストは発表者すべてによるディスカッション。今日の濃密な発表に呼応するように深く鋭い質問が飛び交った。

「デジタルアーカイブ」はまだまだ人の中への浸透率が低い。プラスの面ばかりでなくマイナス面、デメリットも当然あり、それは発表者各自もメリット同様に明言していた。また、普及にはソフト・ハード両面や環境面での困難さも多い。その点を発信するもの、受けとめるもの、両者がきちんと理解し合い、ふまえながらこの先も進めていくことの大切さが語られた。

個人情報の問題・著作権の問題。古地図を扱うには差別の問題も。一般に「公開」すると、かつてグーグルアースのストリートビューで問題になったような様々な問題が浮上してくる。法規制や個人のプライバシーをふまえてこれらに取り組むことと「情報の公開」との間にはまだまだ課題がたくさんある。
 
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さらに二つ、大きな課題が提示された。

「なぜ、小布施（まちとしょテラソ）からの発信」なのか。そして「なぜ今、この時に無駄かもしれないことに金をかける」のか。

この答えについては，きっと今すぐには明確な回答は出ない。100年先になってはじめて見えることに今地道に取り組んでいる過程なのだから。けれど、今回のパネラー各氏の回答の中に、今も大切な想いが……将来につながる想いが浮かび上がってきていた。それは、過去の大いなるものを今よみがえらせ、未来へと受け渡す地道な努力を積み重ねている各氏だからこその言葉なのだろう。

小布施は実験の大好きな町。まずやって見よ、と遊ばせてくれる町。人のためになるのだったら進んで「小布施モデル」を作ろうとする気質がある。もしかしたらそれは、北斎はじめ「よそ者」を受け入れるばかりかつかんで離さないおぶせびとのDNA……。福岡出身で自らも小布施につかまれた花井館長が語る。

おぶせびとの小山氏(氏は小布施で天明時代から味噌を商う穀屋の主人でもある)がそれを受ける。城下町でも門前町でもなかった小布施は、市で成り立ってきた町。情報や人やものが外から入ってこないと成り立たなかった町。入ってきたものを発酵させて生きてきた。だからよそ者大歓迎の町だった、と。

そんな小布施町が、公費をかけて一見報われないもの(無駄なもの)と思われるものになぜ取り組むのか？という質問に答えて花井氏。

<strong>「地球を作ったのは僕たちじゃない。過去の100年、未来の100年の中で今、僕たちが生かされている。僕たちは今の人達だけのためにサービスするのではなく、もっと長い物差しで公務にあたり繋げていくための努力をするべき。」</strong>

受けて丸川氏が今、文化庁を中心にした取り組みについて語る。
「日本が文化的なものをどれだけ発信するのか、それがとても大切になってきている。急がないと失われつつある文化遺産の維持が難しくなってしまう。」税金を使って文化事業に取り組むことが急務である実態と共に、「IT化によりコスト削減の効果も考えられる。そういう期待に応えられるだけの成果を上げないといけない。」と、公務として取り組むものの覚悟も。

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3時間半にわたるシンポジウム、最初は長いなぁ……と思っていた。

けれど、これだけの濃い中身と課題の提示、その検討の時間は気が付くとあっという間だった。多分、まだまだ語り尽くせない想い、聞き出したい問題、そういうものもたくさん残っていたに違いない。けれど、それらはこれからの小布施やまちとしょテラソの取り組み……「小布施モデル」から我々が受けとめるものだろうし、またそうしていくべきなんだろう。真剣に我々を先駆ける小布施の姿から見つけ出すものなのだろう。

最後に再び挨拶に立った市村町長はこう語った。

「今の世の中、ものの尺度になる物差しが小さくなってきている。だからこそ我々は、いくつもの様々な物差しを持たないと危険だ。今、空気を読むことが大切といわれているけれど、この“空気”に対抗できるだけのものがないといけない。そのためには様々な物差しが必要で、それを生み出していく取り組みのこれからに期待したい。」

人々の地道な努力と積み重ね。それは、決して表に華やかに示されるものではない。いつの間にか町の片隅で，家の中で、実用化されて活用されていく。けれどもこの蓄積があってこそ、未来を作る子供たちの活動につながっていく……。という司会の中村氏は最後にこう締めくくった。

<strong>「100年前から100年後へ。この理念を持って今、誇りに思い伝えるべきものを伝える努力をする。ここからがまた新たなスタートです。心して遊びましょう。」</strong>

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小布施という北信濃の小さな町。
そこに静かに、しかし熱く積み重ねられつつあるものたち。今はまだ、その価値も真価もわからない。もしかしたら風に吹き飛ばされる小さなチリのようなものかもしれない。

けれど、長い長い昔からのものを今、受け継ぎ、熟成し、発酵させながらまた新たな物を生み出し、そうしてこの先の長い長い年月を繋いでいく。出発は小さな吹きだまりかもしれないが長い時を経たその先に、それはやがて積み重なって地層を形成し、この先の時代を構成する大きな山へと変貌していくのだろう。

今を生きる我々は、それを受けとめ受け継ぐ。未来を生きる人のために。未来を作る人達のために。

「図書館は、今まで何処もみんな同じが当然でまったく“議論”してこなかった。もっとお互いに情報交換しつつ、それぞれの立場で違う業態があっていい。うちはうちで持っている情報がある。それを編集して自分たちなりの表現をしていくことだね。」

この日、すべてが終わったあとの懇親会で伊那図書館の館長である平賀研也氏はこうつぶやいた。

小布施町の試みから発せられるエネルギーが、伊那市につながった。これが長野県、さらに日本の国をおおって巻き込んで拡がっていくことで、新しい未来につながっていくに違いない。それを受けとめるのはわたしたち。そして繋げるのは子供たち。

小布施の真似は決してできない。まちとしょテラソと同じ事をやっても意味がない。この発信を受けたもの……図書館も、学校も、役場も、地域の住民もあらゆる職種の人々も……それぞれがそれぞれの立場でできる小さなチリの積み重ねをはじめること。

その「小さな積み重ね」がみんなひとつに集まれば山となり、長野県、日本、そしてやがては世界の宝となって100年後につながっていく。

まちとしょテラソの1周年は、100年後への第一歩をここに記して盛会に終わった。
 
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写真・文　駒村みどり
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         <pubDate>Sun, 25 Jul 2010 16:20:11 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「なから」がもたらす可能性（2）～セガレとセガレのBBQ</title>
         <description><![CDATA[<img alt="segare2_cover.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/segare2_cover.jpg" width="500" height="270" />

７月１１日、日曜日。天気は、あいにくの小雨模様。
菅平の裾の須坂でさえ肌寒い……さぞかし上は寒いだろうと長袖を着こんで会場に向かった。

けれど、会場に着いたときに思った。
どうやら長袖の必要はなかったのかもしれない……と。

※ここまでのことは<a href="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2010/07/1bbq.php">「なから」がもたらす可能性（1）</a>をご覧下さい。

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会場は菅平高原グリーンパーク。会場併設のグランドでは夏のシーズンの菅平名物、ラガーマンの練習風景が雨にもかかわらず展開している。
 
<img alt="segare21.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/segare21.jpg" width="500" height="296" />

屋内のBBQコーナーは、すでに材料が並び始めて準備が整っていた。そして感じたのがそこの熱気。まだBBQの鉄板に火が入ってもいないのに、なんだかすでに熱いのだ。

「何かが、ここで起こりそう」……そんな予感がびりびりとしてくる。
そして、その予感が的中したことは、そのあとすぐに判明した。

「乾杯！」
間島さんの音頭で乾杯したあと、代表の児島さんの挨拶。それからメンバー自己紹介。
まずはこのイベントの関係者。東京から来たセガレメンバー5名。つづいて長野側の間島さん関係者。みんな話が面白い。というか、つい耳をかたむけて聴き入ってしまう話ばかり。……まだ、ほんの自己紹介なのに。

<img alt="segare22.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/segare22.jpg" width="500" height="257" />

その感じは、多分わたしだけのものじゃない。だって、目の前にあるごちそうや飲みものを手にとりながら、誰一人として自分勝手に騒ぐ人なんかいない。話す人を見て真剣にその言葉を聞く。4０人もの人たちがほそなが〜く座っているから決して聞きやすい状況じゃないのに。

「みんなやってたら時間かかるだけだよね、それぞれで話をしながら自己紹介してください〜。」

自己紹介はそこで中断。そしてたくさんの「セガレ（とセガール）」たちはたちまち入り交じってとけ合っていった。

<img alt="segare23.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/segare23.jpg" width="500" height="333" />

参加メンバーの職業は本当に多彩だったし、活動地域もバラバラ。

地元観光地の旅館やホテルのセガレ、レタス農家の方、プロスノーボーダーの方、山野草などの花卉を栽培・通販している方、ステンレス創作をしている方、横浜でシステム開発をしている方、小谷村の写真を撮り続けて発信している方、印刷会社のセガレ、地元の広告代理店の方、などなど。中には遠く南信の阿南町から駆け付けた写真屋のセガレも。

まずは横浜のSEの沓掛さんとセガレメンバーの静岡のミカン農家のセガレ、わたるさんに話を聞く。ネットでこのイベントを知ってわざわざ横浜から駆け付けた沓掛さんは、実家が青木村で農業を営む、まさにどんぴしゃの「セガレ」。

「そうですね、家に戻るのには迷いがあるけどいずれは考えなくちゃならない……。」

田舎に引っ込むとSEの仕事は激減する。しかし都会から仕事を受けようと思うと費用の面で避けられる。今は国内よりも海外に発注した方がずっと安上がりだから。では家の仕事を手伝うか……というと生活の面でもかなり不安だ。

その迷いは、多分「セガレ」たち共通の悩み。東京のセガレたちはそういう悩みについての勉強会や意見交換会を開くこともしている。

そういう沓掛さんを「メンバーにいつでも歓迎しますよ！セガレは会社じゃない、サークルのようなものだし。」と受けとめるわたるさんは、東京で経営コンサルタントをしている。自分の実家だけでなく、農家の人たちがちゃんと生活できる、生活するだけの収入を得られるようになる手助けがしたい、と語る。

「でも、自分が出来るのはアドバイスだけです。自分たちは作っていればいい、というだけの農家じゃ手助けは無理。」

自分の家だけもうかるようにするのは多分すぐ出来る。でもそれじゃぁ「農」を考えたときに意味がない。“日本の農業”がきちんと成立するようにしなくては。そう語るミカン農家のセガレは、誇りある「日本の農家のセガレ」でもあるのだなぁ。

セガレつなぎに身を包むあつしさんは、酒米作りの農家のセガレ。代表の児玉さんが、東北の酒蔵の「セガレ」と縁があり、その縁をあつしさんに結びつけた。あつしさんの実家の造る酒米と、酒蔵のセガレとがコラボして出来上がったのは「オヤジナカセ」という名のお酒。父の日に向けてかなり売れたようだ。

「父の日が過ぎたら売れなくなりましたけどね、でも、父の日用のお酒、という位置づけでいいじゃないか、と思うんですよ。オヤジとセガレを結びつけるきっかけになるようなお酒になったらいいなぁ、と。」

久しぶりの帰省に、オヤジと飲もうとセガレがみやげに持ち帰る、もしくは久々に家に帰る息子と飲もうとオヤジが用意して待っている。帰れないけど感謝の気持ちを込めてオヤジに贈る、などそんな時に、この酒を……とあつしさんは言う。そんなメッセージ性（物語）のあるお酒、素敵だよなぁ。

間島さんとこの企画を盛り上げようとがんばってきたのが同じデザイン会社に勤める関さん。なんでこの企画に関わったのか？と聞いたらこういう答えが返ってきた。

「広告って、人を元気にするためのものじゃないですか。自分はそう思って仕事している。うちの会社は社長始めそういう人が集まってて、間島さんもそう。
広告ってものすごくいろんなことにつながることが出来る仕事。結局、人を元気にすることやそういう集まりの中から情報がどんどん集まってくる。こっちから発信するとまた集まってくる。そうしていろんなところとつながって、どんどんみんなが元気になったらいいじゃないですか。」

……広告は人を元気にするためにある。あったかい言葉だなぁ。

<img alt="segare24.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/segare24.jpg" width="500" height="276" />

同じく上田セガレチームの大久保さんは、菅平プリンスホテルのセガレ。日本のダボスと言われる菅平はスキーのメッカだけれど、スキー人口は減少、各地のスキー場はどんどん苦しくなっている。

「菅平はまだ、夏のラガーマンの合宿があるからいい。他のスキー場と比べたら落ち込みは緩やか。けれど、この先を思ったら「春」や「秋」も考える必要がある。」

そう語る大久保さんが今取り組んでいることは、“ほっとステイ”。真田町と協力し、都会の子供たちを菅平に泊めて、真田町の農業体験＆お年寄りとの交流を組み込んだ体験ツアーだ。このほっとステイ、セガレ代表の児玉さん出身地の武石村がやっていたことで、それを見に行った大久保さんが、都会のクールに見える子供たちが帰るときにお年寄りとの別れに涙を流す様子を見て「これだ！」と思って取り組みはじめたそうだ。

最初は「儲け」のことが頭にあった。採算を考えてがんばったときもあった。けれど、大久保さん自身が「お年寄りの無償の善意」に触れて考えが変わった。この企画は「信州しあわせ村」という団体でやっている。団体自体の儲けなどはほとんど無い。けれど、これを続けることで何か見えてくるはずだ。その手応えは確かに感じている。

現在、このほっとステイは長野県内で武石と真田町の他、青木村、立科、長和村、茅野が「長野県ほっとステイ協会」として横のつながりを持ち、フランチャイズ形式でお互いに支え合いながら活動を続けている。

その大久保さんに、「ここで何が起こっているのか」もよくわからずに引っ張ってこられたのが伊藤さん。「自然回帰線」という名のペンションのセガレだ。伊藤さんは元、自転車のレーサーだったが腰を痛めて菅平に帰ってきた。
彼とはあまりゆっくり話も出来なかったけれど、最初は周りの熱気に押されっぱなしだった彼が、帰った翌日Twitterでつぶやいた言葉は印象的だ。

「一晩開けても興奮冷めやまぬ。それは、きっと自分の中で何かが変わり始めた証拠だと思う。」

<img alt="segare25.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/segare25.jpg" width="500" height="376" />

間島さんつながりで、カメラの仕事と兼ねてこの集まりに参加した南信、阿南町の写真館のセガレ、後藤さんもこう語る。

「離れて気が付く地元の良さって、ありますよね。自分も、この先写真を通して地元の南信州、阿南(新野の雪祭り・盆踊りで有名)の魅力を伝えていきたいと思っています。こういうイベントがまた開かれるのだったら、都合がつけば遠くても是非参加したいですね！」

セガレたちの集まりの持つ熱は、こうしてまた新たな熱を呼び覚ましたのだ。

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こんな風にたくさんの人たちの話を聞いてまわっているうちに、これだけたくさんの業種、職種、地区の人たちの集まりであるにもかかわらず、あるひとつの「共通点」があるように思えてきた。なんだろう？もうちょっと話を聞いてみる。

「セガレメンバー」の一人、湯田中のりんご農家のセガレ山本さん。彼はやはり幼い頃からりんご農家の大変さを感じて、兄に続き自らも地元を離れた。今、弟が家を手伝っている。「家を継ぐ」事について親は何も言わないし、責められているわけでもない。けれど、かえってそれが辛かった。自分の中では「何も出来ない、何もしていない」後ろめたさがずっとあった。

そんな時に東京で「セガレプロジェクト」に参加するようになった。
メンバーはみな「セガレ」である後ろめたさを持ちながらも、決して後ろ向きにはとらえていない。むしろそれぞれが出来ることをそれぞれの立場でやること、それを「楽しむ」感じ。

地元でりんごの手伝いをするのは、今の自分には出来ない。それじゃ、自分に出来る事って何だ？……そう考えた山本さんは、実家が作って売っているりんごジュースに目をつけた。ただ何もラベルのない瓶に詰めて売っているだけ。ここにちゃんとデザインしてラベルをつけたらどうだろう？

広告プランナーの山本さんは、友人のデザイナーの協力を得てラベルを作った。貼って売り出した実家のりんごジュースの売上げは、今までとはぜんぜん違った。自分も家の役に立った。親も喜んでくれた。無理をして家に戻って家で働くこともひとつかもしれないけれど、こんな形もあるのかもしれない。そう思えるようになった。

<img alt="segare26.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/segare26.jpg" width="500" height="307" />

橋詰さんは旧武石村(現上田市)で、豚とトマトをやっていた農家のセガレ。やっぱり農業のつらさがあって、「継ぐ」という気持ちはなかった。兄は地元にいるが、別の仕事に就き、実家の農業は一回途切れた。

母親がずっと、花作りをしていた。花を育てながらいろいろ苦心する母の役に立ちたかった。そこで橋詰さんは花作りの専門学校に進学するためにいったん地元を離れた。その間いろいろ考えた。
自分の地元の武石村も、若い人たちが離れてどんどん寂れている。それはなんだかいやだった。実家はトマトもブタもやめてしまったけど、農地や設備は残っている。無からの出発ではなく「ある」ところから出来る。……「あるもの」で何が出来る？

そう思って地元に戻り、地元の花屋で働きながら実家の畑で今いろいろな野菜作りに取り組んでいる。彼は農協には入っていない。農協にはいると最低価格は保証されて、安定感はある。けれどそのためにはある程度の量産をしなくてはならない。今の状態で量産を考えたら人手も時間も足りない。そのために無理を重ねるのは何かおかしい。

計画的には出来ないけれど、代わりに自由度はある。自分でやることによって、お金で買えないものが手にはいる。自分が作った物を直接近くの店やレストランに卸して食べてもらう。「おいしかった」とまた買いに来る子供の感想を聞く。

「無理してやることはない。」

今ある農地で、今得られる力で、どのくらいあげられるのかが課題、と彼は言う。

その彼の言葉に同意するのは菅平で有機レタスを作っているまる文農場の小林さん。彼の祖父は上田から菅平の開拓史としてやってきて、その畑を守る３代目セガレだ。
JAは保証があるけれど、そのために量産が必要だ。それにある程度以上には高値で売れない。自分で直接売ったらもうちょっと高値でも売れる。そうして手塩にかけた野菜の販売網を自らで開拓し、自ら積んで配達しに行く。販売地域は主には上田から軽井沢まで。須坂からも売りに来て欲しい、とオファーがあったがそこまでは手が回らないから、と断った。

配達してくれる人を捜したら？というと彼もまた、こう口にした。

「無理はしない、無理をさせないのがいいんです。」

自分の手で運ぶのが大切なんだ、自分たちでやるからいいのだ、そのためには身の丈以上のことはしないのだ………と。

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長野県には、「なから」という言葉がある。

自分に出来ること(やりたいこと)を出来る範囲で、「楽しく」やるのがスタンスのセガレプロジェクト。一方、この集まりにやってきた長野県のセガレたちもまた、みなそこにあるものの範囲で、自分に出来ることを考えて決して「無理をしない」でやっていくスタンス。どちらもみんな、この「なから」な感じ。

今回、この菅平のイベントを取材してみてセガレたちから感じた共通点。それははじめて児玉さん・間島さんと話した日の想いと重なった。

彼らの親御さんたちは、ものすごく大変だった。彼らは小さい頃からその作業の手伝いにかり出された。そして物作りの大変さを身にしみて感じたからそこから離れたいと思った。けれども、親の作り出す物の温かさや大切さもまた、彼らの中には染みこんでいた。親のようにがんばりすぎるつもりはないけれど、でも、大切なものを伝えることはしたい。

そんなセガレたちの想いの行き着くところがこの「なから」なあり方だったのかもしれない。無理しない。多くを望まない。ある物、できることでやれる範囲でやっていく。

がむしゃらに収入を上げるために働く「エコノミックアニマル」と呼ばれたかつての日本人。高度成長の呼び声に踊らされて家族よりも社会、会社、国のために「２４時間働きづめ」だった時代。その時代のツケが押し寄せて日本全体が混迷の状態にある今、そのセガレたちが人間らしく生きるために見つけた答えが「なから」なあり方なのかもしれない。

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イベントの最後は、みんなでの記念写真。
参加者の中に何人もカメラマンがいて、それぞれ交代でシャッターを押した。記念写真といったら、みんなで瞬きも我慢しながら緊張してシャッターが押されるのを待つ……のだと思ってた。

最後の一枚は、関さんがカメラの「横」に立った。みんなに声をかけて笑わせる。そしてその笑いの瞬間に、ファインダーものぞかずに、シャッターを押した。

 <img alt="segare27.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/segare27.jpg" width="500" height="288" />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（写真提供：関さん、間島さん）

「はい、お疲れ様〜！！」（え〜？いつ撮ったの？？？）

最後の記念撮影も、また、なからに終了。
そんな“なから”なセガレたちの集まり(つながり)はこれからの大きな可能性を秘めて幕を閉じた。

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<a href="http://www.segare.jp/＠「＾" target="blank">セガレHP</a>

写真・文　駒村みどり
]]></description>
         <link>http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2010/07/2bbq.php</link>
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         <pubDate>Sun, 18 Jul 2010 14:42:04 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「なから」がもたらす可能性（1）～セガレとセガレのBBQ</title>
         <description><![CDATA[ <img alt="segare1_cover.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/segare1_cover.jpg" width="500" height="272" />

大都会で。ネット上で。
偶然の出会いが拡がってそれが重なり合い、そしてひとつの熱い固まりになった。

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２年ちょっと前、東京のとある勉強会で偶然出会った3人の若者たち。
きっかけの言葉は、「実家では、何作ってるの？」

都会では、ずっと口にすることのなかったそのセリフ。
新鮮だった。そしてなんだか嬉しかった。こんな話が出来ると思わなかった。

一緒に会って飲みながら語りあうようになった。
かすかに感じていた後ろめたさ、そのマイナスの想いを「モチベーション」に換えて「行動」した。好評だった。後ろめたさが薄れて、さらに「楽しく」なった。

………それが、「はじまり」。

<img alt="segare11.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/segare11.jpg" width="500" height="331" />

代表の児玉光史さんは、「はじまりの３人」のうちの一人。
長野県上田市（旧武石村）出身で、現在は東京でサラリーマンをしている。高校・大学と野球を続けていた。見上げるように背が高いので「大きいですね」と言ったら「大学の野球部では普通の方ですよ」とのこと。

そんな児玉さんのご実家は、アスパラと米を作る農家だった。
子供のころから家の手伝いをして、感じた農家の大変さ。野球中心の毎日、さらに東京に進学しそのまま就職して、実家の農業とは遠く離れて行きつつある都会の日々にも、「農家のせがれ」であるという意識はどこかにずっとこびりついていた。

何となく、後ろめたい気持ち。家の大変さはわかっている、でも……。
そんな中で参加した、東京での「農を考える」勉強会。そこで出会った他の二人も「同じ思い」を抱えていた。緑少ないコンクリートジャングルで実家の話が通じ、そればかりではなく実家の話題で盛り上がるという新鮮な感覚。

飲み仲間として３人でよく集まっているうちに、ふと思った。
「都会で“農”を考えたら、俺たちはプロじゃないか。この話題に関したら都会では誰にも負けない。」

ちょうどその頃、中国製の餃子の問題があって、「食の安全」について大きな話題になっていた。自分たちの実家には親が丹精し、安心して食べてきた新鮮で誇れる農産物がある。誰よりもその価値を知っている自分たちがそれを売ったら……。

実家に行って、実家の作物を車に積み込んだ。東京有楽町でやっている月に一回の「市」に持ち込んだ。すべて自分たちでやったので、ものすごく大変だった。「売れるんだろうかなぁ」という懸念ものしかかってきたけれど……。

「完売」

すべて売り終えたあとでそれまでとは違った想いが頭を持ち上げてきた。
……この考え方は、この方法は、「あり」だ。

そこからはじめたこのプロジェクト。今は、月に１回第３日曜日に自由が丘で野菜の販売をする活動をメインに、多彩なプログラムが行われている。活動を展開していくうちに、大都会に埋もれていた“せがれ”たちがだんだん集まってきた。

<img alt="segare12.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/segare12.jpg" width="500" height="326" />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="http://www.segare.jp/＠「＾" target="blank">セガレHP</a>

スタートは3人の出会いだった。

それが今年の９月で３年目を迎える今、メンバーはどんどん増えている。農家の伜という共通点を持った彼らは、自らを「セガレ」(女性はセガール)と称し、その活動を「セガレプロジェクト」と呼ぶ。

「だけどあくまでも“サークル”のようなもの、草野球のノリなんですよ、これは。」

今のメンバーの数は？と聞くと、答えは５０人から７０人とのこと、ずいぶんとおおざっぱだ。それもそのはず、入会規約があるわけじゃなく、会費があるわけじゃなく、なにか義務や責任が発生するわけでもない。コンセプトは「楽しく」。各個人が、好きなことを好きなようにやる。やりたいと思ったことを提案する人がいれば、それに参加したい人は参加し、手伝いたい人が手伝う。

「先日初めての有料講座を企画したんですよ。で、そこに集まったのが5人。」

「え？それだけ？」……“5”という数字をきいて、わたしは一瞬そう思った。けれど、続いて出た児玉さんの言葉は、「5人“も”集まったんです。」だった。心から満足そうな笑顔を浮かべて。

児玉さんは続ける。

「有料の講座だとしたら、もしかしたらひとりもいないって可能性だってあるんですよ。ひとりもいなかったら、何も始まらない。だけど、5人来てくれたんです。ひとりでもいたら、何かがはじまる。それが5人も、ですよ。すごいことですよ。」

「草野球」……そうか、草野球だ。

規則に則った試合なら最低9人は必要な野球。けれども、野球が好きでやりたいのだったらボールを握って飛び出せば、壁に向かって投げてとって一人練習も出来る。そこに誰かもう1人来たならば、2人でキャッチボールも出来る。3人いれば、落ちている枝を拾ってバットにしてでも投げる、打つ、受ける……ゲームも成立する。そう考えたら、5人いたらすごいじゃない………。確かに「5人も」と思うよね。

まず枠があって、その枠に何人足りない、という引き算の発想じゃなくて、一人よりも二人、二人よりも三人の方が可能性が増える、という足し算の発想。

さっき「草野球のようなもの」だと表現したこのセガレプロジェクトのあり方は、こんな児玉さんの想いが根底に流れているからこそ成立しているのかもしれない。

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「高校の時、武石村からどうやって通っていたんですか？」

現在は上田市武石地区となっている旧武石村。上田と小諸と美ヶ原を頂点に結ぶ三角形のほぼ真ん中に位置する。美ヶ原に隣接、といったら交通の便がいい？……と思うが実際は上田と松本を結ぶ三才山トンネルを通る道と、佐久と諏訪を結ぶ和田峠を越える道とにはさまれたど真ん中にあり、どちらも武石村は通らない。上田の高校に通っていたという児玉さんだけれど、鉄道は？バスは？と考えてみると、かなり不便だったろう。

「ああ、高校の時には同じ野球部に武石村から3人行っていましたので、3人の親が交代で送り迎えしてくれたんですよ。」

………武石村から上田までは、少なくとも40分以上はかかる。余裕を見て往復で2時間近く。練習時間もきっと朝早くから夜遅く。ご家族は朝は5時くらいに出て送って行き、武石に戻って農作業し、夕方の仕事が終わったら上田に迎えに行き、暗い道を汗と泥にまみれた高校生3人乗せて帰ってくる……。3家族で交代、とはいえ3日に一度上田までの2往復をやる。それも高校の3年間。

それをやってしまう武石村の親御さんたち……話を聞いただけでパワーに圧倒された。

でも、この話を聞いて悲壮感を感じないのはなぜかなぁ。「大変ですねぇ。」と同情するよりも、「いいなぁ、そうやってみんなでやり遂げちゃうの」という、エネルギーの強さに感動した。それは多分、児玉さんから武石村のもろもろのことを聞いたからだろう。「いいなぁ、武石村」……そう思ってしまう前向きなパワーがそこにはあった。

たとえば、地元の野菜や肉を使った「武石丼」というごまみそ味のメニューがある。「武石特産品検討委員会」が地域おこしのためのレシピ公募でグランプリに輝いた武石地域生活改善グループのレシピをもとに考えられた。この武石地域生活改善グループの代表が児玉さんのお母さんだ。（<a href="http://www.shinshu-liveon.jp/topics/node_134342" target="blank">彩りも工夫、地元食材で「武石丼」　グランプリ決定〜信州Live on</a>）

「なんだかね、地域の人と一緒になってやってましたよ。こんな風にみんなを盛り上げるの、得意みたいですね。」とお母さんについて語る児玉さんだけど、セガレプロジェクトを立ち上げて盛り上げている児玉さんはそんなお母さんゆずりの血を絶対濃くひいている……。

その他、今は約80農家が協力して「体験学習」を行っているが、そのまとまりはしっかりしていて、みんなで盛り上げもり立てる空気が武石にはあるらしい。

「秋のね、地区住民の運動会は武石を離れた同級生たちも帰ってきますよ。僕も毎年参加です。あれは続けたいですね。ぼく一人になっても絶対に続けますよ。」

上田の高校までの毎日の送り迎えは3家族の協力体制。体験学習をみんなで盛り上げる力。地元の運動会に帰省するセガレたち。地域おこしのためにみんなでレシピを開発するパワー。

わたしは武石の実情は知らない。だけれど、この日児玉さんから聞いた故郷のあり方は……そのまま、この児玉さんを育てた気風で、そしてその気風が大都会でもたくましく受けとめられる「セガレプロジェクト」につながっているんだな、と……ふとそんなことを考えた。

そうして児玉さんが2人の仲間とはじめた「セガレプロジェクト」は新聞や雑誌・テレビでも取り上げられて今やメディアの注目株。様々な追い風もあって、どんどん拡がっている。

その拡がりが、長野にも飛び火した。７月１１日の日曜日、長野の菅平高原。
セガレパワーの火が、ここでもまた熱く燃え上がった。

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「セガレとセガレのBBQ、やります」

今話題のTwitterでふと目についたその文字に興味をひかれてたどったリンク先にあったのがこのチラシ。

 <img alt="segare13.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/segare13.jpg" width="500" height="325" />

このチラシを作ったのは、上田市のデザイン会社に勤める間島賢一さん。

記載されたリンクをクリックしてたどり着いたのは<a href="http://www.d-emu.co.jp/blog/mashima/2010/06/bbq.html" target="blank">間島さんのブログ「間島の仕事」</a>の１ページ。そこにど〜んと載っていたのがこのチラシだった。
 
<img alt="segare14.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/segare14.jpg" width="500" height="312" />

「若い頃は世間知らずでしたよ。」と笑うその表情からはまったくそんなことは想像できない。けれど、このあとのBBQで間島さんを昔から知る仕事仲間からも「昔はね、怖かったんです」という言葉が聞かれたから実際そうだったのだろう。ぎらぎらしていた。仕事をとるために、ガンガン突き進んだ。「ライバル」は山ほどいて、一歩でも先んじることばかりを考えていた。

けれど今回、間島さんの仲間はみな「こんなに人が集まったのは間島さんの人柄ですよ」……BBQで、予想を遙かに上回るメンバーが集まったのを受けて、口をそろえてこう言った。

間島さんは、自身のブログでこう綴る。

「今、企画デザインの仕事をお客さまと直接お取引しているなかで、ライバルと感じる感情が一切ない。（高飛車な意味じゃないですよ）　　　　
　何でだろう？？　そんな会話を聞いていた当社の代表が一言。

『見ているところがお客さんだからだよ！』

ライバルに勝つ負けるばかりを考えていると、肝心なお客様の為に何をすべきか
を怠ってしまいます。　　　　　（中略）　　　お客様の視点になって考える。」

印刷会社の営業の仕事から今のデザイン会社に移った。そこでの新しい同僚やお客さんとの出会い。それが間島さんの視点に影響を与えた。肩の力が抜けた。

そんな中で「農家」の方の仕事を請け負う機会が増えた。「物作り」のプロである農家の人たち。だけど日本では今、農業は「職業」としては成立していない。おまけに農家の人たちは「伝えること」がすごく下手。農村では若い作り手はどんどん減っていて、都会では「農業ブーム」が起きているけど、ブームとは裏腹の「現実」がここにある。

農業ブームって何だ？それって変じゃないのか？
 
そんな中で、東御市にある「永井農場」の仕事に関わった。そこでは誇りを持っていい作物を作る人（おやじ）と、それからそれを上手くコンサルテーションして「伝える」部分を考える人（せがれ）がいた。二人のコンビネーションが、この農場を成功に導いた。

「ブーム」ではない別の「渦」（動き）が、あってもいいのじゃないだろうか？「農」がちゃんと生活するために必要なものを得られる職業、仕事、として成立するための何かがあるはず。

そんな想いを持った間島さんと児島さんの出会いもまた、Web上だった。
セガレプロジェクトや、それについてのHP、ブログなどを通じてつながった二人が「会いませんか？」ということになったのは、今年のゴールデンウイークだった。

実家の野菜を都会で売る。活動基盤は東京だ。けれどいずれは長野に戻ろうと思う。長野ともっとつながりたい。……そういう児玉さんの想い。
東京で農をメインに据えた活動を展開し、成り立っているセガレプロジェクトと交流できたら、地元も大きな影響を受けるかもしれない。……そういう間島さんの想い。

二つの想いが重なり合って、勢いづいたこの企画が動き出した。

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長野県の方言のひとつに「なから」という言葉がある。
「なから」は中くらい、という意味ではない。中途半端、という意味でもない。大概、大体、おおよそ……そんな感じの言葉だ。

できることを、「5人しか」ではなく「5人も」と足し算思考で実践している児玉さん。
自分視点からお客さん視点に変わって力みが抜けて、自然体でやっている間島さん。

がんばって完璧をめざすんじゃない。だけど無責任で中途半端なことはしない。

そんな二人のあり方を見て、なんだかみょうに「いろいろ“なから”なんだよなぁ、そんなあり方っていい感じだなぁ。」と思えた帰り道だった。

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「１０人も集まればいいかなぁ。」間島さんがそんな軽い気持ちではじめたこのBBQ企画。同じ会社の仲間たちや、菅平の観光を考える人たちの協力を得て、口コミに加えTwitterでの呼びかけの効果が大きく、蓋をあけてみたら総勢4０人の名前が参加者名簿に並んだ。

……BBQ当日の模様は、<a href="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2010/07/2bbq.php">「なから」がもたらす可能性（２）</a>に続く………。

<img alt="segare15.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/segare15.jpg" width="500" height="333" />

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写真・文　駒村みどり]]></description>
         <link>http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2010/07/1bbq.php</link>
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         <pubDate>Sun, 18 Jul 2010 14:25:21 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>今　祈り、今　叫び、今　生きる。〜傘に、ラ。（その４）</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/%E5%82%98%EF%BC%91.jpg"><img alt="%E5%82%98%EF%BC%91.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/%E5%82%98%EF%BC%91-thumb.jpg" width="500" height="211" /></a>

<strong>「音楽には力があるんだよ。小説もきっとそうだよ。誰かの力になれたら、それがたった一人だったとしても、価値があると思うんだ。」</strong>
　　　　　　　　　　　　　　（なかがわよしの　書き下ろし掌編小説より抜粋）

7月3日　19時開演　　「傘に、ラ。」Vol.17　　　今に生まれて今に死ぬ　
出演：outside yoshino/タテタカコ  　　共演：なかがわよしの　　　

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「なぜ、この二人かって？
　だって、この二人って『今を燃焼』しているじゃないですか。」

ステージをじっと見つめて音に合わせて身体が揺れるなかがわ氏。
その表情は目の前のステージからダイレクトにガンガン飛んでくる音の固まりを受けとめて、生き生きと輝いていた。

なかがわよしの氏が『今』をテーマに企画・開催して17回目を数える『傘に、ラ。』追いかけて4回目の今回の取材はネオンホールで二人のゲストを迎えてのライブ。

「今に生まれて今に死ぬ」というタイトルを冠し、outside yohinoとタテタカコを迎えた「傘に、ラ。」としては珍しい有料イベント。

そこでなかがわ氏は表には一切登場しなかった。

「なかがわさんはステージ出ないんですか？」「いや、そんなおそれおおいじゃないですか。でも、自分はちゃんと小説を配って、それから気持ちの上では共演していますよ、ちゃんと。」

最初は、その意味がわからなかった。
けれども、ライブのステージが進むにつれて、わたしはなかがわ氏のその想いがわかってきたような気持ちになった。
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<img alt="kasanila171.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/kasanila171.jpg" width="500" height="301" />

最初のMCが、ギターの強烈な和音にかき消される。
outside yoshinoのステージのオープニングはなんともつかみきれない語りから突然たたきつけられたようにはじまった。

<strong>outside yoshino
メンバー：俺　　　影響を受けた音楽：今まで聴いて来た全ての音楽と雑踏の騒音 
音楽スタイル：エレキギターと声　　　レーベル：吉野製作所　　　
レーベル種別：アマチュア　</strong>
　　　　　　　　　　　　　　　　（<a href="http://www.myspace.com/bedsideyoshino"target="blank">myspace.com/bedsideyoshino</a>より）

outside yoshinoのプロフィールを捜してみても、ようやくこれを見つけることが出来ただけ。「そんなことは、どうでもいい」という声がきこえてきそうだ。

たたきつけるようなギターの音と、outside yoshinoの叫びに似た歌声が客席に降り注ぐ。まるで機関銃の一斉射撃を受けるような衝撃。最初はただ「かっこいい」と思った。だけど、聞いているうちに、「かっこいい」から次第に離れていく不思議な感覚に陥っていった。

はじめてギターを手にした15才の不安定な少年時代。隣の家の犬をライバル（？）にしてひたすらギターを弾き続けた時の歌。聞いているうちにyoshinoのギターに反応して必死でほえる犬がそこに見えたような気になった。自分に挑んでくる得体の知れないものに対してただひたすらにほえ返す犬の姿は、何かをつかもうと必死になって、自分の中にあるぐしゃぐしゃなものと闘う15才のyoshinoの姿にも重なってくる。
 
<img alt="kasanila172.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/kasanila172.jpg" width="500" height="333" />

次々に流れる言葉たちの中で、わたしの心に突き刺さった歌詞。

<strong>「弱いものから順に死んでいくのが当然なんだってよ………
　冗談じゃねぇぞバカ野郎　殺されてたまるか。
　言いなりになって捨てられるために生きてきたんじゃないはずさ……」</strong>
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（「ファイトバック現代」より）

家に戻って、ライブの写真をPCに取り込んで見た。写真は「時」の中に流れていくoutside yoshinoのその瞬間……「今」を切りだしていた。

その表情は、突き放したような鋭さを持つ歌詞から感じる強さではなく、時には泣き出しそうな、時には祈るような……そんな種類のものだった。
 
<img alt="kasanila173.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/kasanila173.jpg" width="500" height="333" />

「『傘に、ラ。』のテーマである『今』って、吉野さんにとって何ですか？」

ライブのあとで、“吉野氏”に戻ったときに聞いたこの問いに、返ってきた答え。

「え？『今』以外にいったい何があるの？」

その答えはあまりに強烈な直球だったので、わたしは受けとめた瞬間しびれて次の言葉が継げなかった。こんなに潔い「今」の表現って初めてだ。

「僕の音楽はね、ブルースなんだよ。」

この一言を聞いたときに、outside yoshinoの音楽を聴いているうちに単なる「かっこいい」から離れていった自分の中の不可解な感覚が見えた気がした。

あったかいのだ。彼のギターの音は。限りなく優しく、その鋭い歌詞を包み込んでいたのだ。激しくギターをかき鳴らすoutside yoshinoとギターは一体になって、祈りや叫びにも似た歌声を包み込み、それが受けとめるこちら側に「届けられる」感じ。

それは、「すごいアーティスト」が発する音楽を受けとめる、という感じではなくて一人の人間が「今」を必死で「生きている」その感覚の中に一緒に浸かっている感じ。

必死で何かに向かってあがいて、その中で泣きたくなったり、叫びたくなったり、そんな風に人間が生きている。ステージのoutside yoshinoも、受けとめるわたしも。

その言葉に出来ないものが、outside yoshinoの音を通して自分の中にある感覚を呼び起こしたのだろう……。聴きながら、やっぱり、今、必死で生きている自分もまた切なくて泣きたくなるような、そんな感じで胸がぎゅーっとなっていった。
 
<img alt="kasanila174.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/kasanila174.jpg" width="500" height="333" />

最初、「かっこいい〜」と思ってただその音の力に圧倒されていたわたしが感じた不可解な感覚は、これだったんだ。

そして、これが……outside yoshinoの「今」の形。

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「こんばんは、タテタカコです。」

いつもタテタカコのＭＣはピアノの前に座ってこんな風に礼儀正しい挨拶からはじまる。縁あって、タテタカコのライブは何回か聞いてきていたので、そんな「いつも通り」のオープニングをごく自然に受けとめて、いつものように流れるピアノの音に耳をかたむけた。

だけど、そこに続く時間は、いつの間にか「いつものように」ではなくなっていた。
 
<img alt="kasanila175.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/kasanila175.jpg" width="500" height="370" />

<strong>タテタカコ
ハードコア・パンクからアヴァンポップまで、あらゆる表現分野を内包し得る新種（あるいは、珍種）のシンガー＆ソングライター。
ピアノと歌だけを携えて、剥き出しの表現者魂に導かれるまま独立独歩で歌って歩く。</strong>
　　　　　　　　　　　（<a href="http://www.tatetakako.net/" target="blank">タテタカコＨＰ</a>—プロフィールより抜粋）

「いつものよう」ではないこの感覚は、じわじわとゆっくりやってきた。
何回も聞いた歌、馴染みの旋律。なのに、なんだかちょっと違う。

さっきのoutside yoshinoのステージで感じたのとはまた違う「不思議な」感覚。
またしても聴きながら不可解な状態に陥ってしまった。

 <img alt="kasanila176.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/kasanila176.jpg" width="500" height="378" />

「タテさんにとって『今』って何ですか？なかがわさんから、このテーマでの話を受けて、どんな感じがありましたか？」と問うと、タテさんはこう答えた。

「そうですね……なかがわさんからこのお話をいただいたときに、吉野さんとできるって思って、今日までこの時に向かってず〜っと来た、ってそんな感じです。」

そういえば。ライブの途中のＭＣで、タテタカコはこう言っていた。
「新しいアルバムを出したんですが、今回はいろんな人とやりました。なんだかものすごく、そうしたいって感じたので。」

今まで、自らのピアノと歌だけで構成してきたステージやＣＤだけど、今回は違った。「人とやりたい」という想いがぐっと生まれてきた。この「傘に、ラ。」でもoutside yoshinoとやるんだ、まずその想いがタテタカコをこの「今」に導いてきたようだ。

「今は、こういうことがだんだん楽しくなってきているんです。」

昨年、タテタカコは友人の石橋英子と曲作りをし、ステージを共に構成した。それから「音楽を知らない」カンボジアのたくさんの子供たちに「音」を届けに行き、たくさんの子供たちと出会ってきた。

「それは、とても大きな影響があったと思います。それまでわたしは人と話すことがとても怖かったんだけれど、人と一緒にって事が怖くなくなってきた。そうしたら、だんだんライブとか話をすることとか、楽しいな、って思うようになってきたんです。」

わたしは自分の中に生まれた「いつもと違う」タテタカコへの感覚がどこから来たのかがわかった気がした。

「楽しくなってきた」……これだ。

今までわたしは、タテタカコのステージはいつもある「緊張感」を持って聞いていた。天から降り注ぐものをタテタカコが受けとめ、それを伝えるのを神妙に聞く……そんな感じ。

だけど、この日のステージではそうではなかったのだ。
 
<img alt="kasanila177.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/kasanila177.jpg" width="500" height="333" />

たとえば、植物は「光合成」と「呼吸」をして生きている。
呼吸で排出したものを再び光合成のために身体に取り入れ、そこで作り出した物をエネルギーに生きて成長し、排出したものをまた呼吸で身体に取り入れる。そのくり返しで植物は自然の光や水を材料に自給自足で生きている。

この日のタテタカコはまるで植物のようにその音を生み出し、吐きだし、また取り込み……を、自然の流れのままでやっている感じ。outside yoshinoの音は、光や水といった光合成や呼吸のための材料やエネルギー。そして生まれたタテタカコの音は、受けとめた観客の感覚と混じって再びタテタカコの中に取り込まれ、ひとつになってまた音として吐き出されていく。

それは「今」この時、この場だからこそ生まれてくる音。タテタカコの中にある「楽しくなってきた」という感覚がそれをさらに膨らまして、拡げていく。会場も、共演者も、一緒になって呼吸し光合成をして、ステージが進んでいく。

それは、タテタカコが「祈りの肖像」という曲を歌ったときにぶわっと伝わってきた。

<strong>花よ誇れ　その身を燃やせ　人よ歌え　その声届くまで　
雨よ踊れ　乾き満たし　流れ続け　続け　続け
人よ歌え　生まれ変わる歌を　歌を</strong>　　　　　　　（「祈りの肖像」より）

以前のように「天から降り注ぐ」感じではない。大地に根をはったタテタカコが大地から吸い上げたものや、生きるための自然な営みから生まれたものを広い空間にぱぁっと放ち、聞いている自分もそれを自然に身体に取り込む感じ。

<img alt="IMG_4439.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_4439.jpg" width="500" height="333" />

今までライブで感じたような「緊張感」はまったく必要なくなっていた。
 
「今日のステージ、なんだかすごく拡がった感じがしたんです。」　そうステージ後のタテさんに語りかけると、「そうですか、もしそうだとしたら、それはきっと一緒にやってくださったyoshinoさんと、今日来てくれたお客さんからもらったもののせいだと想います。」いつものはにかんだような笑顔と共に、そんな答えが返ってきた。

「今」を生き、「今」を楽しむタテタカコが中心になって「今」が渦と拡がりまわりを包み込む。

……これが、タテタカコの「今」のあり方。

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「傘に、ラ。」の企画者でもあり、ずっと「今」をテーマにこのイベントを持ってきたなかがわ氏が、なぜ今回このステージには立たなかったか。

この日、この二人を招いたステージを作りあげたこと、これ自体がすでになかがわよしのの「今」の表現の形だったんだ。

つまり「なかがわよしの」は自らステージに立たなくてもこの二人とちゃんと「共演」していたわけで、その想いを受けてここに来た二人の音楽から「今」がものすごく濃い密度で発信されていたということなんだ。

<strong>「音楽には力があるんだよ。小説もきっとそうだよ。誰かの力になれたら、それがたった一人だったとしても、価値があると思うんだ。」</strong>
　　　　　　　　　　　　　　　
最初に引用したこの一文は、なかがわ氏がこの日、配った小説の一節。
二人の「音楽」から生まれる力と、なかがわよしのの「小説」から伝わる想い。

「今に生まれて今に死ぬ」……今、この時を生きている。私たちは生きている。
過去も未来もどうでもいい。今、ちゃんと生きているんだから。こうして何かを感じて熱くなってここに共にいるんだから。

なかがわよしの、outside yoshino、タテタカコ。と、この日ネオンホールの空間を共にした人たちが生み出した「今」はこうして思い切り燃え上がり、その幕を閉じた。
 
<img alt="kasanila179.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/kasanila179.jpg" width="500" height="286" />

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今後の「傘に、ラ。」

10年7月25日(日)
「傘に、ラ。vol.19 ～カラーコーディネイト講習会やります。～」
＠ナノグラフィカ 時間；13～15時 講師；一色はな

10年8月22日(日)
「傘に、ラ。 vol.20 ～果樹園で朗読会。～」
＠丸長果樹園  出演；植草四郎、井原羽八夏、なかがわよしの
詳細後日発表

10年12月4日(土)
「傘に、ラ。 vol.23 ～なかがわよしの告別式 　たとえば僕が死んだら～」
＠ネオンホール 詳細後日発表
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写真・文　駒村みどり
]]></description>
         <link>http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2010/07/post_128.php</link>
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         <pubDate>Sat, 10 Jul 2010 20:46:34 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>心が豊かになる暮らしを見つけよう ～ 松浦弥太郎さんトークショー ～</title>
         <description><![CDATA[ダライ・ラマ法王が長野市にいらして、門前が賑わった6月19日。
平安堂長野店では雑誌「暮らしのヒント」発売記念として、<a href="http://www.kurashi-no-techo.co.jp/">暮らしの手帖</a>編集長の松浦弥太郎さんのトークショー＆サイン会が開かれました。
　
<a href="http://www.cowbooks.jp/">「カウブックス」</a>を主宰している松浦弥太郎さんが「暮しの手帖」編集長に就任されたのが2006年のこと。今年で62年の歴史を持つ「老舗」と呼ぶにふさわしい雑誌の刷新を任されるにあたって、「暮らしを豊かにするにはお金だけでは手に入らない。目に見えない部分の大切な事を提案したい」と考えたそうです。
例えば、毎日元気良く挨拶をする。当たり前だけど意外と出来ていない。ささやかな事だけど忘れたくない想いを伝えようと始まった、たった１ページの連載が「暮らしのヒント」でした。

<a href="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%882.JPG"><img alt="%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%882.JPG" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%882-thumb.JPG" width="450" height="600" /></a>

「暮らしのヒント」には、料理家、医師、作家などさまざまな分野で活躍をする30～80代までの15人が登場。松浦さんが取材をしたなかで印象深かったと語るのは料理家の渡辺有子さん。彼女は食材をとても大切に扱い、無意識にゴミを減らす料理を作っているそうです。そのため驚く程生ゴミが少ない。しかもその生ゴミは捨てる日まで冷蔵庫で保存。彼女にとって生ゴミは汚いものではありません。料理として使えなかった食材の一部としてとらえているのです。

こういった新しく気付いた暮らしの知恵や発見を読みやすい文章で綴っているのですが、この「読みやすさ」というのも大きなポイントです。
「正直」「親切」「人間らしく」
この3つをモットーに雑誌作りをしている松浦さん。
だからでしょうか。
松浦さんの書く文章は、とても柔らかく、語りかけるかのような滑らかさが感じられます。
どんなに素晴らしい事が書かれていても、難しい言葉が並んでいるだけでは伝わりません。いかに興味を持ってもらい、楽しく読んでもらえるか。読み手を想い、作り手が真剣に考えるからこそ言葉は伝わるのです。

<a href="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%883.JPG"><img alt="%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%883.JPG" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%883-thumb.JPG" width="450" height="600" /></a>

　
それにしても、松浦さんは終始はにかむような笑顔と穏やかな口調で語り続けました。
その場にいた人誰もが、思わずほんわかした気分になってしまう程です。
それは最後に行われたサイン会まで変わりませんでした。
サインを待ち続けるひとり一人に「お待たせしました」。そしてサインを終えた後には「ありがとうございました」と笑顔で挨拶。

驕らず、昂ぶらず。
そんな精神が感じられる、見習いたい人生の先輩とでも言うべき素敵な方でした。
　
（写真・文　久保田香織）]]></description>
         <link>http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2010/07/post_127.php</link>
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         <pubDate>Sun, 04 Jul 2010 10:12:25 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>寄り道、みちくさ、まわり道　〜たどり着いた“小布施の花井”〜</title>
         <description><![CDATA[<img alt="hanai_cover.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/hanai_cover.jpg" width="500" height="328" />
 
小布施の町立図書館、まちとしょテラソ。
今までの「図書館」のイメージとはまったく離れた、しかし図書館の原点を基盤にしっかりふまえたそのスペースは、小布施の町の人々やその気風から生まれたものだ。

しかし、この「まちとしょテラソ」という形をイメージしてそれを提示し、そのイメージを「形」にするために、まとめ上げてリードしていく存在がないと無理なことだ。

今回、このまちとしょテラソを知りたい、知って欲しいと思って取材で館長の花井裕一郎氏と話をしているうちに、強く思ったこと。

「この人がいたからここまで来て、この人だからこそあるこの空間なんだ。」

多分、まちとしょテラソは小布施だからこそ生まれた場所だ。小布施の人々がいたからこそ実現した場所だ。そして、そこにこの人のイメージや思いがなかったら、多分形にならなかった場所だ。

今回、まちとしょテラソを取り上げるにあたって、この人について語ることも欠かせないのだろうと思う。
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<img alt="hanai1.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/hanai1.jpg" width="500" height="348" />
<em>花井裕一郎氏。
小布施町、まちとしょテラソ館長。演出家、映像作家。　<a href="http://www.obuserhythm.com/" target="blank">OBUSERYTHM</a>
福岡県　旧宮田町に生まれる。 1989年、ディレクターとしてフジテレビの番組を担当。その後、ＮＨＫ、ＴＢＳ、ＮＴＶ、ＣＳなどの番組を担当。2001年長野県小布施町に魅せられ移住。2008 年小布施町立図書館　館長に就任 2009 年まちとしょテラソ（小布施町立図書館）初代館長 小布施にて創作活動を続けている。</em>

「はじめて小布施を訪れたとき、ものすごい大雪の日でしたねぇ。今でも覚えてます。」

1999年のことだった。
花井氏は、そのころフジテレビの「スーパーニュース」の土日の企画を担当していた。

それまでずっと、映像の世界で世界中を股にかけて飛びまわり、いろいろな国、いろいろな場所、いろいろな人と出会ってきた。その花井氏と小布施との出会いは、番組で担当しているミニドキュメンタリーで小布施のレストランを取り上げることになったことから。

そこで取り上げたレストランが「蔵部」。出会ったのが「白金」というお酒とその頃はまだ無名だったセーラ・マリ・カミングス氏。さらにそこから小布施堂の市村社長へとつながっていく。そこで小布施に魅せられた花井氏は、程なく月一回の小布施通いをはじめる。

当時、テレビの世界でも様々な番組を担当し、多忙な毎日だった花井氏の心の奥にあったひとつの想い。

「自分の生きるフィールドは、ここではない。」

若い頃に映像の世界に関わりたくて上京し、ずっとその世界で生きてきたけれど、テレビの世界には自分のめざす物はない。自分の「表現場所」はここではない。

そんな想いの中、東京での多忙な毎日を過ごすうちに、突発性難聴を起こしたり、事故に巻き込まれたりした花井氏が小布施に感じたもの。その「直感」にひかれて小布施通いをするうちに、次第に小布施に位置付きはじめた自分を実感しはじめる。

「通っているうちに、いろいろな人と出会い、そして小布施というこの土地で“議論を交わせる”人がどんどん増えていったんです。」

そうしてついに、小布施に住むことを決意。東京から小布施に移住して9年目を迎える。

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 <img alt="hanai2.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/hanai2.jpg" width="500" height="250" />

「思えば、ずいぶん遠くに来たもんです。」

というので、「お生まれはどちらなのですか？」と聞くと返ってきた答えは「福岡」。
………確かに、遠い。そして九州男児……なるほど、妙に納得する。生まれは九州福岡。「青春の門」の舞台となった炭坑で有名な筑豊地方。

「実はねぇ。僕はいろいろあって中学浪人しているんですよ。」

別に、高校に入れなかったわけではない。受ける学校によって差別されるようなそんな風潮に違和感を覚えて自分から「行かない」道を選んだ。「高校に流れのままに行くのは嫌だ」という思いを理解してくれた叔母の言葉……

「浪人は、大学だけじゃないんだよ、行かないという選択肢もあるんだよ。」

その声に後押しされて予備校に入学。一年間そこで学んで入った高校で「出会い」があった。仲間とバンドを結成、音楽の世界を仲間と楽しんでいるうちに当時はやりだした「音楽ビデオ」の作成に興味を持つ。それがきっかけで次第に「映像」の世界へと想いが向かっていった。

「映像の仕事をしたい」。そう思って大学は東京をめざした。とにかく、東京に出たかった。だから、東京の大学に合格して上京したあと、今度はテレビ局通いをはじめた。

その頃はテレビ局で、学生のバイト採用があったのでそれを狙った。何度も何度も空きが出るまで粘った。そして、ついにフジテレビに採用され、そのまま「3時のあなた」という番組のADに。テレビの世界での経験を積みはじめる。

やがて「学生」という肩書きが外れることになってバイトではなく「仕事」を得る必要が出、テレビ局の人に紹介されてあるプロダクションに入る。けれど、そこで任されたのは「バラエティー」。……”過剰な演出”の世界。
やりたかったのはドキュメンタリー、人間ドラマ。めざす世界とは違う。強い違和感を覚えた花井氏は、思い切ってプロダクションを辞める。

その会社からはもちろん、紹介してくれた人からも激しい非難を受ける。テレビや映像の世界には、もう戻れない……。

しばらくその世界から離れ、仕事を辞めて生活に困って花井氏が就いた仕事が「靴の販売店員」。店員募集のチラシにつられて飛び込んだその店で、花井氏は接客の毎日。まったく畑の違う仕事だったが、この“インターバル”が花井氏に与えてくれたものは大きかった。

「人間観察が出来るんですよ。いろんな人が毎日店に来る。相手の表情を見ながら、どんなものが欲しいのか、どんな言葉や表現をしたら相手が気持ちよく品物を買うのか。そういう“人を見る”スキルを身につけるのにあの頃の経験が本当に役に立ちましたね。」

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相手が望む要素、どんな要素を入れたら人が受け入れたり理解したりしてくれるのか。
「表現」を自分からするだけではない、受け止める相手の姿を見ることは実はとても大切だと思う。

どんなにいいと思う物事でも、ただ自分の想いのみを発信するだけでは、受け止める側へ想いのないそれはただの「垂れ流し」になってしまう。それは映像、音楽、情報、教育、販売、すべて「受け止め手」がある世界には共通のこと。

けれど、今の社会ではそのあたりがおろそかになっているように思う。中央からテレビを通して氾濫してくる情報。それは花井氏が過剰な演出の世界に違和感を感じたように、単に受けるため、視聴率や販売数を上げるためだけの垂れ流しに陥りがち。

発信側は、発信する責任がある。受け止め側も当然、それを取捨選択する必要がある。けれど今、そのバランスが崩れている。だからこそ発信側のこういう想いはとても必要なのだと思う。

花井氏のこういう経験が元になった表現のひとつの形である「まちとしょテラソ」がなぜ心地よいのか。そのあたりのヒントが、ここにあるように思う。

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靴（リーガルシューズ）の販売員をしながら販売スキルと共に対人スキルもアップした花井氏は、再び映像の世界への足がかりを持つ。

先生について、シナリオの勉強をはじめたのだ。シナリオの勉強は楽しく、そこでスキルアップした花井氏は以前プロダクションを辞めたときに出来てしまったわだかまりなどからあきらめていたテレビ局への関わりを、再び取り戻していった。

そして、自らのめざす「文化」「人のあり方」「音楽」「食」などに焦点を当てた番組作りなどに携わり……「小布施」に出会う。

月1回の小布施通いから、やがて小布施移住を決意した花井氏は、2001年から小布施の住民になる。まだ家族で一緒に動くのは難しかったので、一年間は自らが先に小布施に暮らし、「東京通い」をしつつ、単発での映像の仕事を請け負う。正直、東京の時よりは収入は減った。けれども、それよりもっと大きなものを花井氏は得た。

「東京にいた頃はね、○◯テレビのディレクター、という肩書きで呼ばれた。けれど、小布施に来たらね、『小布施の花井さん』っていうのが僕の肩書きになった。」

そうして「小布施」という町に積極的に関わり、町作りの話し合いや意見募集にはどんどんアイディアをぶつけ、そして今、「まちとしょテラソ」というひとつの「表現の場」に到達した花井氏。

彼の経歴は決して「図書館」に近づくものではなかった。けれど、映像の世界、テレビの世界、番組作り、演出や脚本、そして販売員として培った人を見る目……さらにさかのぼって「ただ流れにまかせて高校に行けばよい」という流れに乗らなかった自分。

そういう数々の「寄り道」「回り道」「みちくさ」とでも言える多くの要素やスキルが、今このまちとしょテラソの中のあちこちに、ちゃんと生かされているのだ。

「今まで僕は、いろんなドアを開けてきた。いろんな鍵を手に入れて。そして、ここでまたひとつ、大切な鍵を見つけたんです。」

人間、持っている引き出しはたくさんの方がいい。生きているその時その時で、今を含めてこの先、どの引き出しがいつ必要になるかなどとは誰にもわからない。だから、たくさんの引き出しにいろいろなものを詰め込んで持っていて、必要なときには必要な物をぱっと取り出せたらそれは素敵だ。

「対象は、乳幼児から高齢者の方まで」というまちとしょテラソがいろいろな年齢層の人に受け入れられ、町中の人ばかりでなく今、各地の人からも注目されはじめているのは、様々な要求や用途をちゃんと取り入れ、受け止め、答えるために花井氏が今までにあけてきたたくさんのドアや得たたくさんの鍵が大きな役割を果たしていることは確かな事実。

白か黒か、◯か×か、の世界ではなく、グレーゾーンを許容し、とにかくやってみて結果を見てまた進む、という小布施の空気がそれをあたたかく包み込み、だからこそまちとしょテラソは今、どんどんその魅力に磨きをかけて様々な人を惹きつけているのだろう。

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「なんだかよくわからなくてぶらっと立ち寄るわたしのような人間でも、すんなりと受け入れてもらえるこの雰囲気が嬉しい。これってきっと、館長さんのお人柄なんだろうなぁ。」

まちとしょテラソの一室は、その日小学生から中学生で満員だった。その会場に偶然居合わせた一年生の娘を連れた小布施在住の友人が、こうつぶやいた。

子供たちの目的は、小学生が子供だけで作った映画を観ること。花井氏から上映会のことを聞いて時間ぎりぎりに会場に飛び込んだわたしは、想像以上に子供たちであふれかえっているその様子に驚いた。１時間ちょっとの上映時間、満員の子供たちの目はずっと映画にそそがれ、ワクワク感がまわりでどんどん高まっていくのを感じていた。

けれど、その空気を誰よりも感じて一番目をきらきらさせていたのは、花井氏だった。

「こんなにたくさんの、それも子供たちが来てくれるとは思わなかった！」

そう語る花井氏の顔には、満面の笑顔。

この空気を作り出したのはこういうイベントを心から楽しんでいる花井氏と、それから会場の設営や受付を心込めて一生懸命にやった館員の皆さん。だからこそ、子供たちはその想いを素直に受け止めてイベントを楽しみ、子供たちにひかれて来る親たちにもその様子が伝わり、先に述べたような友人のひとことにつながっていくのだろう。

みちくさもあり、寄り道もあり、大きな回り道もあった。
けれども、そういういろいろな道程を経てたどり着いた小布施の地で、いろんな道程から学び、感じ、受け止めたことをもとに今、発信をはじめている花井氏。

小布施を、まちとしょテラソを、自分の行き着いた表現の場として心を注ぐ。花井氏のその想いは今、確かに人々に染みこんで伝わりはじめている。

「ここからは、人を育てたい。」

今、花井氏がめざしていることのひとつ。

自分がリードしながらすすめてきたイメージは、ここでひとつの形になりつつある。その想いは館員や周りの人々に伝わりつつある。だけど、この先それは自分だけではできない。ちゃんと人を育て、共にすすむ人、“その先”を任せられる力を育てないと。常に「協働」「共働」を頭に置く花井氏の想いがそこにある。

「この先」を強く見据える「小布施の花井」氏の目には、そういう人たちと共に紡ぎ出すはずの、さらに広がり輝く未来のイメージが次々と生まれてきているのだ。

<img alt="hanai3.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/hanai3.jpg" width="500" height="322" />

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まちとしょテラソ今後のイベント予定（<a href="http://machitoshoterrasow.com/" target="blank">http://machitoshoterrasow.com/</a>）

著者×まちとしょテラソ#5 　　鈴木中人さん講演会
■講 師　いのちをバトンタッチする会代表　鈴木中人氏
■テーマ　「いのちのバトンタッチ」
■日 時　７月１日（木）　１８：００〜１９：００

第３回　紙芝居を楽しもう！
■7月10日（土）　10:30~12:00

お父さんによる読み聞かせ会
■次回　７月１１日（日）

まちとしょテラソ開館一周年記念シンポジウム
「デジタルアーカイブで遊ぶ、学ぶ、つながる」
～100年前の小布施人が伝えたもの 100年後の小布施人へ伝えるもの～
■日 時　７月１９日（海の日）　１５：００〜１８：３０

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<a href="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2010/06/post_125.php">「原点に立ってめざす「先進」の姿〜小布施、まちとしょテラソ〜」</a>

写真・文　駒村みどり

]]></description>
         <link>http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2010/06/post_126.php</link>
         <guid>http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2010/06/post_126.php</guid>
        
        
         <pubDate>Tue, 29 Jun 2010 13:17:35 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>原点に立ってめざす「先進」の姿〜小布施、まちとしょテラソ〜</title>
         <description><![CDATA[<img alt="IMG_3813_2.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_3813_2.jpg" width="500" height="260" />

そこにたどり着くまでに、今までこんな建物があるなんて気が付かなかった。
いや、実際、その建物は小布施の駅近くのちょっと奥まった場所にある。けれど、一度その外観を目にし、中に入ったら多分……「何だ、これ？」と虜になるに違いない。

 <img alt="IMG_3838.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_3838.jpg" width="500" height="270" />

実際、わたしがそうだった。
一見なんだかわからない建物。その外観よりもずっと広く感じる広々としたスペースにそびえる、目の前の大きな「木」……のような柱と、外の光を採り込む大きな窓。空間に静かに流れるBGM。それを聴きながら身を預けたくなるどっしりとしたソファーに、それから……近づいてすぐ手にとって見ることの出来る、たくさんの「本たち」。

そう、わたしが足を踏み入れたのは、「図書館」。なんだけど……。

なんだけど、その場所は「本も置いてある憩いのテラス」といった趣で、今までに知っていたような図書館特有の「張り詰めた空気」は、そこにはなかった。

小布施町の町立図書館「まちとしょテラソ」。

もうすぐ開館一周年を迎えるその建物とそこに集う人たちは、「今までの図書館」という概念とはまったくかけ離れていて、それにとても強く惹かれたわたしはもっとその奥をのぞいてみたくなった。

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「実はね」とはじまる内緒話。
それを聞く相手が驚いて「え〜〜〜！！」と思わず声を上げると、周りから飛んでくる鋭い非難の目と「し〜〜〜〜っ！」という制御。

漫画やドラマで描かれるよくある「図書館」の光景。

図書館は、静かに。
図書館では、黙って勉強や読書。
図書館では、走ったり騒いだりはタブー。
図書館では、ものを飲んだり食べたりなどとんでもありません。

そうして今までのイメージを並べる“図書館”は、その「字面」からして堅苦しい。

わたしがはじめて出会った「図書館」は、小学校のもので。自分の背よりもずっと高い書棚に本がびっしり詰まって所狭しと並んでいて、その圧迫感は子供心に相当なものだった。

足を踏み入れるのにはちょっと勇気がいって、ドアを開ける前に深呼吸して息を止める。足音や、息をする音さえもひそめて、たくさんの壁のような書架から本を探り当てると手続きをして抜け出して、やっと息をつく。

だから、図書館に友だちと行って“楽しく過ごす”……というイメージは、残念ながらわたしにはない。

「いや、実はね、図書館法をちゃんと読むと、そのイメージとはちょっと違うんですね、本来の“図書館”がめざした物は。」

 <img alt="IMG_3752.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_3752.jpg" width="500" height="333" />

開口一番、「図書館」についてこう語りはじめたのはこの「まちとしょテラソ」の館長の花井裕一郎氏だ。

花井氏も正直、「図書館の館長」というイメージとはまったくかけ離れている。それもそのはず、普通「公共の施設」である図書館の館長といったら「公務員畑」の人がおさまることが多いのだが、この花井氏の肩書きは？と聞くと「館長ですけど、他に演出家でもあり、映像作家でもあり……。」という答え。
数年前までは東京に住み、テレビを中心とした映像の世界に生きていた方だ。

そんな花井氏の話に、さらに耳をかたむける。

「図書館法の最初に図書館の定義が書いてあるんですけどね、そこには図書館って本や資料を保有してそれを提供するだけではなく、文化的な活動やリクリエーションに資することをその目的としているんです。」
「つまり、図書館って、単に本を読む場所、勉強する場所、じゃないんですよ、積極的な文化発信や人と人との交流にも役に立てるべき場所なんですよね。」

それは、ものすごく意外な言葉だった。前述したように「本を提供し、本を読んだり勉強したりする場所」＝図書館、だとわたしはずっと思っていた。

実際、図書館法をわたしも調べてみた。こう書いてあった。

<em><strong>（定義）
第２条　この法律において「図書館」とは、図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保有して、一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資することを目的とする施設で、地方公共団体、日本赤十字社又は一般社団法人若しくは一般財団法人が設置するもの（学校に附属する図書館又は図書室を除く。）をいう。</strong></em>

「レクリエーション」という言葉はやはり意外だった。学校で行事の時に「レク係」なんて作ったけど、わたしはよくこれになった。みんなでうたう歌を考えたり、ゲームを考えたり、いろんな人が仲良く楽しめるように工夫をこらすのが腕の見せ所。「お楽しみ係」なんて名前のつくこともあったっけ。

笑顔、笑い声、にぎやかさ。そんなものと密接な関わりのある「レクリエーション」という言葉は、正直今までの「図書館」のイメージとはかなりかけ離れやものだ。
それが、戦後間もない昭和25年に制定されたこの図書館法で明記されていたのだ。

「どういうわけか、いつの間にか図書館って本を読んで静かに勉強する場所、というイメージが定着しちゃった。でも、本来 “図書館”のめざす姿って、本や資料、むろんそれはCDや映像、といったものまで含めたあらゆるものを提供しつつ、それだけでなく「文化的な発信」やそれに基づいたコミュニケーションの場……それが最初からある図書館の姿なんですよ。」

 <img alt="IMG_3758.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_3758.jpg" width="500" height="296" />

「だから、このまちとしょテラソは、今までの図書館では“ダメ”とされてきたこともかなりの事が許されるんです。」

走っちゃダメ、食べ物を持ち込んじゃダメ……さらには、本を読む姿勢まで正さねばという雰囲気の漂う禁止事項の数々が頭をよぎるのが図書館だった。

「多少走るくらいだったら何も言いません。さすがに追いかけっことかはじまると止めますけどね。
それに、ここはペットボトル（ふた付きの飲みもの）も持ち込みＯＫです。食べ物も許可されるスペース（カフェコーナー席）がちゃんとあります。だってね、本、家に持って帰ったらそっちの方がよっぽど食べ物とか飲みものとかにさらされる危険な状態でしょ？そのくらいだったら図書館でちゃんとマナー守ってもらえばよっぽど本は安全だし。」

花井氏の話を聞きながら、ぐるっと図書館を見渡す。
そこには、様々な本を楽しむ姿が見られる。
  
<img alt="IMG_3765.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_3765.jpg" width="500" height="276" />
<img alt="IMG_3820.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_3820.jpg" width="500" height="333" />

おっきなクッションに身を預けて本に熱中する少年、清潔なカーペットで靴を脱いでその場に座り込んで楽しむ姿………。

「静かにしなさい」などといわれなくてもそこには自然な静寂が存在している。息をひそめた張り詰めた静寂ではなく、ごく自然な日常のやわらかい空気の中で誰一人他人の存在を気にすることなく自分の世界に没頭することで生まれる心地よい沈黙。〜集中〜の世界があちこちで生まれていた。

けれども。
館長からこうして直接話を聞いただけでも驚きの連続のこの図書館。
外観からはじまって、図書館の方針やイメージは、「今までの概念」とはかなりかけ離れている。正直「斬新」とも言うべきこの姿が生まれる前の段階では、イメージしにくい図書館のあり方だ。いくら許容範囲の広い「小布施」とはいえ……。

「そうですね、実際、開館するまでもしてからも、かなりいろいろありましたよね。」

この図書館の構想は、まず「建てる」か「建てない」か、というところからすでに激しい意見が交わされたそうだ。

文化の薫り高い小布施町。
このまちとしょテラソが開館する前は、町役場のエレベーターもない3階に小さな図書館があるのみだった。

「図書館構想」のきっかけは、行政からだった。現町長の公約であった“図書館”についてのあり方検討会が開かれ、さらに「図書館協議会」が町に作られた。そこで町の図書館について意見募集が行われ、町民として花井氏も意見を出した。それをきっかけに図書館委員会に参加。その後、図書館建設運営委員会が設立され、町民主体、協働の図書館建設が始まった。

そうしてすすめていく中、ようやく固まってきた図書館構想の上で「館長」と「建築家」を“公募”することになった。

普通は、こういう公共の施設はまず「箱」が作られ、そこに入れる「中身」が決まる。
けれど、小布施はまず「中身」から入った。それも「公募制」。そして、全国から集まった候補者の中から館長が花井さんに決まり、建築家は古谷誠章氏（アンパンマンミュージアム、茅野市民館など）のものに決まった。

最初から、みんなで一緒に創り上げてきた。
それがこの小布施のまちとしょテラソなのだ。

そうしてみんなで創りあげてくる過程でもたくさんぶつかり合いがあった。開館してからもわだかまりが残った部分もあった。

「今まで自分は、演出とか映像作家、という立場で100％自分の意図をかなえる人たちに囲まれて20年間やってきていたんですよね。けれど、ここはそうではない。ぶつかることから出発。」

最初は、そういう慣れない状況で違う意見を“排除”出来たら楽だ、という思いも正直あったそうだが、その思いは次第に花井氏の中でこう変わってきた。

「違う意見を出してくれる、そういう“あなた”がいたから実現した」

それは感謝の気持ち。
ぶつかり合い、意見を交わすことはものすごい抵抗を伴うが、そういう抵抗があるからこそ「成長」がある。新しい発見、新しいアイディア、そのバランスがとれたときに生まれてくるものはより「成長」した姿。

そういう中で花井氏を中心としたこの「まちとしょテラソ」創立への道筋によって築かれてきたものは、まちとしょテラソの建物や雰囲気だけではない……人と人との信頼関係やつながり……見えないたくさんの物がそこには積み重ねられてきたのだろう。

このまちとしょテラソは、構想段階からすでに“交流センター”というカッコ付きの概念があったように、交流、コミュニケーションも大きな目的として持っている。“交流と創造を楽しむ、文化の拠点”という理念からそれを強く物語っている。

花井氏がめざすのは、「行動する図書館」。“図書館は外に出よう”を合い言葉にどんどん外に出て町や人の話を聞いたり、デジタルアーカイブなど活用して外の風を運び込むことを柱にして勉強会を開いたり。

イベントも目白押しだ。開館イベントで登場した落合恵子氏はじめ、谷川俊太郎氏の講演や、松本の小学生が子供だけで創り上げた映画の上映会など魅力的な企画が次々に繰り広げられ、目が離せない。

<img alt="IMG_3874.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_3874.jpg" width="500" height="466" />
 
そうした目的を持ったこの建物の中には、“連想検索”が出来るシステムを導入、学校一クラス分の生徒がすっぽり収まる多目的室、視聴覚コーナー、カフェコーナーや授乳室、オストメイト対応のトイレなど利用者の多様な目的や文化発信、コミュニケーションを想定したあらゆる活動に対応できる設備が充実している。

小布施の子供たちは、このまちとしょテラソのイメージキャラクターの「テラソくん」（生みの親は小布施アート展でご紹介した中村仁氏）をみんな知っているし、毎日ぶらりとここに立ち寄ったり待ち合わせ場所にしたりという町民も多い。

そこにあるのは、単なる冷たいコンクリートの「箱」ではない。人の血の通ったぬくもりのある居心地のいい“空間”なのだ。

正直、そのすべてをここで紹介するのは不可能なので、是非<a href="http://machitoshoterrasow.com/index.html">まちとしょテラソのＨＰ</a>をのぞいてみて欲しいと思う。

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来月7月で、開館一周年を迎えるまちとしょテラソ。

いま、館長はじめ館に関わる人々はその記念イベントの開催準備にみんなで向かっている。それが7月19日に行われる「デジタルアーカイブシンポジウム」。（<a href="http://machitoshoterrasow.com/archive.html">詳細情報</a>）
<strong>
「デジタルアーカイブで遊ぶ、学ぶ、つながる」
　 ～100年前の小布施人が伝えたもの　100年後の小布施人へ伝えるもの～</strong>

小布施にあるこの「進化した図書館の姿」は、しかし遙か昔の図書館の構想の基礎の上に立ち、いや、それよりもっとさかのぼった小布施の偉人、高井鴻山の足跡を受け継ぎつつ、そしてこの先を見据えて100年後、200年後にも残すべきものをいま次々に生み出して発信しはじめている。

「ここの真似をして欲しい、というつもりはないんです。でも、ここのあり方を通じて、『コミュニティーとはどうあるべきか』ってみんなに考えて欲しいんですよね。」

小布施の街を歩くと感じる古きものの息づかい。それを生かしつつ今の時代に人々を惹きつける力。その力はまた、この場所でもしっかりと生きて、生かされているのだ。

<img alt="IMG_3776.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_3776.jpg" width="500" height="290" />

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さて。
このまちとしょテラソの館長である花井氏だが、東京からこの小布施にたどり着いて館長になるまでの足跡は、この「まちとしょテラソ」のイメージにとっても、ものすごく大きな影響を持っているように思う。

本来はこの記事の中で記述しようと思ったのだが、記述しきれないほどのものがあり、それをこの次の記事で改めて、取り上げようと思う。（つづく）

<a href="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2010/06/post_126.php">「寄り道、みちくさ、まわり道　〜たどり着いた“小布施の花井”〜」</a>

写真・文　駒村みどり
]]></description>
         <link>http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2010/06/post_125.php</link>
         <guid>http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2010/06/post_125.php</guid>
        
        
         <pubDate>Sun, 27 Jun 2010 00:45:17 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「今」は進化し続ける。〜傘に、ラ。の試み（その３）〜</title>
         <description><![CDATA[<img alt="%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%8C%E3%82%8F%201.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%8C%E3%82%8F%201.jpg" width="500" height="220" />

「長野市は川合新田からやってまいりました、なかがわよしのです。」

おなじみの前口上だけれども、聞く場所によってこんなに違うものなのか。
<a href="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2009/12/post_113.php">
カタカナの「ラ」が、傘をかぶったら？……「傘に、ラ」の試み（その１）</a>
<a href="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2010/02/post_117.php">言葉のマシンガンが、「今」を射抜く。……「傘に、ラ」の試み（その２）</a>

今まで２回にわたって取材してきたなかがわよしの氏の「傘に、ラ」のシリーズ。
今回は、２月の末にネオンホールで行われた「芝居」の会（「傘に、ラ　vol.8」と、先日６月始めに行われた田植え＆田んぼでライブの会（「傘に、ラ　vol.16」）のふたつの会を取り上げてみようと思う。

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 <img alt="IMG_2422.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_2422.jpg" width="500" height="333" />

なかがわよしの氏。
彼が「今」をキーワードに様々な試みをしている「傘に、ラ」。
詩の朗読や対談、音楽や芝居など様々なジャンルでいろいろなゲストと共にこれまでいろいろな場所で展開されてきた。

ナノグラフィカ、ネオンホール、そういった「会場」で行われたり、最近ではツイッターといったネットの上で展開されたり。

２月の「傘に、ラ」は、凍てついた空気の中、ネオンホールで行われた。
ちょっと遅れて入った会場のステージでは、女性二人がおしゃべりをしながら餃子を作っていた。そこにあるのは、ごく普通の「日常」を切りとっただけの一場面だった。

前半は赤尾英二氏脚本・演出による「餃子のなかみ」という現代口語劇。
激しい動きはない。ステージの上では餃子の具をきざみ、それを包み、「いただきます」というところまでの３０分の展開。

 <img alt="%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%8C%E3%82%8F%EF%BC%92.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%8C%E3%82%8F%EF%BC%92.jpg" width="500" height="316" />

ところが、「餃子を作って食べる」というその一連の流れの中で交わされる会話はかなりドラマティックだ。赤尾氏の演じる弟と、囲む姉二人（司宏美氏、田中けいこ氏）の３姉弟の間にはいろいろなわだかまりがあって、「親の死」という事実の前にお互いの想いがぶつかり合う。

妹弟を思うがゆえに口うるさくなる長姉。素直に受け止められない弟。間にはさまれる次姉。その３人の想いを紡ぎ、気持ちを繋げていくのがひとつのセリフだった。

「来た道を振り返ってはため息をつき、石橋をたたいては渡るのをためらう。」

先を見過ぎても、過去にこだわりすぎても進めない。せっかくのこの瞬間を見失ってしまう。そのセリフは出来上がった餃子から立ち上る湯気のようにステージ上の3人を包み込み、餃子の香ばしい香りと共に会場にも広がり、さらにはなかがわ氏の一人芝居へと引き継がれていく。

（ちなみにこの餃子、前半の劇終了後の休憩時間に会場のみなにふるまわれた。写真を撮っていてわたしは食べ損なったがおいしそうだった………残念。）

続くなかがわ氏の一人芝居。彼が演じるのは、売れない脚本家。

売れない彼は、ある日「声」を聞く。
〜「今」をわたしにおくれ。おまえはすばらしい過去と未来を手に入れる。地位や、名誉はおまえのものだ。〜

 <img alt="IMG_2396.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_2396.jpg" width="500" height="300" />

そうして彼はその声にしたがって「今」を捨て去る。
あっという間に売れっ子の脚本家に変貌した彼の「過去」には華やかな名誉ある足跡が刻まれ、「未来」は光にあふれて輝く。金も、地位も、女も、栄光も……彼は「すべて」を手に入れる。たったひとつ「今」をのぞいたすべては彼の思いのままだった。

しかし、彼には「今」がない。だから、「今を生きている」実感がない。
どんな名誉が過去にあっても、その名誉を受けたその瞬間の実感がない。この先必ずすばらしい成功が来るのは約束されている。だから今、そこに向かう緊張感もない。

ちやほやされても賞賛を浴びても。彼はその「瞬間」の記憶がない。

「さみしい」「むなしい」「悲しい」

次第に彼の心は、華やかな実情とはまったく別の感情に占領されていく。
そして彼は、かつて自らの「今」を明け渡した「声」に、再び乞い願う。
「お願いです、僕の今を返してください」………と。

声は答える。
「それなら、おまえの命とひきかえに『今』を返そう。」

 <img alt="IMG_2402.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_2402.jpg" width="500" height="381" />

彼は、今……その「一瞬」を手に入れ、その瞬間にすべては「無」に……。

ネオンホールの真っ暗な空間に、沈黙が流れる。
「今」というテーマがぎゅっと凝縮され、一瞬の光を放って、消えた。

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6月に入ったばかりの日差しまぶしい小川村の田んぼ。
白馬に向かうオリンピック道路に向かって登っていくのぼり道をすこしあがると、歓声が聞こえてきた。

道から一枚の田んぼが見える。その手前の広場には軽トラや自転車が停めてあり、祖田んぼ沿いの空き地にはテントとビールケースをひっくり返した即席テーブル。

小さな煙突つきのストーブからは煙が上がり、その上で豚汁がおいしそうに湯気を上げている。そこに田植えをしている人がいなかったら、それはさながらキャンプの光景。

「傘に、ラ。vol.16～田植え的ピクニック～」

<img alt="IMG_3888.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_3888.jpg" width="500" height="333" />

なかがわ氏からいつも送られてくる「傘に、ラ」の告知メールにはこう書いてあった。
<em><strong>
田植えやります！　当日苗がどんくらい集まるかわからんので、「え!?　もう終わりっ」とかいうこともなきにしもあらずだけど、豚汁食ったり、談笑したり、誰かが歌ったり、あっちで即興芝居はじまったり、ラジカセからなんかいいカンジの音楽流したりして、またりーと過ごす予定。「ピクニック、ときどき田植え」な催しです。　</strong></em>
<img alt="IMG_3911.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_3911.jpg" width="500" height="269" />

なかがわ氏、奥さんに誘われて姨捨の田んぼの農作業を経験、それで田んぼの面白さに目覚めたそうなのだけれども、今回それが「ピクニック」という発想につながったのはナノグラフィカの高井綾子さんとの会話がきっかけだそう。
（ちなみに、高井さんは昨年松代で田んぼ作業を経験、その模様はこちらから。
→<a href="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2009/07/post_103.php">皆神山の麓の田んぼで</a>…・<a href="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2009/09/post_107.php">　桃栗三年柿八年、田んぼの稲は？</a>）

高井さんから小川村で田んぼをやっている大沢さんを紹介してもらって今回のこの田植えイベントになったということ。

この田んぼは、小川村に移住してきた大沢さんと、お友達のジョンさんの家族が借り受けてやっている田んぼだそうで、大沢さんも田んぼや農業に関わりたくて長野県にやってきた人。小川村では農業就業者の年齢が高齢化して、今ではあき田んぼが増え、大沢さんやジョンさんのように借りる希望者がいても、それよりもあき田んぼの数の方が多いのが実態。

けれど、そんな中でも「田んぼ」を受け継いでやっていこうとする人がいる。
なかがわ氏も、それから今回ここに集まったなかがわ氏の友人の多くの人も、何らかの形で田んぼに関わっていた人たち。

その人たちが今回、なかがわさんの呼びかけで集まってみんなでワイワイと田植えをしちゃおう、ということなのだ。

 <img alt="IMG_3884.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_3884.jpg" width="500" height="312" />

家族ぐるみで参加している人が多く、小さい子供もたくさん。水位を下げているとはいえ田んぼのどろどろの中、膝の上まで泥にはまって田んぼのかえるやオタマジャクシと戯れながら、ひとしきりお田植え。
 <img alt="IMG_3935.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_3935.jpg" width="500" height="333" />

2時をまわった頃には、田んぼの端までしっかりと苗が植えられて、せき止められていた取水口から勢いよく水が流れ込み始めた。
そして田んぼの横に停めてあった軽トラが、一転ステージに変貌する。お田植え会場は、あっという間にライブ会場に変身。なかがわ氏の詩の朗読がはじまった。
 
<img alt="%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%8C%E3%82%8F%EF%BC%93.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%8C%E3%82%8F%EF%BC%93.jpg" width="491" height="468" />

田んぼに水の注ぐ音。空の高いところを吹き抜ける風の音。なかがわ氏が「今」を紡ぐ音。それらが頭の上にひろがった閉ざされることのない空間に広がっていった。

続いてステージに登場したのは地元小川村のデュオ、「やくばらい」のおふたり。
オリジナルソングを中心に、10分ほどのミニミニライブを展開。

 <img alt="IMG_3992.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_3992.jpg" width="500" height="220" />
<img alt="IMG_3972-1.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_3972-1.jpg" width="500" height="292" />
 
ちょうど、田んぼの上の道を通りかかったおばあちゃんがその歌声を聞きながら、「いや、おんがくこういうところで聞くのって、なかなかいいもんだね。」と笑顔を浮かべてゆっくりと畑に向かっていった。

<img alt="IMG_4019.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_4019.jpg" width="500" height="333" />
やくばらいミニライブのラストナンバーはメンバー紹介ソングだったのだけど、ここでジャンベをやっているという大沢氏が臨時参戦。けれど、ジャンベがそこにあるわけではなく、転がっていた長い塩ビのパイプをたたいての即席パーカッション。

やくばらいのお二人のデュエットに絶妙に絡んだ“パイプカッション”のセッション。
今、この時、この瞬間だから生まれた音が静かな田んぼの上を渡る風に乗ってのんびりと流れていった。

軽トラの即席ステージで、なかがわ氏の即興詩の朗読と、塩ビパイプの即席セッションが加わった田んぼライブが終わる頃、みんなが田植えで踏み込んで泥で濁っていた田んぼの水も、すっかり澄み渡って静かに青い空を映し出していた。
 
<img alt="IMG_4028.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_4028.jpg" width="500" height="333" />

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暗く閉ざされた空間で、その空間の中に凝縮され、発表の場に向かってぐーっと焦点化されていった「今」があれば、どこまでも広がっていく無限の空間の中に、その瞬間にふと生まれてどんどん広がっていく「今」がある。

どちらもまぎれもなく「今」であり、その表現の形。

「なんかね、最近はテーマとかジャンルとかあまり気にしないで『これやりたい』と思うことをとりあげるようになってますね。」

田植えをなぜ『傘に、ラ』で取り上げたのかを聞いたとき、なかがわ氏はそう答えた。

なかがわ氏がこの「傘に、ラ」というイベントで持っている「今」というテーマ。
どうやらそれは、すでになかがわ氏だけのものではなくなっているようだ。なかがわ氏が取り上げるジャンルや会場、そういうものに影響を受けその場を共有したものたちの中に、しっかりと「今」が息づいて広がり始めているのではないか。

 <img alt="IMG_4001.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_4001.jpg" width="500" height="316" />

いろいろな形の「今」があり、いろいろな人の「今」がある。
それはみな違うものだし、その先がどこに向かっているのかもわからないけれども、そういうたくさんの「今」が出会い、触れあい、輝きあって「明日」に向かっていくのだろう。

始まって半年のなかがわ氏の「傘に、ラ」の試みは、そうしてこれからも様々な「今」を織りなしながら進化していく。

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今後の「傘に、ラ」

10年7月3日(土)
「傘に、ラ。 vol.18　～今に生まれて今に死ぬ～」＠ネオンホール
出演：outside yoshino・ タテタカコ
料金／前売・予約3500円、当日4000円
問い合わせ／026-237-2719（ネオンホール） 

10年8月22日(日)
「傘に、ラ。 vol.19　～果樹園で朗読会。～」＠丸長果樹園
詳細後日発表
10年12月4日(土)
「傘に、ラ。 vol.23　～なかがわよしの告別式 　たとえば僕が死んだら～」＠ネオンホール
詳細後日発表

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写真、文　駒村みどり


]]></description>
         <link>http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2010/06/post_124.php</link>
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         <pubDate>Sun, 20 Jun 2010 10:46:35 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>クラフトフェアまつもと2010～変わらないもの、変えていくもの</title>
         <description><![CDATA[クラフトフェアまつもと2010～変わらないもの、変えていくもの
<img alt="100612_title.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/100612_title.jpg" width="540" height="240" />

5月の最後の土曜日と日曜日。
毎年恒例の「クラフトフェア」が開催されました。

<img alt="100612_01.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/100612_01.jpg" width="540" height="300" />

ガラス、皮革、陶磁、木工・漆、染織・フェルト、金属、キャンドル、石、花、紙…。
今年もさまざまな分野のテントが並びます。

<img alt="100612_02.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/100612_02.jpg" width="540" height="200" />
<img alt="100612_03.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/100612_03.jpg" width="540" height="200" />
<img alt="100612_04.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/100612_04.jpg" width="540" height="200" />

人が足を止め、作品を手に取り、会話が生まれる。

「どうぞ、手にとって見てください」
「どこからいらっしゃったんですか？」
「これ、何に使えばいいのかしら？」

例年通り、あちこちで見られる光景です。

<img alt="100612_07.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/100612_07.jpg" width="540" height="300" />
<br />
<img alt="100612_05.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/100612_05.jpg" width="540" height="300" />
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<img alt="100612_06.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/100612_06.jpg" width="540" height="600" />

そんな中、ふと気づいたこと。
「あれ？去年はこんなのなかったような…？？」という「新たな試み」が会場にいくつか仕込まれていました。

昨年「フェアには地図がありません」とレポートしたのですが、今年は総合受付の前に、こんなスペースが。

<img alt="100612_08.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/100612_08.jpg" width="540" height="600" />

パネルには作家さんの名前。その横に「A-1」「C-4」などとテントを出している区画が書き入れてあります。
お目当ての作家さんの区画をチェックして、公園の案内図で確認。
公園をどんなふうに回ろうかと、計画も立てられます。

ちなみに木からぶらさがっているトートバックは、クラフト推進協会のオリジナル。これも今年初めての試みです。
そうそう、今年はスタッフの方々が水色のスタッフTシャツをお揃いで着ていました。
販売はしていなかったようですが、ちょっとうらやましかったな…。


公園の奥に現れた「あがたの森食堂」も新たな試みです。

<img alt="100612_09.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/100612_09.jpg" width="540" height="400" />

食品関係のテントを1カ所に集め、フードコートのような空間に。
中央のテーブルで食べる人や、木陰で食べる人など、みんな思い思いのくつろぎかた。

<img alt="100612_10.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/100612_10.jpg" width="540" height="300" />
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大道芸のパフォーマンスや、日曜日には、サクソホン奏者・梅津和時さんのゲリラライブも。

<img alt="100612_13.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/100612_13.jpg" width="540" height="300" />
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<img alt="100612_17.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/100612_17.jpg" width="540" height="400" />
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工芸だけではなく、食べ物、音楽、パフォーマンス…いろいろなものの要素も感じられたフェアだった気がします。

<img alt="100612_15.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/100612_15.jpg" width="540" height="300" />

わたしがお話をした作家さんの中には、「松本は初めてで…」「実は独立したばかりなんです」という人が何人かいました。
全国各地でクラフトフェアは開催されていますが、その中で松本は規模が大きく「老舗」。若手の作家さんからすると「登竜門」とのこと。
年々、応募者が増えるクラフトフェア。今年は1,400組近くの応募があり、倍率は約5倍。
フェアの様子からすると、おそらくこの傾向はしばらくは続くのだろうと思います。

「作る人と使う人をつなぐ場所」
フェアの根底には、この思いが流れていると思います。
でも、この規模になるとそれが伝え切れなかったり、見失ったり、すれ違ったりすることも出てきます。
それは仕方ない。
でも、だからといってあきらめたくはない。
クラフトフェアの取材を3年続ける中で、スタッフの方々は心のどこかでそんな葛藤をしているように見えます。




「フェアなんて、ないほうがいいんだよ」
実行委員長の大島さんは言います。

日常に当たり前に「作る人と使う人をつなぐ場所」があれば。
特別な場所がなくても、普段何かものを手にするときに、作る人と使う人がつながることができればいいのに。
それが普通のことになればいいのに。



でも。

それが普通になることは、難しくても。
フェアが、日常でもそのことを思い出させてくれるきっかけにはなるはず。
いや、既になっていると思うのです。

一昨年購入した陶磁器の湯のみ。
昨年購入した青みがかった陶器。
今年、その作家さんに会うことができました。
きちんと、覚えているのです。
いつも使っている、あの湯のみを作ってくれた人だと。
昨日もサラダを盛った、あのボウルを作ってくれた人だと。

フェアで購入した作品は、それを作った人のことも一緒くたに、わたしの家で使われ続けます。
誰かによって作られたものであることを、日常でも思い出させてくれるのです。

<img alt="100612_16.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/100612_16.jpg" width="540" height="600" />
<br />
<img alt="100612_18.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/100612_18.jpg" width="540" height="600" />

今年は、両日とも天候に恵まれ、会場のあがたの森公園は多くの人で賑わいました。
クラフトフェアは今年が26回目。
昨年を四半世紀、とひとつの区切りにすれば、ここからまた少しずつ変化していくのかもしれないと感じた2日間でした。

<img alt="100612_19.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/100612_19.jpg" width="540" height="400" />

また、来年！

（文・写真　松本経済新聞　山口敦子）
<a href="http://matsumoto.keizai.biz/">松本経済新聞</a>]]></description>
         <link>http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2010/06/2010_1.php</link>
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         <pubDate>Sat, 12 Jun 2010 18:50:08 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>心は体には囚われない〜風子、その２〜</title>
         <description><![CDATA[<img alt="IMG_3086.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_3086.jpg" width="500" height="415" />

〜<a href="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2010/05/post_122.php">（その１）</a>よりつづき〜

小児マヒによる緊張と硬直で動きにくい手の変わりに足を使いこなす風子こと冨永房枝さん。
彼女と話をしていると、まったくそういう「障害の壁」を感じない。なぜだろう？

ひとつに、彼女はいつも笑顔を絶やさない。もうひとつ、その屈託のない笑顔で話す言葉にはネガティブな感じが全くない。彼女は「障害があるから」という言葉を決して口にしない。

先日、取材のために一緒にランチでも、と迎えにいってお店に向かう車の中での会話。

「あのね、悪いけど今日、食べさせてね。」
「いやぁ〜、悪いけどわたしも貧乏だからさ、おごるのはムリ。（笑）」
「そうじゃなくてさぁ〜。」
「あははは、ちゃんとわかってるよ。大丈夫だよ、まかせてね。」

“食べさせて”という言葉の意味は「おごって」などではもちろんない。
レストランのようなお店では、椅子に座って食事をする。当然、足で食べる仕様にはなっていない。だから「食べ物を口に運んでね」という意味だ。

「足を使う」

その行為に対して、人は決して必ずしもいい感情を持たない。
何かをするのは“手が当たり前”だから。そして“足は汚い”という感覚が一般的だから。

手が使えない代わりに足でやる。今でこそ彼女の周りはそれを認めるけれど、子供のころからそうだったわけではない。実際、わたしも彼女の高等部時代に同じ学校の職員がこう話すのを聞いたことがある。

「彼女は、足でクッキーも作っちゃう。それはすごいけど、でも足で作ったクッキー食べる気にはなれないなぁ。」

もちろん彼女は足をいつもきれいにしている。今もキーボードを弾くその足のつめは手入れされてきれいにペディキュアが施されている。わたしは彼女がどんなに自分の足を大切にしているのか感じ、いつもきれいだなぁ、とその足に見とれてしまうのだ。
 <img alt="IMG_3136.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_3136.jpg" width="500" height="283" />

けれども“足は汚い”という感覚は一般的で、その中で子供のころから生きて来た彼女はその笑顔や明るさの裏に悲しみや苦しみもたくさん感じてきたことだろう。

“いたずらをしたい。触ったりぐちゃぐちゃにしてみたりしたい。”
それは好奇心の固まりの小さな子供にはごく当たり前の欲求だ。
けれども、周りの人間と同じようにやろうとしても、手が動かない。

動きたい、動かせない。
そのイライラが高まって、足を動かした。

「足の方が、じょうずにできる！」

そう思って足を使い始めた彼女だが、周りがそれを受け入れるのは難しかった。

<em><strong>「足で給食食べていい、って許してもらえたのは中学部になるときだったよ。それまでは、手の機能訓練ということでなんでも手でやるようにいわれたなぁ。『足の方がずっと速く、上手に出来るのになぁ』って思いながらやってたから訓練つまんなかったねぇ。」</strong></em>

笑顔でそう話すけど、食べることまですべて「訓練」にされるのはたまらなかったろう。みんなが美味しそうに食べているのに、お腹もすいているのに、手ではなかなか食べられず、時間もかかる。

「足で食べてもいい」と認められた（というよりは、「周りがあきらめたんだよ」と彼女は表現したが）ときには「やっと自分らしく出来る」という思いがあふれてきたそうだ。

「足でものをやる」ということひとつとっても、彼女を小さな頃から知る身近な者でもこれだけの抵抗がある。当然、彼女が受けてきた波は、それだけに留まらなかった。

わたしは彼女からメールをもらって再会の約束をしたが、その一方で久しぶりに会う「先生」という存在に対しての心の迷いや傷について彼女は自身のHPの日記に、こんな記述をしている。

<em><strong>養護学校の思い出は楽しいことよりも先に“辛いこと（当時の養護学校には障害児・者を理解できず“社会のお荷物”と口走り、生徒の心を無雑作に傷つける教師もいて、嫌な思いをしたこと）”を思い出してしまうからだ。教師と生徒だったことがあり「先生」と呼んでいたＭさんに再会したら、私は平常心でいられるだろうか…？</strong></em>
（風子のきまぐれ絵日記　2007年5月「<a href="http://homepage2.nifty.com/easigami/image/enikki/enikki_0705.html">花香る風の中の再会は………</a>」より）

同じように、彼女が1990年に出版した詩集「”女の子”のとき」にも障害のある自らに対する悩みや苦悩がこんな風に描かれている。

　　<em>　<strong>なれているからこわくない
　　　いつも　口にするけれど
　　　うそです

　　　街を歩くのは　こわいのです
　　　一人で歩く道は　こわいのです
　　　いくら　なれていても
　　　こわいものは　やっぱりこわいのです

　　　家の一歩そとは
　　　心の戦場
　　　人の目は機関銃
　　　聞こえる声は大砲
　　　人の態度はミサイル
　　　わたしの心　殺そうとする
　　　わたし1人殺すのに　何十人、何百人</strong></em>
　　　　　　　　　　　　（詩集“女の子”のとき「戦国時代」より抜粋）

が、彼女はそれを人前では臆面にも出さないのだ。「障害があるから」「手が使えないから」……彼女はそれを理由にしない。そして、その裏でどんなに汗や涙を流したのか、どんなに努力をしたのかも、ひけらかすことはない。

 <img alt="IMG_3142.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_3142.jpg" width="500" height="333" />

再会のとき、わたしはうつ病で学校に行かれなくなった休職中の教師で、彼女はボランティアでいろいろな学校にも講演に行くことがある立場から、「学校」の話になった。

彼女の“人目をひく姿”に対して、子供たちは当然興味を持つ。そういう人を見かける機会も少なければ、話をする機会などもっとない。だから、校長室やステージなどで話をしている彼女に子供たちは寄ってきて、時々こういう質問をする。

「ねぇ、なんでそんな変な恰好なの？」

その時に、周りの先生たちの対応はまっぷたつにわかれるそうだ。
「そんなこというのじゃない」と叱責し、彼女から遠ざけるパターン。
それを見守り、子供たちの疑問に対して彼女が答えるチャンスをくれるパターン。

自分の体について人がどう思うのか、彼女はいやというほど知っている。まだ経験の浅い子供たちならなおのことだ。そういう子供たちが「知る」機会を奪わないで欲しい、と彼女は言う。

「変な恰好」といわれたら、ちゃんと話をする。伝わるように、わかるように、きちんと話をする。そういう子供の好奇心をただ「言っちゃいけないこと」と押さえ、そういう対象から遠ざけたら、子供の中に残るのは「障害について口にするのは禁忌」……そんなマイナスのイメージ。知ろうともせず避けて通る人間が出来上がる。

だから、彼女は自分の体について知ろうとする子供やその好奇の目を遠ざけない。すごく落ち込んだり重い気持ちになることがあっても、そうして人とつながることをやめることはしない。

　　<em><strong>　こわいけど
　　　ミサイル・鉄砲　すごくこわいけど
　　　でも　歩く
　　　こわくなくなるまで歩く
　　　戦争が終わるまで歩きたい

　　　こわいけど　やっぱり歩く</strong></em>
　　　　　　　　　　　　（詩集“女の子”のとき「戦国時代」より抜粋）

　　<em><strong>死んでもこの身体はなおらない　と
　　気付いたときから
　　生きたい　と思った</strong></em>
　　　　　　　　　　　　（詩集“女の子”のとき「自殺」より抜粋）

 <img alt="IMG_3066.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_3066.jpg" width="500" height="194" />

それは、彼女の決意でもあり、覚悟でもあり、そして多分彼女が自分を受け入れた瞬間だったんだろう。再会したとき、高等部時代よりもずっと軽やかになった彼女の心をわたしは感じた。いつの間にか2時間も話し込んだ。そうして「また、会おうね」とわかれた。ごく普通に、お互い必死で生きている人間同士として。心から「また語りあいたい」と思った。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

<img alt="%E9%A2%A8%E5%AD%901.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/%E9%A2%A8%E5%AD%901.jpg" width="500" height="152" />

「今回は、本当に久しぶりに新作を描いたんです。何を描こうか迷ったんだけど、紙一面を宇宙にたとえてみたんです。」
 
ミニコンサートの合間のMCで、今回の新作の話になった。
「銀河鉄道の夜」はあるけど、「銀河鉄道の朝」はどう？……そういわれて、ぱぁっとひろがったイメージ。1メートル×2メートルの紙を2枚繋げて約一週間で書き上げた。
 
 <img alt="IMG_3064.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_3064.jpg" width="500" height="176" />

<img alt="IMG_3065.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_3065.jpg" width="500" height="337" />

野の花。とり。風、月、万華鏡。彼女の心の中にひろがる宇宙、銀河鉄道の朝にはいろいろなものが息づいている。寒くてしもやけに悩まされながら描ききった作品。

この中の「万華鏡」について彼女はこう語った。

<em><strong>「小さな穴をのぞくと、その中にひろがる大きなきれいな世界。
　　それって人間とか宇宙とかに似ている。
　　小さな人間が地球の上で動き回って悩みまくって
　　あたふたしている様子のように思えたんですよね。」</strong></em>

さらに、この絵について内緒話をひとつ。

<em><strong>「実は、この絵の中に一カ所だけ塗り残したところがあるんですよ。
　　これはね、まだ終わってないよ、これからも続くよ、ってそういう意味。」</strong></em>

　・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

苦労も、悲しみも。悔しいことだってまだまだ山ほどある。
だけどそんなこと言っていてもしょうがない。

体が思い通りにならないから出来ることに制限もある。
だけど、それも自分の体。

そして、自分の体をしっかりと受け止め、自分も含めてあたふたしながらちっちゃいことでうだうだしつつそれでも生きていく人間の「生」を、万華鏡のきらめきのように愛おしむ。そしてまだまだ続くよ……と彼女の心はその歩みを止めることがない。

彼女の心はなにものにも囚われずに、自由に飛び回る。その自由な心が、彼女の笑顔に触れた物達に伝わって、そしてまたひろがっていく。

絵から、詩から、音楽から。彼女の足が生み出すすべてのものが、今日もまた輝いて“生きる”事の持つエネルギーを発信し伝え続けていくのだ。

もし、あなたの近くに「風子の絵足紙キャラバン」が訪れたら、そこに行ってぜひ一人の人間の命のきらめきと生きざまを感じて欲しいとそう思う。
 
<img alt="IMG_3090.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/IMG_3090.jpg" width="500" height="350" />

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
（<a href="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2010/05/post_122.php">心は体には囚われない〜風子、その１〜</a>）　

HP：「<a href="http://homepage2.nifty.com/easigami/index.html">風子の絵足紙キャラバン</a>」
森の宿　<a href="http://www.rinrincan.com/">林りん館</a>　（長野県小川村「風子の絵足紙ギャラリー」併設宿泊施設）

（写真・文：駒村みどり）
]]></description>
         <link>http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2010/05/post_123.php</link>
         <guid>http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2010/05/post_123.php</guid>
        
        
         <pubDate>Sun, 30 May 2010 10:34:53 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>心は体には囚われない〜風子、その１〜</title>
         <description><![CDATA[<img alt="fuuko1cover.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/fuuko1cover.jpg" width="500" height="294" />

春まだ浅い3月のある日。長野市篠ノ井にある額縁店2階のギャラリーで、会場から流れるキーボードの音楽。個展＋ミニコンサート「春へのつぶやき」。そこでキーボードを奏でるのは「手」ではなくて「足」。奏でているのは、個展で「絵手紙」ならぬ「絵足紙」を含めたたくさんの作品を披露している「風子」さん。

「千の風になって」、「G線上のアリア」。
しっとり聞かせたかと思ったら突然に「トッカータとフーガ」。

「いやぁ、やっちゃったよ。」
演奏が終わるとそういって会場を笑わせる。

豪快で繊細。大胆で優しい。
彼女の持ち味は昔からまったく変わらない。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 <img alt="fuuko1-1.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/fuuko1-1.jpg" width="500" height="333" />

「風子」。本名は冨永房枝。
長野県長野市に生まれる。生まれて半年後に風邪のための高熱が元で「脳性小児マヒ」を発症。それにより体幹の機能障害が残る。養護学校の高等部を卒業後、詩作、詩の朗読、キーボードの演奏などでボランティア活動を続ける。

1996年に「絵足紙」を始める。絵だけでなく、書など描き続けた作品は多数にのぼる。
（詳細は<a href="http://homepage2.nifty.com/easigami/prof.html" target="blank">彼女のHP</a>を参照のこと）
 
<img alt="fuuko1-2.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/fuuko1-2.jpg" width="500" height="333" />

演奏会でも、話をしている最中にしょっちゅう汗をかく。（その汗も、足でタオルを持って拭き取る。）からだが常に緊張して突っ張っているうえに思いもよらない動きが常に止まることがない。ひとこと話すごとに体中が突っ張って、息が荒くなり顔がこわばるので話し声に集中しないと聞き取りにくい。

それは、小児マヒによる体のマヒと、緊張と、それから不随意運動のせいだ。
この状態にある人たちは、だから見た目はある意味「異様」だ。ゆがんだ体と顔。それは意識があって脳が働いている間はどうにもならないのだ。彼女らの緊張のない状態が見られるのは、脳が休んでいる「眠っているとき」だけだ。

こういう「機能障害」を持った人は、私たちの周りに普通に居るのだが……しかし、町でその姿を見かけることはほとんど無い。たいていの人は施設に入ってしまうか、「差別」「好奇」の視線が苦しくて家に引きこもってしまうか、あまり外には出てこない。

けれど、彼女はどんどん外に出て行く。
明るい笑顔と大きな笑い声と共に。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

わたしが彼女と「再会」したのは、2007年の5月。
再会のきっかけはネットのSNSだった。

「再会」と書いたのは、彼女との出会いはもう20年以上も前にさかのぼるからだ。

「なんかねぇ、久しぶりなのにそんな気がしないね。」
そう笑う彼女は、その時ふとわたしのことを「みどりちゃん」と呼んだ。
その呼び方が昔の二人の状態を的確に表しているようで妙に笑えた。

彼女の活動は展覧会やコンサート、講演を通じて今やかなり多くの人が知っている。支援者も多く、そういう人たちと共に彼女は自分の道を歩んでいる。けれど、わたしはそういう人たちが彼女を知る以前の姿を知っていて、そしてある意味、彼女との出会いでわたしの考え方も大きく変わった。

だから、今回の演奏会の取材記事を書こうと思ったときに、ただ単にみんなが知っている彼女の姿だけではなく、その頃の彼女を描きたい……とそう思ったのだった。

「風子」以前の「富永房枝」の姿。まずはそこから、入りたいと思う。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

「肢体不自由養護学校の高等部3年生　冨永房枝さん」。

それが、わたしが最初に出会ったときの彼女の肩書き。
そして、その時のわたしの肩書きは「その学校の新卒一年目の新米先生」だった。当時、採用されたぺーぺーの先生だったわたしは、特殊教育（当時の呼び名）の免許もないのに養護学校に配属されて途方に暮れていた。

もともとは音楽の免許を持っていたので、高等部に所属したわたしは音楽のクラスを二つ担当した。そのひとつのクラスにいたのが房枝さんだ。

「先生」とは呼ばれても、まだ養護学校について何も知らなかった私と、小さい頃からずっとこの養護学校で学んでいた彼女。学校のキャリアからいったら彼女の方がずっと慣れたもので、おまけに新卒のわたしと高三の彼女では実質いくつも年は違わない。

途方に暮れてあたふたしていたわたしからしたら、ある意味この学校では「先輩」とも言える彼女は体に緊張があって手が自由に使えないけれど、字を書くのも絵を描くのも、ランチルームで給食を食べるのでも、なんでもまったく手でやるのと変わらぬ出来映えでやってしまっていた。

驚いたことに、彼女の足は手よりもずっと器用に動いた。編み物……特に一番細かいレース編みでさえも……彼女はみんな足の指を駆使してやってのけたのだ。その足さばきは、わたしにとって本当に驚異的で器用さには舌を巻いた。

また一方で、専門である音楽の授業でもわたしは途方に暮れていた。
生徒たちは房枝さんだけでなく、みんなからだが思うように動かない。のどに緊張が走るから、歌を歌うのにも声を振り絞って必死だし、楽器を奏でるにもテンポやリズムの通りには行かない。

みんな音楽は大好きなのに……どうしたらいいんだろう？

その頃に、「文明の利器」が有志の方から学校に寄贈された。ヤマハの「ポータートーン」というキーボードだ。今は、簡単なものだったら1万円もせずに買えてしまうポータブルキーボードだが、当時はン十万もする高価なもの。

その登場のおかげで、思いもかけない展開が待っていた。
 
<img alt="fuuko1-3.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/fuuko1-3.jpg" width="500" height="296" />

「先生、やろうよ。」

昼休みになると、わたしの教室に房枝さんがやってきた。
最初は片足でメロディーを奏でる。こちらの方は、足さばきはもう手慣れたもので（じゃない、足慣れたもの、だな。）楽譜を一緒に読めば割合すんなりと演奏が出来た。

彼女の技能をひろげたのは、今こそ当たり前のようにキーボードについている「ワンフィンガー和音演奏」機能だ。

左の指一本でキーを押すと、設定された「リズムパターン」に乗って「和音」がなる。コード進行に合わせて一本指でキーを押すだけで、重厚な和音伴奏がつけられるのだ。ワルツ、ポップス、ロックンロール、マーチ、ボサノバ、16ビート。それがたった一本の指で和音演奏と同時にパーカッションとして鳴ってくれる。

手の10本指では右も左も簡単にできる「和音演奏」だが、足の指は短くてとても無理だ。けれど、この「ワンフィンガー」機能だと、その一本指がありさえすれば立派なリズム伴奏になるのだ。

……と簡単そうに書いたけれど、当然右足でメロディーを弾きながら、テンポ変わらず流れているリズムパターンにのせて左足でコード進行を追うのは、普通の人でも大変なこと。

 <img alt="fuuko1-4.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/fuuko1-4.jpg" width="500" height="126" />

それに彼女は挑戦したのだ。毎日毎日、休みなく教室にやってきては練習する。曲は今でも忘れない。さだまさしの「天までとどけ」だ。

「あの曲ね、もう、さんざんやったから今はもう飽きちゃったよ。」

そういって彼女は笑う。確かにそうだろうね、そのくらいほんとに毎日何回も練習したものね。

もともと右足でメロディーを弾くことは出来ていても、この曲のさびの部分は16分音符が連続してどんどん音が上昇していくので手の五本指でも大変。メロディーがなんとか出来ても、それに合わせて左でのコード演奏がついていかない。いったいどのくらいの期間、練習したのだろう？今は華麗な足さばきでレパートリーもたくさんになった彼女のキーボード演奏の基本は、この時の必死な練習の積み重ねの結果なのだ。

そうして、「天までとどけ」が形になって、2曲くらい演奏が可能になった頃に、彼女は卒業して社会へと飛び立っていった。

この時のキーボードとの出会いが彼女のライフワークのひとつとして存在している。それは大きな出会いだったろう。でも、同時に、「この学校でこの生徒たちとどう音楽に向かい合ったらいいのだろう？」と悩んでいたわたしにとっても、彼女が毎日教室にやってきて練習し、仕上がっていく段階を一緒に悩み、工夫しながら味わった経験が「そうか、音楽って教科書や楽譜を教えるだけじゃない、その人なりに表現することなんだな」という大きな収穫と音楽指導の確信へとつながったのだった。
 
<img alt="fuuko1-5.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/fuuko1-5.jpg" width="500" height="261" />

「あのね、最初にあったときにわたしが何考えていたかっていうとね………。」
「わたし楽譜読めないしさ、この音楽の先生、ニコニコして人が良さそうだから利用してやれ〜って思ったんだ。」

そういって彼女は朗らかに笑った。
この取材のために改めて会って話していたときに、この頃を想い出して不意に彼女が口にした二十何年目の事実。

目標を持つ。それに向かって何が必要で、どんなふうに学び深めるのかを自ら考えて選ぶ。
そしてそこに向かってくり返し投げ出さずに進んでいく。

そのくり返しと積み重ねが今の彼女を創り上げ、この笑顔と自信を支えているのだ。こともなげに見えるその影では流した汗や苦労などは当然のことと受け止めて、前向きに進んでいく彼女の姿があるのだ。

わたしもね。利用してもらえてよかったよ。おかげで、あの頃一緒に練習していた思いは大切な経験のひとつになって私の中に蓄積されているのだから。おたがいさまだね。

そういってわたしも、一緒に笑った。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

たぶん。障害とか、先生と生徒とか、そんなものはどうでもよかったんだろうと思う。
人と人とのつながりや、関わり合い、出会いというのはこういうものなんだろうと、そう思う。

『障害者としてではなく、ひとりの社会人として世に問うていく「風子の絵足紙キャラバン」に、今後ともより一層のご理解とご支援をお願いいたします。』

今回行われたつぶやきコンサートでもらったパンフレットにこんな一文が載っている。これは絵足紙キャラバン実行委員会という彼女の支援者の会の挨拶文だ。彼女に出会った人たちは、みな、「障害なんか関係ないや」と、きっとそう思うに違いない。

彼女は「冨永房枝」というひとりの人間として生きてきているのだから。人と人との関係の中で、ただ生を与えられたものとして同じように悩みもし、苦しみもし、喜びや感動を得ながら生きているだけなのだから。

<img alt="fuuko1-6.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/fuuko1-6.jpg" width="500" height="333" />
 
そんな彼女がここに来るまでの「からだとのつきあい方」「生きざま」を通しながら、彼女の「絵足紙展」についてこのあと記述していこうと思う。

（<a href="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2010/05/post_123.php">心は体には囚われない〜風子、その２〜</a>へ続く。）

HP<a href="http://homepage2.nifty.com/easigami/index.html" target="blank">「風子の絵足紙キャラバン」</a>


（写真、文：駒村みどり）]]></description>
         <link>http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2010/05/post_122.php</link>
         <guid>http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2010/05/post_122.php</guid>
        
        
         <pubDate>Sat, 29 May 2010 01:39:23 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>工芸の五月2010「みずみずしい日常」～街と湧水と工芸と</title>
         <description><![CDATA[<img alt="100522_title.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/100522_title.jpg" width="540" height="240" />

いつのまにか、5月がやってきました。
「工芸の五月」も今年で4回目。ゴールデンウィークに入るとともに、松本の街を中心にあちこちで関連企画や展示、イベントが開催されています。

その中の一つ「みずみずしい日常」は「工芸の五月」のメイン企画ともいえるもの。
昨年に続いて開催されている「松本の街と工芸をつなぐプロジェクト」。今回は実際に街をめぐるレポートをお届けしたいと思います。


<img alt="100522_01.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/100522_01.jpg" width="540" height="300" />

松本市美術館1階の情報交流館には「旅行社みずのさんぽ」が登場。
松本の街を楽しく歩いてもらえるようにと、ガイドつきツアーやひとりでもOKな「みずのさんぽ」を教えてくれます。
ガイド付きのツアーは、6つのコースを用意。この日は「みずめぐり姫と歩く　湧水・井戸・水路ツアー」が開催されていたので、行ってきました。

<img alt="100522_02.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/100522_02.jpg" width="540" height="400" />

着物姿のみずめぐり姫に案内され、旅行社を出発。あとについてゆるゆると歩きます。
美術館を出てほどなく「みずば」へ。

<img alt="100522_03.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/100522_03.jpg" width="540" height="540" />

はっ…水筒！せめてマイカップを持ってくればよかった！！
でも湧水を飲むという楽しみ方以外にも「みずば」の楽しみ方があることを姫は教えてくれます。
どこからどのようにやってきているのか、いつごろからここの水が周りの人に使われているのかを聞き、湧水がここに来るまでと、ここからどこに行くかに思いを馳せます。
ほかにも、街中にある数々のお店でどのように湧水が使われているかなどを聞くと、本当にこの湧水は日常に、街の人とともにあるのだなあ、と感じます。

<img alt="100522_04.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/100522_04.jpg" width="540" height="300" />

教えてもらったとっておきの楽しみ方。
それは、水音を聞くこと。
たくさん一度に流れる音と、少しずつ遠慮がちに湧き出ている音は全然違うのです。
そういわれると、ツアーの列をふと離れて1人で歩いてみると、水音の面白さに気づきます。
水量や落差による違い、高い音、低い音、たくさん流れていることを感じさせる音、ゆっくりやわらかな音…。

<img alt="100522_05.jpg" src="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/img/100522_05.jpg" width="540" height="300" />

ツアーにはこの水音を楽しむ「みずの花唄ツアー」もあるとのこと。
水の音に耳をすましながら…今までなにげなく歩いていた道の歩き方がちょっと変わるかもしれません。



「建築家とめぐる城下町　みずのタイムトラベル」は地図を片手に、水とともに変化してきた人々の暮らしや街の様子を聞きながら歩くツアー。
「町人地」「武家地」「寺社地」と色分けされた地図を見ながら話を聞くと、ここが本当の意味で「城下町」だった時代にタイムトラベルしたような気分に。

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お城の裏側、北門大井戸でひとやすみ。はっ…みずさじ！せめてマイカップを持ってくればよかった！！
井戸の脇には説明が書かれています。
「この井戸は明治維新を迎え総堀が片端の堀を残して埋め立てられ、その跡に新たに作られた突井戸である」
今まで意識したことはなかったけど、埋められてしまった堀がたくさんあることを知ります。

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昔、お堀だったとか、馬場があったとか。水質の話とか。
その話は単に知識になるだけではなく、これから先、街を歩くときに新たな視点を、新たな音を感じさせてくれるはずです。


企画を担当した「人場研（まんばけん）」の河村藍さんはこう言います。
「今回は6つツアーを企画したけど、実はほとんど同じコースのものもあるんですよ。でも、同じルートでも全然違った楽しみ方ができる。紹介した道だけじゃなくて、ほかの道でも同じように歩いてもらえればきっと、松本の街をもっと楽しめると思います」



松本の街には、期間限定で「みずみずしい日常スポット」も出現しています。
池上邸の蔵を利用した「池上喫水社」（5月9日で終了しちゃいましたが…）には、今年も水出しコーヒーの装置が。8時間かけてゆっくりと淹れられるコーヒーがお菓子とともに振舞われました。
<a href="http://www.n-sns.jp/n-gene/report/2009/05/post_97.php" target="blank">「工芸のまち、松本～みずあそび編」（2009年５月22日掲載）参照</a>

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現在、蔵内では松本市と文化観光交流都市の提携をしている金沢市で制作活動をしている3人の作家、岡田直人さん、艸田正樹さん、竹俣勇壱さんによる展示「水のカタチ」が開催されています。

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庭では「草の庭カフェ」が。
金沢の老舗酒蔵「福光屋」さんが酒まんじゅうやケーキ、そしてもちろんお酒もいただくことができます。

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…昼間なので、加賀棒茶をいただくことに。
器は艸田さん、お皿は岡田さん、お盆とフォークは竹俣さんの作品。作品でお茶をいただけるなんてちょっと贅沢です。

以前、「人場研」の一ノ瀬彩さんは「みずみずしい日常」について「湧水のある生活を楽しめるように、まずは歩く、次に囲む、そして開く、という順番というか、レシピを提供したい」と話していました。

まずは街を歩いて湧水があることを知ること。
次に湧水を囲んで皆で集い、さらに自分でもそういう場を開くこと。
楽しみ方はまだまだたくさんありそうです。

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次の週末はいよいよクラフトフェアです。
フェアもいいけど、フェアだけではなくてちょっと足を伸ばして松本の街を歩いてみると、街や水との付き合い方が変わるかもしれません。

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<a href="http://matsumoto-crafts-month.com/">工芸の五月webサイト</a>

（文・写真　松本経済新聞　山口敦子）
<a href="http://matsumoto.keizai.biz/">松本経済新聞</a>]]></description>
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         <pubDate>Sat, 22 May 2010 19:03:39 +0900</pubDate>
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